Dialogue Tour 2010
雑多性の素晴らしさ
小森──新しいスペースでは、ファシリテーター的な役割を担っていきたいとおしゃっていまいたけど、どのくらいのコミット具合で考えていますか。
須川──ものによると思います。3階でオフィスを使っている「OUR」というアート関係のグループは、「こういう人たちを呼んできてこういう展覧会をやりたい」というのが決まっているから、それはいいと思うんです。ただ、ちょっとでも口出しできる部分があれば、口出しおばさんになろうと思っています。そこまで自分のやりたいことが決まっていない人たちもまわりにいるので、そういう人たちにはできるだけ私らの持っている情報やSocial Kitchenが目指すものをうるさがられても伝えていこうかなと思っています。
三宅──かじこの構造もけっこう似ていて、かじこは泊まる人が企画もできる設定にしています。瀬戸内国際芸術祭と会期をあわせていることもあって、いろんな滞在者が来るだろうから、そういうイベントがあるとより濃密に交流しやすいだろうし、なにか関わりも生まれやすいのではないかと思っています。かじこは提案をうながすためにお金を安くしているんですよ。一泊2,600円のところを1,600円にしていて、泊まらない人は使用料として2,600円のまま。公民館とか、公立のところがやっている貸箱みたいなところだと、運営者は個別の活動にあまり関わらないと思うんですけど、そこに民間のやり方を持ち込むことで、もっと違う関係性のリンクのしかたが生まれるんじゃないかと思います。
須川──正直、たんなる貸箱になるのもありかなと思うんですよね。コーラスの練習がしたいっていう人に「ノー」という理由はそんなにないし、それこそアートギャラリーをしているわけでもないから、「どうぞ使ってください」と言うと思います。「あの人たちともこういうふうに一緒にやったらおもしろいんじゃない」というような、最後の一言や付け加えみたいなものは、誰に対してもやっていきたいなと思っていますけど。ただ基本的にその人たちが本当にやりたいと思ったことをここでやってもらうのが一番ベスト。だから、「貸箱結構」みたいなところもあるかな。私たちもその人たちに「こんなんヒントになるかもしらんで」とか「ああいうところで似てるのやってはったで」とか言うためには、本当に勉強しないといけないし、それを人に伝えるためのコミュニケーションがきちっとできないと駄目だから、それは私たちの今後の課題ですよね。「お金払ってんのにあんたにやーやー言われる筋合いないわ」「まあまあ、それはそうやけど」という具合でやっていくことができたらいいなと思っています。
三宅──サジェスチョンみたいなものですよね。いわゆる公民館にキュレーションがついているというイメージをもちました。運営側から企画を立てて実現しましょうということではなくて、そもそも事の起こりは利用者から来ないと駄目というところでは公民館的なんだけど、そこに「もっとこうやったらおもしろいんじゃないの」とか外からアイデアが入っていくわけで、利用者同士のネットワーキングも生まれるわけですよね。このやり方は、ミュージアム的なキュレーティングと、単なる公民館と貸箱との間にある気がして、キュレーティングの新しいかたちのようでおもしろいですね。
須川──でも忙しくて貧乏になってきたら、「もうなんでも使って。いいよいいよ。とにかくお金入るのが大事やし」みたいになるかも(笑)。そうならんように頑張らないと。
三宅──いろんな仕事があるなかで、ここでいうキュレーションって、けっこう関わり具合をコントロールできるタスクじゃないですか。どこまで関わるかは、自分たちが運営するときにどのくらい余力や時間を残しておくかで、自由に調節できると思うんですよね。いまは立ち上げたばかりで運営だけで大変だから、うまくコミットできていません。実際に運営をしていくときに、関わり方をどこまで先にプランニングしておいたほうがいいのか、いま現在進行形で学んでいるんです。
小森──かといって、コミットしすぎるのもどうかと思っていて、その調整が自分たちはできていない。
三宅──そうです。微調節も、こっちに余力がないとできないと思うんですよ。「こうやったほうがいいんじゃない」って、動いちゃったほうが楽なときってあるじゃないですか。だから、余力がないときはそういうふうになるかもしれない。こっちからパッとやってしまって、「もっとおもしろくできたんじゃないのかな」とあとから思うようなことがありますね。
今回のartscapeのケースも、かじことhanareが交流会をするということで、僕らの主体性を求められている企画の相談だったと思うんですけど、そういうときも「メールフォームからいってください」と伝えて、企画者の主体性をうながすために軽く跳ね返すみたいなことができて、箱貸しの仕組みはよくできているなあと思っているんですけどね。メールフォームから書いてもらって、当日ちょっと早く来てもらって打ち合わせをするとか、メールフォームでだいたい書いてもらったらぜんぜん打ち合わせは要らなくて、当日ちょっとしゃべるくらいで、そのうえでさらにこちらからのサジェスチョンができるのはいいなと思います。ほとんどキュレーションなしで須川さんのおっしゃったような雑多性をはらんだ企画が出てくるのは、かじこのおもしろい仕組みのひとつです。「1,000円安くなるんだったら企画しようかな」って思ってしまう、そういう生成させる具合とか。あとは、ウェブで「これまでのイベント」という欄があって、これまでのイベントを企画者以外で同席したかじこスタッフが簡単にレポートしているんです。それを見て「ああ、こういうイベントがあったんだな。私もこういうことならできるかも」ということで、企画が生まれることもある。
須川──公民館的な場所として、雑多性の素晴らしさがちゃんと社会に表現される場所ということでいえば、本当に雑多じゃないと駄目なんですよね。アートの人が集まってるだけでも駄目だし、建築の人が集まってるだけでも駄目だし。あらゆる世代のいろいろな分野の人たちが集まらないとその雑多性みたいなものは実現できないんです。その雑多性を実現しようというときに、hanareのコアで関わっている人やその次のレイヤーで関わっている人たちが、どれだけ社会のいろんな場所に出ていって、お客さんとしてではなく、自分たちの側になる人を連れて来るかが重要で、そのことを“自己の拡張”とか“関係性の拡張”と呼んでいます。とにかく、どれだけ私たちが分野や考え方が違う人たちにアプローチして、その人たちにSocial Kitchenに入ってきてもらうような努力ができるか。そのためには、身近なところからでいいんですけど、いろんな社会問題というものを知り、学び、いろんな人たちが置かれている状況とか、その人たちの職業の問題とかを知っていないと絶対無理です。それをやることによって、「お客さん」に向けたものがなにひとつなくても、「お客さん」がひとりも来なくても、自分たちの側がどんどん拡張していくわけだから、閉鎖的にならないだろうと思うんです。わかります?
小森──“自己の拡張”というのは、hanare周辺で主体的に関わろうとする“自己”のことですか?
須川──そうですね。Social Kitchenに関わる人、という意味です。