写真表現、デジタルファインプリント、そしてモニター展示の 新たな可能性を探るプロジェクト展示。
制作プロセスや研究的視点を交えながら、 新しい鑑賞体験を提示します。
共催:ブルームギャラリー

■出展作家
【林 直 (はやし ただし)】
京都生まれ。
大阪芸術大学写真学科を卒業後「東川町国際写真フェスティバル」の企画運営の補佐。

その後家業の写真館を経営、京都国立近代美術館客員研究員を兼務ののち、現在は林写真館のほか、大阪芸術大学特任教授、同志社女子大学やニコンカレッジの講師として活躍中。

国内外で写真展多数開催。著書に「みつめる写真舘」。

・ステートメント
みつめる写真館

物と人、人と人との関係について、じっくりと見つめてみたいと思い、このシリーズを撮り始めました。消費社会と呼ばれて久しい現在。新しい物が次々と作られ、引き替えに想像も出来ないほどたくさんの物が処分され続けています。安価で気軽に使い捨てられるものが世の中を埋め尽くすようになりました。近年、頻繁に起こるようになった劣悪な事件の報道を眺めていると、希薄になってしまった物や人との関係性にも何かの関連があるように思えてきます。

そんな中にも僅かな希望を持って「愛着」ということを見つめ直してみることにしました。私たちの周辺を見直してみると、誰にでも一つや二つは捨てられずに大切にしている物があるのではないでしょうか。そのような思いが寄せられた物たちを、ちょうど写真館で記念写真を撮影するように一つひとつ丁寧に見つめ、写真に仕上げることを心がけました。

ここに集まった写真とエピソードはそれぞれの思いが寄せられた幸せな物たちです。この撮影に取り組んだことで、私自身がまず一番に力をいただいたと感じています。そして撮影にご協力下さった方々にとっては改めてそれぞれの思いを確認する機会となったことでしょう。さらにはこれらの写真をご覧になるあなたにも何らかの歓びを感じていただけると何よりです。

撮影のために大切な物をご提供下さった方々、撮影場所としてご協力いただいた多くの施設や関係者の方々、機材等の面で助けて下さった皆様にもこの場をお借りして深く感謝の意を表したいと思います。

【北 義昭(きた よしあき)】
大阪府出身
1988年 日本写真映像専門学校卒業後、フリーランスとして活動
1987年より国内を旅し、1991年以降は海外で撮影を続ける
2002年 日経ナショナルジオグラフィックコンテスト(日本語版)グランプリ受賞

・主な個展
「Animals」(Gallery ississ / 京都)
「Ninos」(大阪、ニコンサロン )
「Eyes」(Gallery Illum / 韓国・ソウル)
「Primal Mement」 Photo Gallery International(東京)
その他多数

・主なグループ展
Bravo Beijing Olympic(Free Tibet)展(ARTBIT GALLERY / 韓国・ソウル)
art-fair “art KARLSRUHE 2010(ドイツ)(Galerie pack of patches)
“FOREIGN AFFAIRS,” Hampden Gallery,  マサチューセッツ アメリカ
その他多数

・コレクション
清里フォトアートミュージアム
“The easten present age art exhibition,” 北京中国
“Global Art Festival,” インド

・主なアートフェスティバル参加歴
韓国:水原国際写真フェスティバル、PyeongChang Biennale、ソウル・フォト
中国:第4回大理国際撮影大会(Dali International Photography Exhibition)、上海アートフェア
スイス:バーゼル
アメリカ:ニューヨーク SCOPE、シカゴ・アートフェスティバル、バーモント・アートフェスティバル
台湾:台北写真フェスティバル
フランス:パリ・アートフェア

・ステートメント
原始の記憶
私の創作活動の核となるコンセプトは「原始の記憶」である。これは、個人的な記憶を超え、時間そのものを具現化することを目的としている。風や水の侵食による地形の変容、動物の皮膚の質感、人間の肌に刻まれる皺や傷など、作品に登場する要素はすべて時間の積み重ねを象徴し、変化と継承のプロセスを示唆している。
時間は、記憶の儚さとその持続的な力を示す重要な要素である。長い年月をかけて風化する風景や自然の表面には、冷徹な変化の中に温かさが宿る。これらの表情は単なる物質の変化にとどまらず、生命や自然の息吹を感じさせ、風景そのものがまるで生き物のように見える。

本作品では、モノクローム表現を選択することで、色彩を排除し、普遍性を強調している。光と影、形のみを残すことで、時間と記憶が交錯する空間を創出し、観る者に深い思索を促す。光と影の対比は、過ぎ去った時間の流れを映し出し、風景と生物の記憶との関係性を問いかける。記憶の痕跡は風化し、輪郭が曖昧になりながらも、時間の中に何かを遺し続けていく。

作品に登場する子供の瞳には、人類の集合的な記憶が宿っている。その眼差しは、現代の時間軸を超越し、太古から続く存在の本質を映し出す。子供の表情と瞳は、「忘却」と「継承」の二重性を象徴し、時間によって削ぎ落とされながらも、なお残り続ける記憶を物語っている。風化する遺跡、動物の皮膚、子供の表情には、時間を超えてなお刻まれる痕跡が見える。人間は何かを失いながらも、同時に何かを受け継ぎ、記憶を未来へと繋げていく存在である。

私は常に「記憶とは何か?」という問いを投げかけている。記憶は個人的なものなのか? それとも集合的なものなのか? 過去はただ風化していくのか? それとも私たちを通して生き続けるのか? 少女の瞳の奥に宿るものは、単なる消えゆく記憶ではなく、受け継がれる意志である。これは、人類の存在の根源を示唆する「光」そのものなのかもしれない。

本作品では、時間と記憶の本質を探求し、モノクローム表現を通じてその普遍性を強調している。風景、遺跡、動物の皮膚、子供の表情に刻まれた痕跡は、私たちが忘れ去ったとしても、時間の中に遺り続けるものである。作品が観る者にとって、記憶と存在の意味を再考するきっかけとなれば幸いである。