Dialogue Tour 2010
キュレーターとアーティストの新しい関係
芹沢──僕がキュレーターのひとりを務めた2005年の横浜トリエンナーレは、川俣正というアーティストが総合ディレクターで、彼が選んだキュレーター・チームがアーティストをチョイスする役割を担いましたが、その選ばれたアーティストがまた、自分のプロジェクトでディレクターになってもいいわけです。特に僕が担当したところはその方式をわざと多用しました。関係が入れ子になっていて、選んだアーティストがプロジェクト内プロジェクトをつくるわけです。そんなことで僕が選んだアーティストの多くには、とにかくコラボレーションをしてもらい、ひとりでは作品が成立しないかたちにしながら進んでいきました。クロージングのときなんかにおじぎされても、「誰だ?」というような状況になりましたが、そこには物事が自己増殖していく気持ちよさがありました。
鷲田──川俣さんの横浜トリエンナーレにしても、2009年のヴェネツィア・ビエンナーレに出展したエルムグリーン&ドラグセットにしても、近年は、アーティスト同士のネットワークやコラボレーションが活発になっていて、むしろそちらを辿っていくほうがいまの美術の動向をリサーチしやすいという実感があります。
また、たとえば青森MACを主宰する服部さんのキュレーションは、友達のようなフラットな関係を築き、その作家の遊びを公に承認させていくというか、公的なものとしてかたちにするようなやり方です。あるいは遊戯室でのかじこのトークをレビューしてくれた水戸芸術館の竹久侑さんというキュレーターは、展覧会の映像ドキュメントをつくるときに、彼女がキュレーターと作家という関係で一緒に仕事をするようなアーティストに記録の制作を依頼したりしています。従来ならドキュメントはデザイナー、映像作家、写真家に頼んでしまうところを、アーティストに発注して一緒につくってしまうようなつくり方が、ちょっとこれまでのキュレーターとアーティストとの関係とは感覚が違うと感じていて、それはポジティブにとらえられないかなと思っています。
芹沢──キュレーターの職能も時代や組織の枠組みの変化にすごく影響を受けています。いまどんな方向に進んでいくかによってキュレーターの将来像も大きく変わるでしょう。いまのように小さなスペースがたくさんできて、そこに対しての親和性を美術館のキュレーターが感じるかどうかは大きな分岐点ではないかと思いますね。
インフォーマルな活動を可視化する技術
光岡──キュレーションとWeb2.0の関係性で取り上げておきたい事例として、2007年にテート・ブリテンで開催されたイギリス写真の回顧展「How We Are: Photographing Britain」があります。メイン会場のテート・ブリテンでの展示は、19世紀半ばからのイギリス写真の歴史を振り返るというものでしたが、それと並行してFlickr上にその展覧会の公式アカウントが作成され、誰でも投稿できるようにされていました。いまもアカウント自体は残っていて、5,000枚ほどの写真が掲載されています。写真のコレクションとしてかなりの迫力がありますし、なにより、5,000枚が投稿されたことで、少なくとも展覧会で見られた通時的なイギリス写真に加えて、イギリスの持つ共時的な拡がりはFlickrの「展覧会」においても成功しているように思います。
さらにミュージアムとの関連で言うと、タクソノミー(分類学)の問題があります。YouTubeやTwitterが開始された2006年頃に、Steve.Museumのなかの「The Museum Social Tagging Project」というプロジェクトが、メトロポリタン美術館を中心とした8つの機関の連携という形式でスタートしています。1990年代以降、ミュージアムが自身の収蔵品データのデジタル化──とりわけ収蔵品の画像のデジタル化──を一定程度終えると、一般の人々が誰でもネット上で検索できるように提供を始めていきます。しかし、当然美術館のコレクションですから、そもそもその分類に「印象派」「アクション・ペインティング」というような専門用語が使われてしまうので、どれだけ情報をパブリックにしても、そのような言葉を知っている人でなければ検索できないというジレンマがありました。そのジレンマをどう解決するかということで始まったプロジェクトです。その際には、インターネット上で先行するFlickrのタグ付けみたいな分類法が念頭にあったはずです。