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激変する都市のはざまで──「草場地春の写真祭2011」レポート

多田麻美

2011年06月01日号

 アート関係者、そして表現の自由を擁護する多くの人たちに戦慄を覚えさせた艾未未(アイ・ウェイウェイ)の拘束事件。その余波が続く北京で、春の恒例イベントとしてすでに定着しつつある「草場地春の写真祭2011」が今年も開催された。

盛況のチャリティ・オークション

 3回目の今年も多くの写真家や写真愛好家を草場地に引き寄せた「草場地春の写真祭2011」。三影堂撮影芸術中心や草場地およびその周辺を中心とした約30の画廊が会場となった。
 草場地といえば艾未未の根拠地であり、その建物の多くも氏の設計、または氏の風格を模したものから成る。そんな草場地全体を巻き込むイベントだけに、当局の妨害が入るのでは、と心配されたが、滞りなくすべての関連イベントを終了。展覧会に関しても、5月末現在、すべてが無事終了しつつある。
 それも当然で、写真祭自体は特に政治的意図をもたない、主宰者いわく「いたって健康的」なものだったからだ。しかも今回は東北大震災の被災者に向け、「愛と希望」と名付けられたチャリティ・オークションも開催。日本の荒木経惟や森山大道、蜷川実花、中国の方力鈞、徐冰、宋冬などを含む、合計約80名の著名作家が作品を提供した。寄付総額は直接寄付された金額も含め、総計138万元余(日本円で約1,730万円)に。つまり今回の写真祭は、写真芸術の国際交流を図るという本来の性質に輪をかけて、極めて「公益的」なイベントとして機能したのだった。

老大家から若手まで

 去年と同じく今回の写真祭もアルルの写真祭の関係者とのタイアップによって開かれた。その主宰者のひとり、写真家の榮榮(ロンロン)によれば、昨年に続き、若い世代と年配の世代の交流に主眼が置かれたという。
 まず開会式では若手発掘のために毎年開かれている三影堂主催の写真コンテストの受賞者を発表。メイン会場の「三影堂撮影芸術中心」では、栄誉を手にした陳哲、儲楚、張輝らの受賞作品が展示された。


写真1 儲楚《物は物に非ず──果実05》[提供:三影堂撮影芸術中心]


写真2 陳哲《ガールフレンド(私) 023》[提供:三影堂撮影芸術中心]


写真3 張輝《影像之陝西唐陵》[提供:三影堂撮影芸術中心]

 また今回の催しで画期的であったのは、現代中国の写真芸術の流れの再確認の意味を込め、中国を代表する年配の写真家たちが招聘されたことだ。呉印咸(ウー・インシェン)、夏永烈(シア・ヨンリエ)、張海児(ヂャン・ハイアール)、陳宝生(チェン・バオシェン)、凌飛(リン・フェイ)などで、いずれも1988年に初めてアルルの写真祭で中国の写真家が紹介された際に出品した作家たち。すでに逝去している呉印咸を除き、現在は70歳を超える高齢者ばかりだが、そんな彼らをなんとか探しだし、若い世代の写真家たちとの交流の場を提供した。老大家たちにとっても20年ぶりの再会となり、みな貴重なチャンスを喜んだという。


写真4 呉印咸《1935吶喊(上海)》[提供:三影堂撮影芸術中心]


写真5 夏永烈《新聞を読む》[提供:三影堂撮影芸術中心]


写真6 張海児《自らを撮影した像、広州、1987》[提供:三影堂撮影芸術中心]


写真7 凌飛《警察とスリ‐5》[提供:三影堂撮影芸術中心]

 今回はこのほかにもクリス・マーカー、ジェスパー・ジャスト、張大力など、世界的なアーティストの個展が開かれ、人気を博した。アフリカの現代写真のグループ展も衝撃を呼んだ。これらの国際的な顔ぶれをさらに豊かにしたのが、日本のアーティストだ。中国で高い人気を誇る細江英公を招聘し、中国初の個展を開催。中国で氏のオリジナル作品を見られる機会は貴重なため、ファンにとっての一大イベントとなった。Mizuma & One Galleryでは、山本昌男の展覧会も行なわれた。
 一方で、写真芸術と密接に関わる分野の発展のため、日本から町口覚や本尾久子を招き、写真集のデザインをめぐるワークショップを開催。中国では写真集の技術レベルが作品内容に追い付いておらず、写真集の多くはアーティスト自らがつくっている状態だが、今回のワークショップはその欠を補う絶好の機会となった。

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