フォーカス
鼎談「アジアで、しなやかなネットワークを築く」
大友良英/相馬千秋/崔敬華
2015年01月15日号
コミュニケーションの乖離を越えて
崔──さっきおっしゃっていた、音楽は一緒にできるけど、ほんとうに言葉を介してコミュニケーションしたら全然考えていることが違っていたというそのアンビバレントな感じ。
大友──でも、その感じはネガティブなものでは決してないんですよね。むしろ気持ちがいい。言葉も音楽も全部一致してしまったら気持ち悪いと思うんです。
崔──コミュニケーションしているんだけど、実はその間に乖離があると見るのか、乖離があるけど、つながっているところがあると見るのか、どっちも言うことができますよね。
相馬──絶対乖離ですよ。だって、「r:ead」だって、やってよくわかったでしょう。要するに、コミュニケーションとしてはある種失敗というか、完全にわかった、一緒にやろうみたいな雰囲気には絶対にならないじゃないですか。でも、だからいいというか、そもそも個別なんですよ。一人いたら、その人なりの価値観や歴史観や問いかけがあって、それを無理やり一緒にして、共同制作しましょうというのは個人的にあまり信用していなくて、もちろんそういう作業があってお互い交流するのはいいことだと大前提としては思うけれども、やっぱりアーティストなんてと言ったら失礼ですけど、すごくエゴイスティックだし、絶対おれが一番正しいと思っているし、それでいいわけですよね。だけど、そこに他者の批判であるとか、コミュニケーションの失敗みたいなものを織り込んでいくことで問いが深まればいいかなと。
大友──完成したプロダクトをつくることが作品であるっていうのはすごく20世紀的な考え方だと思うんです。特に音楽の場合はそうで、録音された音楽が音楽と呼ばれるようになったのが20世紀の音楽の最大の特徴だとも思うんです。それはそれで今もあっていいというか、その先に耳にイヤホンを突っ込んで音楽を聴く習慣があると思うんだけど、そうじゃない音楽のありかたをつくっていく必要もすごく感じてるんです。完成品を聴かせるのだけではなく、「場」をつくっていく中で音楽が機能するような、決して録音という形では切り取れない現場そのもの、音楽が生き生きと生まれる場そのものを創出していくような、そんな現場を録音文化のあとにどう再生していくのか、そのことが重要で、それにはさまざまな人たちとの新たな恊働の枠組みをつくって行くことが欠かせないと思うんです。福島で切実に感じたのはそのことだし、それはそのままアジアとの恊働の中でも感じてることなんです。
でも恊働って一言で言っちゃうけど、そんな簡単じゃない。いつも思うけど、夫婦だって、恋人だって、うまくいかないのに、赤の他人が一緒にやってそんな簡単にうまくいくわけないだろうと思うんだけど、だけど、それでいいんだと思うんです。うまくいかないことも含めて、僕らはそこからやっていかないと。
相馬──ということを受け入れられる寛容さみたいなものを鍛えていく必要があるんですよね。結局、アジアの難しさというのは、歴史によって何世紀にもわたって構築されてしまったある種の非寛容的な態度というか。それはそうだよね、あんなひどいことしたんだもの、絶対信用しないという。その非寛容って仕方ないことだし、やっぱり人間も動物だから、1回受けた暴力は絶対に忘れないというのはあると思うんですけれども、それすらも別の回路で乗り越えられるような破壊力があるものって実はあるんですね。例えば宮崎アニメとか、村上春樹の小説って、軽く乗り越えて、中国でもベストセラーになるということがあるわけだから。やっぱり文化には、暴力や差別を乗り越えて個人の内面に直接作用する力があるし、逆に言うとそういう力ぐらいしかないというか。だって、戦争が起きても何もできないわけですから。
大友──相馬さんがやっていらっしゃるのは、アーティストとアーティストが出会う現場をつくっているわけでしょう。作品って意味では恊働作品ってなかなかうまくいかないかもしれないけど、でも作品はともかく、そのことで友達になるかもしれないじゃない。オレ、それでいいと思うというか、そこがまずは大切だって思うんです。だって、そこがないんだもの、そもそも。
──相馬さんも大友さんも福島で別のプロジェクト★21 をされていますが、アジアと福島、ふたつの間には何かつながりはありますか?
