美術文化協会
- Bijutsu Bunka Kyoukai
- 更新日
- 2024年03月11日
昭和戦時期に組織された前衛的な美術団体。1939年5月、独立美術協会を脱退したばかりの福沢一郎を中心として、創紀美術協会を発展解消した糸園和三郎ら、九室会を脱退した斎藤義重、独立美術協会から靉光、グループ「JAN」の横地康国ら、「表現」の大塚耕二ら、「ジュンヌ・オム」の藪内正直、「デ・ザミ」の佐田勝、「貌」の杉全直などが合流し、計40名で結成した。後に井上長三郎、丸木位里も加わったほか、大塚睦、山下菊二、井出則雄も参加した。戦前期において、自由美術協会と並び、前衛的な画家たちの一大拠点であったといえる。機関誌『美術文化』を発行。だが、当時シュルレアリスムに対する弾圧があり、41年4月に福沢一郎と瀧口修造が検挙され約8カ月間拘束される事件が起きた。その後は出品作や課題制作にも時局に迎合した戦争画の作品が増え、また44年には航空美術展を開催するなど、積極的に翼賛的な活動に取り組んだ。46年に再開し、47年に若手会員による前衛美術会の分裂があったが、現在も存続している。
補足情報
参考文献
「日本のシュールレアリスム 1925-1946」展カタログ,名古屋市美術館,1990
「地平線の夢」展カタログ,東京国立近代美術館,2003
『昭和期美術展覧会の研究』,東京文化財研究所編,中央公論美術出版,2009