なので、スティーブのウェブサイトでは、各館が持っていた画像データが公開され、個々の収蔵品の画像のそばにチェックボックスが付いています。たとえば、馬の絵と馬の彫刻を選んで「ホース」と書いて投稿すると、誰でもホースという検索ワードを自動で付与できます。その結果、選ばれた言葉の回数が多いほど、検索画面に表示される検索ワードのフォントサイズが大きくなって、「ブラック」とか「ブルー」という一般的な言葉がより頻繁に利用されていることがわかります。たとえば、「後期印象派」のような専門用語ではなく「オランダ+黄色」でゴッホの《ひまわり》の検索が可能になりますし、そもそも「オランダ+黄色」で偶然検索をかけた方が《ひまわり》に出くわす可能性もあるわけです。もちろん、ウィキペディアと同様に誤情報を取り込んでいくという批判が一方にあるのは確かです。
これはテクニカルなタクソノミーに、ウェブを介したフォークソノミー──私たちが日常的に使っている言葉による世界の分類──を取り入れた好例だと思います。かつ、それは美術館や博物館ベースで始まったというよりは、だれもがケータイで写真を撮れるようになり、その写真がPicasaやFlickrに投稿され、友達同士が「かわいい」などとテキストのタグを付けていくという日常的な行為を前提に発想されたということは、キュレーションを考えるうえで注目してもよいのではないかと感じています★12。
芹沢──僕が活動を始めたころはこんな状況になるとは思っていないし、10代20代のころは──合っているか間違っているかは別として──体制/反体制といったものすごく簡単な分類だけで、ほかにバラエティはありませんでした。いまはこれだけいろいろなものが出てきて、メディア自体もどんどんパーソナルにつくれて発信できて、小さな放送局をみんなが持てるようになっています。そういう意味で、これからもずいぶん変わっていくと思います。ただ、全部まとめてよい世界だなと思えない自分もいます。それはただたんに年齢のせいかもしれない。ちょっと前に言われた〈伽藍とバザール〉という議論はピンと来て、AAFはバザール的だなと理解していましたが、〈Web 2.0〉はまだリアリティがありません。〈現代美術2.0〉は頭ではなんとなくわかるし、Twitterもわかるけどやれないなにかがあって、それはやはりリテラシーとか歳の話かなとも……。
光岡──Twitterについて言えば、ウェブ技術がリアルスペースに追いついただけだと感じている部分もあります。たとえばアーティスト同士の関係性が深まっておもしろい環境や作品が生まれていく状況は、20世紀前半にパリのモンパルナスに集っていた画家の集団に近いのかもしれません。Twitterやウェブがそれ以前となにが違うかというと、それ自体がアノニマスな集団のまま可視化されていることくらいだと思います。ですから、出来事そのものは100年くらい遅れて同じところに戻ってきたという側面もあるととらえています。
鷲田──このDialogue Tourでも、中崎透さんがCAAKで話してくれたときに、「大事なことはインフォーマルな場で先輩から聞ける。それはいまも昔も変わらない。でも昔はその関係性が美大のなかだけで閉じられていた。それがここ3〜5年のあいだに地方都市でアート・プロジェクトが行なわれるようになって、そこへ行くことで大学の場を越えて、インフォーマルな情報の伝授が行なわれるようになった」と実感されていました。それはおもしろいなと思いました。こうしたインフォーマルな集団の可視化とTwitterは関係があるのでしょうか。
光岡──基本的にはそれが見えなかった時期と見えている現在という水準で検証してみる必要があります。少なくとも中崎さんの個人的な体験として、「大学のなかでしかなかった」とおっしゃるのは、本人が美大のなかにいたからで、ひょっとしたら当時もそういう場は大学外にもすでに存在していたのかもしれない。つまり、現在ではそのようなコミュニティがTwitterを通じて見えるようになっただけで、じつは美大と関係のないところで、すでに美術に関心を持つようなグループは点在していたと。そう感じるようになったのかもしれない。もちろん、Twitterを初めとしたインターネット上の技術革新が美術サークルの持っている情報の流通を活性化させたことで、新たなコミュニティがこの数年で増加したのかもしれません。直観的に私はおそらく前者だったのではないかなと感じていますが、それはTwitterがそのようなコミュニティをすでに可視化させた現在では検証することは困難だと考えています。