バックナンバー
2012年03月15日号のバックナンバー
フォーカス
震災、文化装置、当事者性をめぐって──「3がつ11にちをわすれないためにセンター」の設立過程と未来像を聞く
[2012年03月15日号(甲斐賢治/竹久侑)]
東日本大震災発生直後の混乱のなか、せんだいメディアテークは市民が自分たちの暮らしを記録するためのメディアセンター「3がつ11にちをわすれないためにセンター」を立ち上げました。その設立プロセスとその後の展開の様子はソーシャルメディアを通じてライブで発信され続け、現在も興味深い活動を続けています。震災発生から一年が経過したいま、事業の中核を担う甲斐賢治氏(せんだいメディアテーク企画・活動支援室長)にこの一年の活動についてお話しをうかがいました。聞き手は、水戸芸術館現代美術センターの竹久侑氏。
「直後」のリアリティを世界へ──国際交流基金巡回展「3.11──東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」企画監修者:五十嵐太郎氏に聞く
[2012年03月15日号(五十嵐太郎)]
東日本大震災に対する、内外の建築家50人の、避難・仮設・復興に向けたさまざまな提案と具体的な設計活動を世界に紹介する、国際交流基金の巡回展「3.11──東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」が、東北大学を皮切りに始まりました(国内開催東北大学のみ)。ほぼ同時に、パリでも開催され、ついでロシアでの開催も予定されています。自ら被災者でもあるキュレターの東北大学教授五十嵐太郎氏に、同展の企画コンセプトについてうかがいました。
キュレーターズノート
宮本佳明「福島第一原発神社──荒ぶる神を鎮める」、秋風景の逆照射
[2012年03月15日号(中井康之)]
3月11日が近づくにつれ、見聞きする情報の多くが東日本大震災と福島第一原発事故関連に集中してきている。私は、基本的に、美術表現がそのような災害に対して無力であるばかりでなく、そのような外部の現象を反映するばかりの表現を信じることができない、という立場をとるものである。このような古典的とも言える芸術至上主義の観点から美術を考えるのはけっして私ばかりではないだろう。しかしながら、椹木野衣と宇川直宏の対談「震災後に芸術を定義し直す」(『新潮』2012年1月号、2月号)で論じられているように、日本で美術表現を考えることは、このような災害列島において繰り返された被害の記憶を語り継ぐ方法を確立していくことではないかという趣旨などに優位性があると、多くの者が感じているかもしれない。それが時限的なものであるのか、椹木が主張するように「西洋美術とは異なるアートを切り拓いていくしかない」といった根源的にわれわれの美術の在り方を問い直すようなようなものになるのかは、まったく予断を許さない状況であることだけは確かであろう。
ヒロシマオーヒロシマフクシマ
[2012年03月15日号(角奈緒子)]
正直、たいへん驚いた。昨年もこの場で紹介した、広島を拠点に活動するアーティストや広島市立大学の学生たち(またはアーティストの卵たち)が主導する展覧会「ヒロシマ・オー」のタイトルを見たときのことである。その名もずばり「ヒロシマフクシマ」。なんというか、あまりの直球に面食らった。
トピックス
「ルーヴル美術館からのメッセージ:出会い」記者発表会レポート
[2012年03月15日号(中島水緒)]
3.11の大地震と原発事故の発生から約一年。一年という区切りがさまざまな場面で逡巡をもたらすなか、ひとつのニュースが飛び込んできた。数々の傑作を所有する美の殿堂、ルーヴル美術館のコレクションが、被災した東北3県の美術館(岩手県立美術館、宮城県美術館、福島県立美術館)を巡回するというのだ。展覧会のテーマは「出会い」。東北の再生・復興を支援するためにフランス大使館が立ち上げたプログラム「日本とフランス、共に明日に向かって」の一環として企画されたものである。この巡回展の開催に先駆け、去る1月26日、東京・広尾の在日フランス大使館において記者発表会が行なわれた。本記事ではその記者会見の模様をレポートしたい。
artscapeでみる「3.11以降のアートシーン」
[2012年03月15日号(artscape編集部)]
東日本大震災から一年が経過しました。artscape2012年3月15日号では、3月の地震を美術や建築の側面から考えるためにふたつのインタビューを掲載します。また、この一年の記録として、2011年4月1日号から2012年3月15日号までに掲載した震災に関係するレビュー等をまとめました。バックナンバーから厳選した全209本の記事で「3.11以降のアートシーン」を振り返ります。