フォーカス
鼎談「アジアで、しなやかなネットワークを築く」
大友良英/相馬千秋/崔敬華
2015年01月15日号
まず相手を知る。それからやることを考える
大友──「ENSEMBLES ASIA」は大きくは3つのプロジェクトが同時に動きます。ひとつは「Asian Music Network」これはシンガポールのユエン・チーワイと、香港在住の水田拓郎(DJ-Sniff)にディレクターをお願いしていて、主に、僕らのような、独自の音楽をインディペンデントにつくっている人たちのネットワークをつくっていく仕事をお願いしてます。彼等には年に1〜2回はアジアン・ミーティング・フェスティバルをキュレートしてもらおうと思ってます。
もうひとつはSachiko Mさんにお願いして、音楽というくくりではとらえきれないような、それでも音に関する表現をしている人たちのネットワークや恊働をしていくプロジェクト「Asian Sounds Research」。日本でいえば梅田哲也さんや毛利悠子さんが先駆的な例だと思うけど、そもそも「音楽」ってくくり自体も西洋的なものかもって疑問もあるので、この辺の、決してパフォーマンスだけでは聴かせることのできない音に関わる表現というか創作みたいなものにも注意深くありたいなって思うんです。きっとおもしろい表現があるはずですから。
そして、誰もが参加出来るオーケストラをアジア各地のネットワークのなかで構築することを目指す「Ensembles Asia Orchestra」。これらが独自に動きながら、大きなうねりをつくっていければって思っています。
とまあ始まりはしたものの、国際交流基金のような機関とこれまで仕事をしてきたことがなかったんで、僕にとっては初めてのことづくしです。自腹で動いて来たことを考えれば、公的な資金で動けるのは、とても助かることだけど、でも気をつけてやっていかないと、もともと僕らのようなタイプの音楽家はこういうところから助成を受けて活動するようなことはないので、みなの経済バランスを崩してしまいかねない。特に日本のお金は、他の国から見ればかなり大きな額になるだけに気をつけなくてはって思います。
それから、気になるのは、こうした公的資金の援助を受けて来たのは、これまではある程度の教育を受けて、そういった申請が出来る、アジアの国で言えば英語が出来る層、大学を出ている層に、そういう助成が出やすいって構図があると思うんです。じゃなければ、伝統音楽として社会的に認められているような音楽への助成は比較的出やすい。でも、そういう層だけでは、僕自身がおもしろいと思って来た音楽の多くが抜け落ちてしまうんです。その辺のことも考えねばって思います。
さらには、僕らは、他の国のことをそんなには知らないってところから謙虚に始めるべきだと思うんです。僕自身にしても欧米より、近隣の国々のほうに全然行ってなかった。他の人よりは行ってたし友人も沢山いるけど、それにしたって欧州のほうがはるかに多いですから。
例えば「Ensembles Asia Orchestra」のプロジェクトで行ったとして、まずはそこで出会った人たちと一から考えるテーブルをつくっていくような方法をとりたいなって思ってるんです。日本でやったワークショップをそのまま持って行くんじゃなく、まずはそこの人たちと知り合い、メシを食ったりしながら一緒に何がつくれるかを考えて行くところからはじめていきたいって思ってるんです。行って、ちゃんと出会って、その中でワークショップの方法を一緒に探していく。
