フォーカス
舞台芸術とその周辺──異化される人間たち
多田麻美
2013年08月01日号
戦う現代人
虚構のLiliが、その静的な身体によって、むしろビビッドに身体と環境の不可分な関係を映し出していたとすれば、反対に激しい「動態」でもって、生身の人間が争いつつ異化されていく様子を表現していたのが、台湾の符宏征監督率いるフィジカル・シアターによる『戦う』だ。今回上演されたのは、すでに台湾で公開済みの第一部と第二部を一つにまとめたバージョンだという。毎年行なわれている南鑼鼓巷演劇祭の一環として上演されたもので、舞台は北京唯一の独立系民間小劇場、蓬蒿劇場だ。
作中では複数の人物が代わる代わるスポーツでしのぎを削る。真剣に打ち込むことで生まれる身体の無駄のない動きは、きわめて美しいが、どこか虚ろだ。
仕事や人間関係、将来への不安などのなかで生まれる争いや個人的プレッシャー。その拮抗する力が、スポーツの、無駄なく凝縮された動きに象徴される。本来人が努力を経て達したはずの動きが、時間に緩急をつけることによって、反対に人をコントロールしているかのような錯覚を与えるのが面白い。動作のリアリティは、メンバーの多くが実際にかつてスポーツを学んでいたことに由来し、それは監督が演目を決めた動機ともなった。関係者によれば、稽古場は毎日まるで「スポーツのトレーニング場」のようだったという。
上演後のティーチインでは、水泳や卓球を専門的に学んだ観衆から、スポーツの動きの善し悪しなどについて指摘があったが、それは逆に、彼らが舞台の動きを自分に重ね合わせずにはいられなかった証拠だとも言える。
ぶつかり合う現代人
「この種の厳しい競争は、いまや北京を含むどの都市でも感じることができる」と符監督は語る。「現代のさまざまな発展観がもつ不確定性は、人が成長するなかで必ず遭遇するもの。それは日本であれ大陸であれ同じ」。なかでも大陸は発展のただなかにあり、人が絶えずその渦に飛び込み、競争し、新しいものを追い求めている。「そういった外在的な追及は、一時的な満足をもたらすかもしれない」。だが「新たな物を手に入れないと充足感が得られない」状態のなか、「人は足を止める機会、浮つかないよう心を静める機会を忘れ去ってしまった」と言う。
符監督は「人は永遠に絶えず他人に迎合している。その迎合とは競争のかたちで行なわれるかもしれない」と、競争原理の過度な導入が人にもたらす影響を暗示する。その根底には、「人に勝てば人は自分に力があるように見えるが、自分に打ち勝ててこそ、最も強い者になれる」という老子の提唱した思想があるという。監督は最後に「現代人はつねに外界とぶつかり合っているが、自分が本当に必要なものは何かを自分に問いかけてはいない。その浮ついた足取りを止めるのは、とても難しい」と語った。