北陸新幹線の県内全線開業を記念し、天下五剣の一つとも称される国宝《太刀 銘 光世作(名物大典太)》に加え、国宝《刀 無銘義弘(名物富田江)》、重要文化財《短刀 銘 吉光(名物前田藤四郎)》の名刀(すべて前田育徳会蔵)を一挙公開します。この3振が一堂に展示されるのは、57年振りのこととなります。
 「名物大典太」は、平安時代後期の永保年間(1081~84)頃に活動したとされる刀工・光世の作です。光世は筑後国三池に住み、「典太」(伝太)と称されたと伝わります。前田家には光世作の刀剣が2口伝わり、長さによって「大典太」、「小典太」と区別したようです。足利尊氏以来の重宝として、室町幕府将軍家に相伝され、15代将軍・足利義昭が豊臣秀吉に譲り、秀吉から前田利家に下賜されたと伝わります。秀吉から利家に下賜された経緯については諸説あるようです。『享保名物帳』には、宇喜多秀家に輿入れした利家の四女・豪(樹正院、秀吉の養女)が病気になったとき、利家が大典太を秀吉から借りて豪の枕元に置くとすぐに病気が治り、秀吉に返すと病気が再発し、それを繰り返したため、3度目に秀吉が利家に与えたと記されています。以来前田家第一の重宝とされました。
 「名物富田江」は、南北朝時代に活動した刀工、江義弘の作。義弘は相州正宗の弟子といわれ、越中国新川郡松倉鄕に住んだことから、鄕義弘または江義弘と称されます。そこには「鄕」と「江」は草書体が類似しているという事情もあるようです。本展では、国宝の指定名称に合わせて「江」と表記します。義弘の作は粟田口吉光・相州正宗と並んで天下三作と呼ばれ珍重されました。本作は、もと豊臣秀吉の家臣、富田一白(左近将監信広)が所持していたことから「富田江」と呼ばれます。それを堀秀政が購入し秀吉に献上し、慶長3年(1598)秀吉の遺物分けで前田利長に下賜されました。その後、利長の遺品として将軍徳川秀忠に献上し、前田利常の時に再び前田家に下賜されました。義弘の作の中でも第一の名刀とされています。
 「名物前田藤四郎」は、加賀藩祖・前田利家の次男・前田利政(孫四郎)から嫡子の前田直之(三左衛門)に伝わり、前田直之から前田利常に献上され、以後前田家に代々伝えられました。「前田藤四郎」の名は、当初利政が所持していたことによります。