先日「Ensembles Asia Orchestra」のプロジェクトで行ったインドネシアは、カメラマンの石川直樹さんや社会学者の開沼博さんと一緒だったんです。最初このプロジェクトを「アマチュアの音楽家」によるオーケストラって言ってたんですが、どうも、自分が関わる音楽でプロとかアマチュアって言葉がしっくりこないんです。この言葉では、なにも現状を言えてないというか。特にインドネシアなんかに行っちゃうと、とにかくどこに行っても音楽が豊かで、伝統的なものもあればノイズのようなももあるし、そのどれもが非常に自生的というか、スポンティニアスというか、プロが音楽をやってるってより、普段農業をやってる人がすごい音楽をやってるしって感じなんです。今、僕らのまわりだって、すごい音楽をやってるけど、職業は別にある人なんて沢山いるわけで、なので、プロとかアマチュアに代わる何か違う言葉はないかなって相談をしていたんです。そのなかで石川君が「バナキュラーな音楽」ってのがあるんじゃないかって言い出して。音楽家なしの音楽……みたいな概念なんですよね。ただ、バナキュラーって言葉、一般の人は知らないし、音楽のジャンルみたいにとられちゃうとよくないんで、なにかいい言い方はないかなって思うんです。
崔──土着の、とかそういう感じになっちゃいますよね。
大友──そう。だけど、本来の意味は日本語の土着という語感とはちょっと違うんです。
崔──それと、伝統と変なふうに結びついちゃう。
大友──そうなんですよね。音楽の場合でいうと、伝統というと、どうしてもエスタブリッシュされた古典的なものを連想してしまうでしょ。日本で言えば和太鼓アンサンブルとか、雅楽とか、インドネシアだったらガムランとか。でも例えば、僕らが伝統だと思ってるようなふんどしスタイルの和太鼓アンサンブルだって71年に結成された鬼太鼓座がピエール・カルダンのアイディアを取り入れてサントリーのCMの際につくったものだったりするんです。バリの竹のガムランのジェゴグだって、滅びていたものを70年代にもう1回つくり直したものなんです。それだけじゃなく、ついつい僕らは、雅楽とかバリ島のガムランのように、しっかりエスタブリッシュされているものが正統な伝統だって、昔から続いている音楽だって思いがちでしょ。でも、本当に悠久の昔からそうだったかどうかなんて、実はちゃんと知らなかったりする。ロックよりも新しいものもあったり。本来、そういう音楽って日々作られ続けて来たものだと思うんです。それが何らかの理由で、あるときつくられたものを固定化して、それを基準に僕らは古典とか伝統とか思い込んでしまうけど、気をつけなきゃいけないのは、そんななかで、僕らはついつい無意識のうちに日本風とか、アジア風というものが昔から変わらずあると思い込んでしまったり、それこそがアジアみたいなステレオタイプを、意外と安易に生んでしまいがちだってことなんです。だから僕らがアジアで音楽をつくっていくときに、アジア性みたいなもんに足をすくわれたくないなって思うんです。かつて、欧州でさんざん「あなたの日本性は?」って聞かれ続けたことと同じことを自分自身でしてしまわないようにしたいなって。
なのでここで言ってるヴァナキュラーは、例えばノイズ・ミュージックとか即興演奏みたいなものも、むしろヴァナキュラー的な音楽のありかたのひとつなんじゃないかって思ってるんです。
まあ、でも、その前の大前提として、そもそも僕らは、近隣の国の音楽のことも音楽家のことも、僕らみたいにインディペンデントに動いてる音楽家が結構いるってことも全然知らないって状況があるんで、その辺を、まずはちゃんと紹介するところから初めていければいいかなって思ってます。
インディペンデントとインスティテューションの往復
相馬──結局、組織の中では個々のスタッフも個人としてやれるわけじゃない。インスティテューションのルールと判断基準でやらざるを得ない。アジアで何かをやるときに常に思うんですけど、インディペンデントとインスティテューションって、どっちかに傾きすぎても難しいところがある。インディペンデント、つまりアーティストや私のようにフリーランス的な立場では、根本的には自分が信じることを実現していけばいい訳ですが、アジアではそれが経済的に回らないリスクも非常に高いわけですね。日本はそれでもまだ公共・民間含め資金調達可能ですが、東南アジアでは全く貨幣価値が違うから、相手からのインカムというのは期待できないので、インディペンデントなだけでは、結局すぐ限界にぶち当たる気がします。そもそも民主主義が非常に不安定な地域もあって、それ以前にアジアに民主主義があるのかという問題もありますが、もともと個人に立脚するアートと国家の相性っていいわけないじゃないですか。だから、インスティテューションの中だけでやっていくと、例えば検閲の問題とか、さっきの中国の話じゃないですけれども、そもそも表現の自立性みたいなことが危うくなる危険性もある。なので、インスティテューションとインディペンデントの間をプレーヤーとして軽やかに行き来できるような方法論をとることがすごく重要な気がします。
