伊藤彦造(1904-2004)は、大正末期にデビューし、昭和40年代まで活躍した挿絵画家(さしえがか)です。彼は、剣戟シーンの殺気や、美剣士の魅力をペン画によって濃密に描きあらわし、人気を博しました。

人間の心には、「死」を恐れると同時に魅かれもする「希死欲求」という不思議な心性が存在します。「死」に美しさを見いだし、性的な陶酔を重ね合わせる心性が存在するのです。彦造描く少年や青年の、死に面した極限状況、傷ついた美しい肉体は、人間の心にある、そのような死への渇望を目覚めさせる悪魔的な魅力を伴い、怖い美しさを秘めています。

血にまつわる彦造のエピソードとして最も衝撃的なのは、昭和7年、神武天皇の立像を描くにあたって、絵具の代わりに自らの血を用いたことでしょう。血の匂いを描いた画家といえば浮世絵師の月岡芳年を思い出しますが、彦造の作風には、芳年の影響が感じられます。芳年の「無残絵」と呼ばれる血まみれの作品の数々……あの血の匂いが、彦造の体質の中にある「希死欲求」的なものと呼応したのではないでしょうか?

その彦造はまた、後世の漫画家にも多大な影響を与えました。彦造のペン画の超絶技巧を賛美し、美剣士の妖しい魅力に惹かれたと語る漫画家は多くいらっしゃいます。

つまり彼は、浮世絵と、現代の漫画やアニメを中継する存在でもあるのです。幕末のクールジャパン・浮世絵と、現代のクールジャパン・漫画やアニメは、一見異質に見えますが実はつながりのあるもので、その両者の結び目には、大正から昭和初期に活躍した挿絵画家たちが存在します。中でも伊藤彦造の存在は大きいと言えましょう。この度の展示は、その点を意識しながらご覧いただきたいと思います。