Dialogue Tour 2010
助成金のジレンマ
芹沢──以降、刻々とかたちを変えているものの、2005年の出来事が原点になっています。それぞれローカリティを背負い込みながら、状況と問題を感覚的に共有している、AAFの第一世代とも言えます。AAFとしてはひとつのまとまった体裁はあるものの、個々は独自性を持った活動なので、アサヒビールがいかに理解あるメセナであっても、企業の論理とそれぞれの活動の論理にズレが生じることも予想されます。ですから、われわれのやるべき仕事は、そのあいだに入って、一つひとつの独自性を守りつつ伸ばしていく環境を整備することです。
鷲田──企業の協賛やメセナを行なう論理と、自主的に始めた人たちのやりたいことのズレは、現場でも生じることがあります。たとえば、外部提出用の企画書をつくるとなるとそれなりに社会性を持ったプロジェクトの目的が必要となり、それを文書化する過程で、本来やりたかったことよりもその目的に引きずられてしまうとか。また、助成金をもらうと、計画したことをこなす、仕事のようになってしまうこともある。助成金にもよしあしがあると感じていて、Dialogue Tourではそれとは違うかたちを考えたいという思いもあります。
芹沢──助成金は大きな問題ですね。要素は沢山あって複合的です。そもそも僕らがやっている「P3 art and environment」も助成等を受けてプロジェクトを実行する側なので、そのボタンの掛け違いやジレンマはなるべく減らしていきたいという意識は、事務局を引き受けたときから持っています。そのため、それぞれの組織に応じてできることはやりながら、AAFの制度全体としては、なるべく〈ゆるく〉しています。よくもあしくも協賛金が少なく、最大で50万円程度です。少なくはないけれど、巨額でもない。信頼関係を築いてお金を渡し、とにかく活き活きやってくれればいいという感じです。もちろん報告はきちんとしてほしいので、年3回の全体会議に参加してもらって、報告したりディスカッションをしてもらう。検証シートも書いてもらう。しかし、義務としてはその程度です。総合ディレクターを置かないので、一つひとつの企画に介入はしません。各自の責任のもとですべてやる。さきほど指摘があったようなネガティブな部分は僕もいろいろ見てきたから、なるべく義務を少なくしてしまうことで、ある程度、問題点を緩和することができると思っています。
公立組織の存在意義
鷲田──補助金は少額でも、AAFに認定されることで発信力や信頼性を獲得するという側面もあると思います。そのような、中央からの認定ではなく、個々の活動が独自に発信力を持つ方法を模索することも今回のテーマです。そのためのソーシャルメディアやインターネットの活用です。
とはいえ、今回のDialogue Tourで感じたのは、発信力については、それぞれの地域には金沢21世紀美術館のような認知度と発信力のある組織があって、その周辺に小さなスペースがあるという関係が、うまく機能していることです。水戸における水戸芸術館と遊戯室★3、岡山における瀬戸内国際芸術祭とかじこ★4、青森のACACや県立美術館とMidori Art Center(MAC)★5など、相互補完的な関係が結果的には重要になっています。
芹沢──いま提示された問題意識に立てば、たしかに今回選ばれたスペースは、YCAM(山口情報芸術センター)、金沢21世紀美術館、水戸芸術館、ACAC(国際芸術センター青森)などとゆるやかな関係を持っていますよね。さらに言えば、もしかしたら、梅香堂★6も国立国際美術館の刺激を受けているかもしれない。後々田さんは認めないかもしれないけれど(笑)。ただ一方的に補完するだけではなくて相補的に存在している活動をピックアップされているのはおもしろい。AAFのなかにはそういう取組みもありますが、だいたいは単独でやっていて、そのぶん苦しいところもあります。
たとえばホワイトキューブとストリートの軋轢といったように、少し前だとこうした活動をいわゆる対立の図式のなかでとらえがちでしたが、そういう反美術館的な動きでとらえていくとみんな消耗して疲れていってしまう。だからといって迎合し合うのではなく、新しい道が苦しみながらも生まれてきているという印象を持っています。公的な美術館やアートセンターの存在は、こうした小さな活動のこれからを考えていくときにこそ、けっこう重要かもしれないですね。
鷲田──公的な組織に招へいされた人が、公式プログラム以外に滞在中に地域の人たちとインフォーマルな関係を結んだり、アシスタント同士の関係ができたりと、事業の周辺環境のありかたの重要性は以前から高まっていたように思えます。それが可視化され、フィジカルなスペースとして現われてきているととらえています。そう考えると、美術館がなくなってもそういうスペースが、自立して生き残るのはまだ難しい。
一方で、たとえば山口にはYCAMの設立にも関わってきたような市民の活動が古くからあります。勉強会や研究会を通じた大学やギャラリーを中心としたネットワークです。そういう関係の連続のうえにYCAMがある。そういう文化的な背景もきっちり見ていく必要があると感じました。
芹沢──美術館自体のあり方が変わってきています。少なくとも地域の伝統や教養を教えてもらいに行くような、敷居の高い美術館のかたちはここ4〜5年で変化している気がします。美術館と外部を繋ぐセクターが、美術館側にあるのか、独立したセンターなのかNPOなのか、ポジションは別にして、その担い手がいま、形成されている最中ということでしょう。あいだを繋ぐ担い手の重要性が、ここ数年で認識されたし、そうした活動のための環境が整ってきたと肌身で感じます。
鷲田──たとえば、招へいする作家のホテルやレジデンス場所を用意するのは当然美術館がやるべきことですが、プロジェクトが進んでいくうちに急に手伝いの人が来るとか、友達が来るというときに、美術館として公式に対応するのは難しい。でも、そういう人たちこそ重要なことが多くて、そうした場合に、小回りが効くグループが活躍します。そういう習慣、活動の癖がついていれば、美術館の企画に関係なく、自分たちの企画を行なうことも可能になります。ささやかでもとっさにレクチャーやパーティを開けるグループの存在は大事だと思っています。