大友──そう。そういう人が必要なんですよ。オレもそうならなきゃいけないと思って。だいたい僕自身がYCAMとやるまではインスティテューションのこと知らなかったんです★18。税金で制作が行なわれているって現場を前に、これ、オレが使っていいの? ってまずは素朴に思いましたから。
相馬──ヨーロッパでも、結局元を正せばそうなんですけどね。
大友──そうなんですよ。それまでは、呼ばれていって1日演奏するだけだったから、そのことを考えてなくてよかっただけで。そもそもオレだって税金を払ってますからね、毎年結構な額を。まあ、それはともかく、僕らには税金を使う権利だって当然ある。でも、そんなことを本当に真剣に考えだしたのは、震災で福島に入ってからです。使う以上は自分で納得したいって強く思います。
相馬──私もとあるインスティテューションで企画をやった際、歴史認識にはいろんな見方があるから、そういうものに触れるものは一切やらないでほしいとはっきり言われたことがあります。
大友──歴史認識に触れない作品なんかないじゃん。
崔──そうですよね。
相馬──そう。それをインスティテューションの学芸員がアーティストやキュレーターに言わざるを得ないという事態になっている。文化の側だと思っている人たちが、ある種オートセンサーシップ、自己規制をしなければならないという事態が起きている。これからアジアに関する文化事業は、少なくともオリンピックまで、国際基金のアジアセンターをはじめ、国家レベルでどんどんお金がついていく。文化庁も、東アジア文化都市というのを始めて、2020年まで毎年、日・中・韓の3都市で大規模な文化交流イベントが開催される。そういう、表向きには右肩上がりのアジア関連文化予算だけど、それを使うことによって自分たちの表現の首を絞めるようなことは絶対にしてはいけないと思うんです。そのために、私はまだ模索中ですけど、インディペンデントなものとインスティテューショナルなものをうまく行き来するようなあり方をアジアの仲間と共有できないかと思っているんです。
私、今、新しいNPOをつくっていて、「特定非営利活動法人芸術公社」★19という団体を設立しました。表現、芸術というのは時代と社会に応答するものなんだという、すごく当たり前だけれどもあえて言っておきたいことを理念として謳うと同時に、その理念や方法論をアジアの仲間と共有するプラットフォームとして考案しています。
実は、「r:ead」を台南でやってくれたゴンさんを中心に、台南でも芸術公社も設立しました。芸術公社というのは一個の理念共同体みたいなもので、あくまで理念を共有したインディペンデントな個人、インディペンデントな集まりを想定しています。それをかっちり組織化すると、無駄なヒエラルキーが生まれたりとか、組織そののものがメンバーとともに老いていってしまうものなので、あくまでも理念を共有する者がそれぞれがインディペンデントなスタンスで関わるということが大切な気がします。もちろん必要に応じて公的な資金もとるし、例えばゴンさんみたいに大学というインスティテューションの先生であれば、そこを利用する形で全然いいと思うんです。そういうインディペンデントな理念や動きが、状況に応じてインスティテューショナルなものに寄生したり、恊働しながら事業をやっていけばいい。
今日のアジアでは、ある国の民主主義が崩壊するとか、一党独裁制になってしまうとか、あるいは戦争が起きる、ということが十分にあり得る。そういう、政治的状況に左右されるインスティテューショナルなものが元来持っている不安定さを吸収しながら、インディペンデントな活動をやり続けられるプラットフォームをつくっていきたいんですね。
