フォーカス
舞台芸術とその周辺──異化される人間たち
多田麻美
2013年08月01日号
今年の3月から5月にかけて、北京ではパフォーマンス・アーティストの厲檳源が、全裸のまま夜の街を駆け抜け、話題を呼んだ。十字架や空気人形を抱えたり、バイクに乗ったりしながら行なわれた、本人いわく「芸術的創作とは無縁」の「自らの困惑をぶちまける」行為は、通算10回にわたって行なわれたのだった。
いま思えば、それはどこか暗示的だった。当然、直接の関係はないまでも、公共の場での自爆事件や無差別殺人といった「個人の事件」から、一万人の市民による原発関連施設の建設反対デモといった「集団的行為」に至るまで、この夏の中国は社会や外部の環境に素手で「体当たり」した事件が目立つからだ。これらが、日々閉塞感と保守性を増す社会への不信感、急激な都市化に伴う、あまりに否応ない人間の疎外化と連動していることは、想像に難くない。
そんな社会の空気を反映してか、北京の芸術界でもこの夏は、身体とその置かれた環境との関係をめぐる表現が光ってみえた。
幻想のなかのリアリティ
まずはこの夏、三影堂撮影芸術中心で行なわれた葉錦添(ティン・イップ)の写真展「夢・渡・間」から。舞台や映画の美術デザイン、とりわけ洗練された衣裳デザインで知られ、映画『グリーン・デスティニー』ではオスカーの最優秀美術賞を受賞して世界に名を馳せた葉錦添。その後も『春の惑い』や『レッドクリフ』など、さまざまな人気映画で美術を担当してきた。だがそんな彼のキャリアが、カメラマンとしてスタートしたことは、意外と知られていない。
葉にとって、現在でも写真は「世界とのコミュニケーションの方法」であり、日々、日記を書いたり、道を歩いたり、話をしたりするのと同じように自然に写真を撮っているという。そんな彼の写真作品に注目し、今回キュレーションを務めたのは、有名な写真家の書籍をこれまで多数手がけてきた編集者で、デザイナー兼出版商でもあるマーク・ホルボーン。三宅一生の作品集を手掛けたことでも知られるが、中国のアーティストとのコラボは初めてだという。
広大な展示スペースには写真、ビデオ、インスタレーションなどの作品が200点近く。そのほとんどの主人公が、サングラスをかけた、大都市の盛り場でならどこでも見かけるような若い女性、Liliだ。そのうつろな表情から、観る者はすぐ、テーマは女性自身の内部ではなく、彼女とその置かれた環境との関係だと感じとる。前知識なしに観はじめた人なら、ある時点ではっとするだろう。女性が人に似せてできた「人形」であることに気づくからだ。
操り人形などとは異なり、Liliは動かないことで、あらゆる動作の可能性を秘めている。だがその動作はいずれも想定の範囲のものだ。是枝裕和監督の映画、『空気人形』を観た者ならこう連想するかもしれない。人形とは人と同じ形をしていながら「代替可能」なものであり、平均的で没個性であればあるほど、人と社会や環境との関係を象徴的に映し出す存在だ、と。葉はある文章のなかで、こう語っている。「人形のイメージが立ち現われたとき、この世界はすでに十分長く生きながらえていた。自然のなかの多くの複雑な性質のなかから、段々と虚構化する特質が生まれ、夢の境地がもつリアルさが喚起された」。