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反芸術論争

Debate on Anti-Art
更新日
2024年03月11日

1964年4~7月号の『美術手帖』において、宮川淳と東野芳明との間で交わされた「反芸術」を巡る誌上論争。まず宮川が、同年の公開討論会「反芸術、是か非か」を起点とし、その司会者であり、「反芸術」という言葉の生みの親でもある東野に問題提起した。宮川は、戦後抽象絵画の果てに反芸術が現われたとする東野の論は抽象/具象の二元論であり、また、反芸術の先駆としてのポップ・アートにおける「日常性の氾濫」についても単に外的環境の変化に伴う画題の変化という解釈に留まっていると批判した。そうではなく、ポップ・アートひいては反芸術における「日常性への下降が、『事実』の世界の復帰であるかに見えて、かえってレアリテの概念を空無化している」点が重要であり、そこにこそ「作家の唯一のアンガージュマンが賭けられるべき表現過程の自立」があると宮川は主張した。それに対して東野は、デ・クーニングとラウシェンバーグの間に抽象表現主義への単なる反動ではない弁証法的発展を指摘した事実は抽象/具象の二元論に陥っていないことを示しており、ポップ・アートの「逆説的なディスコミュニケーション」についても論じたはずだと反駁した。そして、むしろ《大ガラス》以降のデュシャンの「永遠の可能性」である沈黙と不制作のなかに「『反芸術』の根底的な姿」があると主張したが、宮川は、デュシャンのなかに反芸術を永遠化するのではなく、デュシャンとの関係において反芸術を語るべきであり、ポップ・アートについても根本的な変化を捉えていないと異議を唱えた。また、デ・クーニングとラウシェンバーグの系譜学を抽象表現主義からの弁証法的発展に敷衍することも暴論だと東野の帰納的推論の脆弱性を指摘した。直接的には最後となる東野の応答では、宮川の個別的吟味の欠如が批判され、「まず個々の作家への具体的な思考のつみ重ねの末に普遍化が生まれ、また、その普遍的な概念の限界を、個々の作家の『特殊な』面がつきくずしてゆく」のが芸術あるいは反芸術の弁証法であるとして新旧の批評パラダイム間の論争は平行線のまま終焉した。

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参考文献

『美術手帖』1964年4月号,「反芸術 その日常性への下降」,宮川淳,美術出版社
『美術手帖』1964年5月号,「異説・『反芸術』—宮川淳以後—」,東野芳明,美術出版社
『美術手帖』1964年6月号,「“永遠の可能性”から不可能性の可能性へ―ヴァレリアンであるあなたに—」,宮川淳,美術出版社
『美術手帖』1964年7月号,「デュシャン・『グリーン・ボックス』・断想3 —論争にかえて—」,東野芳明,美術出版社