こうした試みは、おそらく多くの先達が、それぞれのジャンルや関係性の中で既にやられてきたことではあると思うんですけれども、自分も一実践者として真面目にやっていきたいと思います。というのも、表現の現場で感じるある種の危機感が、ここ数年かなり大きくなっているからです。こうした危機感を、アジアで同じような理念を持つ人たちと連帯することによって、少しでも緩和できないかと考えています。
崔──ある種の小さなオートノミーというのは、例えばインドネシアだと、パンクの人たちが、音楽をしながら、それがほんとうの物理的なコミュニティとして存在しますよね。
大友──インドネシアはそうですね。パンクとかデスメタルの人たちの動きがすごい。
崔──パンクという音楽のジャンルを形成している理念を実生活に落とし込んで生きているという人たちがいたり。日本は、いろんなものがおしなべて平たくなっているから、みんなの生き方も平たくなっているんだけど、逆にまだ整っていないところだと、そういうのがぽっぽっと独立してあるというのがすごくおもしろいなと思って。私がジャカルタで一緒に仕事をしていたアーティスト・グループのルアンルパで、みんなでいろんなものをシェアしながらつくったり、考えたり、ただ単に一緒にいたり、その中で問題にしていることって、欧米を軸にした「アート」がどうのとかいうことじゃない。自分たちがいる社会環境で、いま何がおもしろくて、何がアプローチすべき問題かというところにすごく実直で、そこに対して自分たちがやれることをやっていこうということなんですよね。それがすごく新鮮だったんです。
インディペンデントでいたときは、そういうことを日本でできないかと思っていたんですけど、色々な意味で個人的に限界を感じたり、環境の変化を求めていた時に、日本の美術館の学芸員になるという機会に恵まれました。当たり前の話ですが、一個人として、いまここでやるべきだと思うことをきちんと保持しつつ、それを組織レベルで実現していくかというのは、すごく大きなチャレンジだなと実感しています。
相馬──それは、インスティテューションの枠組みをある種利用することによって、より大きな影響力を持てるということだと思う。
崔──組織で何かをするには、色んな人やシステムやルールと交渉したり、調整しないといけない。でも多くの人がその中で何ができるかを一生懸命考えて工夫しているし、いろんなしがらみにもまれながらも、その中で自分の主体性をいかに発揮していくかもがいてもいる。「歴史の配合」のシンポジウムのとき、中国のキュレーター、キャロル・ルーのプレゼンテーションで、アーティストたちが共産主義のイデオロギーに組み込まれたアートをつくらなきゃいけないという状況の中で、どういうふうに自分の表現をしていたかという話がありましたが、いつの時代でもどこの国でも変わらないなと。
相馬──だから、インディペンデントとインスティチューションって、対立しているものではないと思うんですよね。両方どっちつかずにしなやかに往復できるようなやり方でアジアをサバイブするような。
大友──線引いて対立軸をつくっちゃうと何にも動かなくなっちゃうから。
相馬──その時点で負けだと思うんですよ。表現の自由が完全にあった時代や地域なんかないわけですから。そのこと自体は問題じゃなくて、どの事象も一つひとつ、個別に見ていく必要があると思うんです。ざっくり「アジア」と言うこと自体、みなさん違和感を覚えているのと同じように、ざっくり「アート」と言っても、実は全然違うことをしゃべっているケースってすごくあるわけですよね。だから、その地域や状況の個別性を一つひとつを丁寧にすくい上げていくような眼差しが重要になってくる。
歴史をアーティストが掘り起こし、更新していく
