○今日の1点
会場で配れたプログラム/パンフレットの表紙。本公演は弘前劇場とROGOのダブル公演。二公演とも見たかったけど、都合で僕は「ROGO」の公演を観劇。それはそれで楽しめた。本の枠組みの強さを実感。「二の腕」なることばがあれほどまでに状景描写するものかと驚嘆。
○弘前劇場を主宰する長谷川孝治戯曲「F.+2」の東京公演を観るために列車に乗る。偶然、同じ車両に「アーキグラム」展を見に出かけてくれた青木淳さんらに出会う。途中、スカイザバスハウスでの遠藤克利「空洞説」展に寄りつつ、上野から新宿の劇場までご一緒する。
○長谷川孝治戯曲集「弘前劇場の二つの場所」が2003年1月31日に太田出版から刊行されている。
この戯曲集には
2000年作『冬の入り口』。
1999年作『家には高い木があった』
1997年『F.+2』
1996年『あの川に遠い窓』
の4本が日英で収録されている。
今回のF.+2の観劇で、2000年から6年かかって上記4本全て見た。
2000年作『冬の入り口』は、2000年10月青山円形劇場でこの作品初演を見て、僕は遅れてきた長谷川ファンとなる。ほんとうは今は去ってしまった女優さんに魅了されて弘劇のファンになったのだけどね。長谷川さんとの出会いは、その一月前の9月、名古屋で開催されたトヨタ・アートマネジメント講座の会場が最初で、その時から懇意にさせてもらっている。
1999年作『家には高い木があった』は、2004年2月の東京公演の再演で見た。そして2公演だけだった1997年作『F.+2』を、初演から9年後、つまり05年3月19日の再演で目にできた。この本は、登場人物の内面の狂気をストレートに描いたものとすれば、物語の核心を描かず、その周辺を丹念に描くことで、描写することなく核心部分を描ききる本の雄として、個人的にかなり衝撃を受けたのが1996年作『あの川に遠い窓』だった。脱稿から8年後の03年5月、シアタートラムにて山田辰夫・村田雄浩年による再演を見て感動する。
長谷川さんの例に限らず、人が世に出ることになる作品には、なんとも言えない力がみなぎっているものだ。と最近さまざまな局面で痛感している。100年寿命。時の価値観が変わったとしても通用する、骨太な作品という仕事を仕上げ、ガツンとその名を掲げることに成功した人々の、それを成し遂げたときの仕事は、多かれ少なかれ「100年寿命」という100年の時間のあいだ生き続け、同時に検証され続ける厳しい旅程にあるような気がしている。
そして幸運にも1つ目のその仕事を手にした面々が、2つ目、3つ目の「100年寿命」の作品を手にすることの難しさをも彼らの葛藤を側で目にして感じている。
キュレーターである自分は、新人が1つめの「100年寿命」の作品をものにする瞬間に関わりたいと思う。と同じに、ベテランが複数個目の「100年寿命」の作品を獲得するためのプロセスの一助ができないものかと、かなり厚かましくおこがましいことを考えている。
そしてその企画が「100年寿命」のトライアルに参加てきるレベルの仕事の質をもつようなことがあれば、何と贅沢で幸せなことかと日々思いながら、丁寧に仕事を形にする努力を続けたいと思い行動する自分がある。
ご来場、誠にありがとうございました。
劇場でお目にかかれず、ちょっと残念。その頃私は・・・んふふ。
雪だらけだった青森にも、春は来てくれるみたいです。
また、機会がありましたら・・・。