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2017年11月01日号のバックナンバー
フォーカス
【ニューヨーク】中国の現代概念的芸術と実験的芸術の歩み──「芸術と中国 1989年以降:世界の劇場」展
[2017年11月01日号(梁瀬薫)]
中国の現代アートは近年、市場をも揺るがすほどまで成長し、ますますその勢いを増している。日本を含めアジアの現代アートは近代化、西欧化した西洋美術の文脈を基点としたところがあるが、中国の現代美術家たちは西洋美術を導入しながら、異なる伝統や歴史、社会、そして課題を明快にしてきた。本展では1989年から2008年という激動の時代背景のもとで生まれた中国のコンセプチュアルアートを辿る。
キュレーターズノート
ソフィ・カル「Beau doublé, Monsieur le marquis!」展、パリ狩猟自然博物館
[2017年11月01日号(能勢陽子)]
豊田市美術館では、2015年にソフィ・カルの個展「最後のとき/最初のとき」(原美術館との共同開催)を開催している。また、館のコレクションの人気投票をした際に、大方の予想だったグスタフ・クリムトやエゴン・シーレの絵画ではなく、カルの《盲目の人々》が1位になったこともある。カルは美術館にとって、とても馴染みの深い作家である。本展は、そのカルのこれまでの約40年にわたる活動を回顧する、フランスでも久しぶりの個展である。ところが、その開催場所がちょっと変わっている。会場は、動物の剥製や猟銃など、狩猟にまつわる品々が所狭しと陳列された、パリの狩猟自然博物館である。
イメージを(ひっ)くりかえす──記録集『はな子のいる風景』
[2017年11月01日号(松本篤)]
はな子死亡15:04。01:27倒れる──。
2016年5月26日、1頭の象が69年の生涯を閉じた。
その日の飼育日誌は、時系列がひっくり返っていた。
“生まれてから死ぬまで”を逆再生させる、弔いの1冊を編もうと思った。
人と象の間を隔てる溝は、イメージをどのように働かせるのか。
記録集『はな子のいる風景』編者がみた、もうひとつの風景。
進化するラボ駆動型文化施設、課題解決から実験へ
──メディアセンター WaterShed
[2017年11月01日号(菅沼聖/竹下暁子)]
本連載では国内外の文化施設の活動紹介を通じて、社会の中でのミュージアムの可能性を扱ってきた。狭義のミュージアムだけではなく、実験的な活動を展開する文化施設では、どのような取り組みが行なわれているのだろうか。今回はイギリス南西部ブリストルにおいて、都市再生の中核を担うメディアセンターWaterShed(ウォーターシェッド)の取り組みを紹介する。
死角だらけの視覚──オ・インファン《死角地帯探し》と視覚障害
[2017年11月01日号(田中みゆき)]
人間は日常的に触れる情報のうち、8割方を視覚から得ていると言われる。そう聞くと、視覚がないことは、それらの情報の8割を健常者と同じようには得ていないことになる。それは大層不便なことにも思えるが、考え方を変えれば、一般的な人間を形成する情報の8割から自由であるともいえるかもしれない。人は生物学的にヒトとして生まれ、成長の過程で社会の中でさまざまな常識や社会性、必要に応じた知識を身につけ、人間として自立する。8割がないことは、社会的存在としての人間の意識にどの程度影響を及ぼすのだろうか。ここでは、8月から10月の間、京都市内で開催されていた「アジア回廊 現代美術展」でのオ・インファン《死角地帯探し》の体験で得た気づきと、わたし自身が企画する音声ガイドを用いたダンス制作の試みと視覚障害者が監督する映画について記したいと思う。