相馬──それと、全然違う角度からアジアということを考えると、日本の外のアジア地域というのに目が向きがちなんですが、日本の中にあるアジアというものにも目を向けていく必要がある。戦前からあるアジア人コミュニティに加え、いま、アジアからの移民、労働者、留学生などはすごく増えているし、そういう人たちが日本の社会のシステムの中、あるいはその周辺で、労働や教育などにもどんどん参画しているわけです。そういう「内なるアジア」に対するまなざしってすごい必要なんじゃないかなと思っていて。日本人の中にも、アジアというと、西洋人がアジアに持っているようなある種のオリエンタリズムが必ず機能してしまうというフレームがあるじゃないですか。ある種の欲望の対象だったり、あるいは、それこそ嫌悪の対象だったり。でも、実はものすごく身近なところにいる他者としてアジアの人たちであるとか、文化であるとか、食であるとかというものを捉え直す。それこそ再定義するような、そういうことが可能なプロジェクトというのもやっていきたいと思うんですね。
2013年の「F/T」で、PortBの高山明さんにやっていただいた「東京ヘテロトピア」★20 というプロジェクトがあります。ヘテロトピアとはミシェル・フーコーの言葉で、ユートピアという実在しない理想郷に対する、実在する異郷のこと。東京の中にあるアジア人コミュニティや、アジアからの留学生たちがかつて残していった痕跡のような場所をかなり長い期間かけてリサーチして、13か所をガイドブックにまとめました。お客さんがそれらの場所を訪問し、携帯用ラジオの周波数を合わせると、朗読が聞こえてくるんです。それはリサーチを経て日本の作家に書いてもらった物語で、よく聴くとその場所の記憶や歴史にひもづいていることが分かる。「F/T」のときは13カ所でしかできなかったんですけど、これから2020年、あるいはそれ以降に向けて、数百カ所に増やしていきたいと考えています。匿名、無名の、都市にあるさまざまな歴史や個人の物語のレイヤーというものを掘り起こし、可視化するような作業をしなくちゃいけないと思っているんです。やっぱり今、対韓国とか、対中国とか、対歴史問題とか、初めに大きなフレームがあって、そのフレームを見せるために個人が動員されている気がするんです。でも、現実は逆で、個人がいるから歴史があるわけじゃないですか。ヘイトスピーチとかもそうだと思うんですけれども、そこには個人の顔が全くない。ある具体的な個人にはそんなこと絶対言わないでしょうというようなことを言っちゃったり、やっちゃったりするわけですよね。個人の集積が歴史を語っているのであって、歴史を語るために個人を利用しちゃいけない。そういう倫理観みたいなものを、もっと身体レベルで人々と共有できないかなと思うんです。
大友──歴史の見方を更新していかなきゃいけないなって思うんです。たとえば音楽でも、ジョン・コルトレーンが時代を切り開いてフリージャズの時代が来ましたみたいな、面白くて立派な事例を進化論的にならべても、戦国時代の武将の国取り物語みたいになるだけで、なにも見えないというか、歴史は他人事で終わっちゃう。だからといって、歴史は個人個人全部違うって言っちゃうと、それはそれで何にも見えなくなる。重要なのは、決して一本軸ではない歴史が、個々に山のようなバリエーションであるってのをどう見せていくかというのが、多分皆さんの役目だし、物をつくる人間の重要な役目なんだと思います。音楽家ってのは多分個人でそれをやっているようなもんで。さっき歴史認識がない作品なんかないじゃんと言ったのはそういうことなんです。
崔──今、そういう作業をしている若い世代のアーティストは多いと思います。90年代は、アジアの作家たちがインターナショナルに流通するようになった時代だから、自分たちのアイデンティティや、社会状況のありのままを提示することを目指した作品が多かった。でも、最近は、自分たちの国の歴史が、いかに多くを見落としている歴史なのかということに対して積極的に目を配る作家たちが増えてきています。ある社会のマージナルな存在やその歴史に焦点を当てて、つぶさに調べていく作家たちの出現というのは、情報へのリーチを可能にするインターネットの普及とすごく連動していると思うんです。次の展覧会は「アジア」という言葉は入れずに、「他人の時間」というタイトルなんです。そういうふうな何かこれまで知らなかった、歴史からこぼれ落ちていたナラティブや過去の記憶にアプローチする作家たちの試みが、具体的な他者というのを全く見ていない盲目性や暴力性、他者への想像力の欠如というものに反応できないかなということに興味があります。
大友──「アジア・ミーティング・フェスティバル」 を、今から10年前に始めたきっかけは、もちろんヤン・ジュンやハンキルたちと出会ったのもあったけど、同時期に教科書問題で中国で反日デモがあって、日本料理店が破壊された事件があって、それ、ショックだったんです。だって、日本料理店まったく関係ないじゃないですか。それもさっき言ったステレオタイプのひとつでしょ。ヘイトスピーチも全くそうじゃないですか。実際にヘイトスピーチまでやらなくても、話してみるとそういうメンタリティを持っている人が多くて。稚拙かもしれないけど、オレは知り合っちゃえばいいって思ってるんです。友達になっちゃえばいいって。
相馬──それこそ展覧会を見に来る層や劇場に来てくれる層は、多分もう十分にリベラルで偏見は持っていないかもしれなくて、それ以外の大多数にどうやったらリーチできるかということを私たちはほんとうに考えていく必要がある。
大友──そうなんですよ。それで震災後テレビだって思ったんです。「あまちゃん」でやろうとしたのが、まさにそれです。面倒くさいこと抜きでとにかくおもしろいってもののなかで、でも、じっくり見ていけば、別の物が見えてくる。そんなものをつくりたかったです。でもその先が難しい。もっと先があると思ってます。それでも、今はオレ、テレビに可能性を見ています。
相馬──わかります。
大友──だって、展覧会とか、こういうコンサート、普通の人は来ないもん。来る人はもう知っている。そうじゃない大多数の人たちとどうつきあっていくか、それはオレが福島で一番感じた、一番難儀だけど突破しなきゃいけないことでもあるんです。
崔──多分それを考えると美術やってられないと思う。
大友──でも、やってほしい。頭いい人がそういうことやってくれないとはじまらない。その上で次がなくちゃだめで。本当はそのあたりが音楽に出来ることかもって思うんだけど。
相馬──でも、あるリテラシーを持っている人にしか伝わらない表現ってやっぱりだめだと思うんですよ。誰もそういうものをつくろうと思っていないと思うし。もちろん現代美術の場合、例えば、世界的に高い評価を受けている田中功起さんの作品は、現代美術が依拠する文脈がわからなかったら、単純には楽しめない面って正直あると思います。でも、だから伝わらない、伝わらなくていいということにはならない。文脈や作品背景ってある程度説明すれば通じることだと思うので、そこで絶望はしたくないし、そんなこと言っていると、全部やめちまえの世界になってしまう。
大友──その意味でトランスというか、行き来する人が必要で、インディペンデントとインスティテューションの行き来だけじゃなくて、そこいらのガキとのあいだもね。
相馬──確かにアジアでそういうことを考えるときに、サブカルってばかにできないというか、むしろ間違いなくあっちがメインだと思ったほうがいい。
大友──そうなんですよ。そこいらのガキがすごいもんを聴いてる。ノイズとかもね。
相馬──そうそう。例えば日本のアニメも、経産省のクールジャパン戦略としてアジアで大々的に輸出されている面はもちろんあるんだけれども、驚くべき波及力がありますよね。誰しもが触れられるものの中に日本のカルチャーの素晴らしさも暴力性も折り込まれている。やっぱりいろんなレベルで行き来することですよね。
大友──そこをを行き来できることが必要。お二人はその役目だと思います。オレもそのつもりでやっているし、ミュージシャンはそういう意味では身軽ですから。最初から、音楽はインスティテューションとは関係なく動いているってのが強みだと思うんです。美術家のほうがそのへんは大変そうだけど、逆にとてつもなく深いものが出てくる可能性もあるし。