相馬──どちらも、自分の中で強い必然性があって取り組んでいることですが、相互の関連性は今のところ特にありません。福島や震災後の表現に関しては、何かやられずにはいられないということでしかないと思っていて。つまり、自分にとって表現とかアートというのは、今の時代とか社会とか、自分が生きている世界に対する応答でしかないと思っています。
大友──オレの中では繋がってるんですよねえ。というか同じような問題に突き当たるんです。さっきの恊働の話もそのひとつだし、音楽家なしの音楽というかヴァナキュラー的な音楽のありかたを考える必要も福島であれアジアのほかの地域であれ変わらないというか同じ地平の話だと思ってます。そして、もうひとつ大きいのは「主語問題」とオレは呼んでるんですが、震災後、海外に行くと必ず「福島の人はどう思っているんですか?」って質問受けるんです。でもオレ福島を代表してものなんて言えないし、そもそも福島の人って誰のこと言ってるのって思うんですよ。「日本の人はどう考えてるんですか?」って質問も同じ。そんな主語で答えようがない。
相馬──当事者問題ですよね。
大友──「福島に育ったことがある大友良英はこう思います」とは言えるけど、「福島の人はこう思います」とは言えない。アジアの場合も全く一緒で、「アジアでは……」って主語で話すことなんて出来ない。出来ないのについつい僕らはやってしまいがちなんです。さっきも言いましたが、自分が「あなたの音楽の中の日本人性は?」って欧州の人に聞かれると差別的だなって思うのに、自分もついつい「アジアは……」ってやってしまう。そもそもアジアってカテゴリーは何なのって思っているのに。だけど、便宜上使わなくちゃいけないじゃないですか。「福島の人はどう思っているの?」というのも便宜上出てくることもあって、頭からそういう主語全てをばさっと否定する気はないんだけど、ただその思考方法の問題にいつも突き当たるってところはそっくりなんです。
もうひとつ、福島のことに関して当事者問題ということでいうと、オレは加害者意識で動いていたつもりだったんだけど、プロジェクトFUKUSHIMA!のメンバーの中には被害者意識が原動力になって動いている人ももちろんいて、「私たちはどうせ差別されている」「よその人にはわからない」って言葉がものすごくよく出てくるんです。でも、そこのスパイラルに陥っちゃうと、僕自身はどうにもコミットできなくなってくる。難しいなあって思います。アジアの地域と出会っていくときに、この加害者、被害者問題が出てこないとはかぎらない。
相馬──非常に根本的な問題だと思うんですけど、当事者にしか語れないという当事者性の特権みたいなものを持たずに、しかしながら、勝手に当事者を代弁することなく、いかに問題を宙づりにして顕在化させるかというのがアートの根本的に得意なところだと思うんです。当事者しか語れないことを勝手に代弁したりとか、あるいは、善悪に分けて、こっちはマルで、こっちはバツみたいにやってしまわず、複雑なものを複雑なまま表象する態度というか。
崔──当事者であるということで、逆説的に自分の気持ちを維持している人たちっていると思う。その人たちの気持ちというのを当事者ではない人にわかると言うことはできないと思う。
大友──そうなんです。そうした気持ちを踏みにじるようなことはしたくないし。
崔──それはそれとして、ある種受け入れるというのが。
大友──面と向かうとけんかしちゃうんだよね。
崔──でも、それは、けんかと言うとそうなんですけど、交渉としてすごく大事なことだと思うし、むしろけんかがなさすぎるというところに問題があると思う。
大友──お互いに傷には触れないでおく。
崔──それはほんとうにいろんなところで起こりますよね。日韓の問題もそうだし。
相馬──男女間とかね。
崔──それ、何でしんどいかというと、自分がいまの自分であることを侵されるかもしれないという恐怖感だったりするわけじゃないですか。でも、その交渉を違うレベルでできるというのが、美術とか音楽のいいところだと思うし、それを避けてちゃいけないのかなと思う。
相馬──だから、そういうタブーをある種侵して、けんかができるということがさっきの寛容さにもつながっていくと思うから、やっぱり対話は必要だということですよね。
大友──オレはまずは一緒にご飯食えばいいと思っているんだけどね。
相馬──そうそう。単純にそういうことなんですけど。
大友──一緒にお酒飲んだりとか、まあオレは下戸なんで、メシ食えばいいっていつも思ってるんです。音楽は、多分、そういうプリミティブなコミュニケーションにかなり近い役割をはたせるんじゃないかなって思う時があります。そもそも理屈で歌ったり踊ったりしないですから。何だか楽しいというのが基本じゃないですか。だから音楽はあまり立派にならなくていいって思ってるんです。美術は逆に立派になったほうがいいかもしれないけど。
崔──いや、わからないです。
大友──それは言い過ぎかな。
崔──音楽をやっている人たちが、音とかリズムといった抽象的なところでつながっていくというところがすごいなと思う。
大友──言語だけが文脈をつくっているんじゃないと思うんです。リズムだってその文脈と関係ない人には全く読み取れないけど、関係ある人には、聞いただけで、ああ、これはどこどこの盆踊りだってわかったり、ああジルバのリズムだってわかって踊れたりする。でもそういう文脈を知らなくても、なんとなくなら踊ることも出来る。そういうのも含めてのコミュニケーションというか。ただ音楽が恐いのは、言語を介さなくても盛り上がれる表現なだけに、言語的な思索や思考のフィルターを通さずにとんでもない方向で盛り上がることだって出来るんです。戦争を賛美してみなで盛り上がることだって出来る。みんなでマーチで盛り上がりながら敵を殺せと歌うわけだから。ほんとうに怖い。音楽はどっちにでも振れられるから。
崔──美術もそうだと思う。
相馬──演劇はもともとずっと反体制だから。
大友──でも、演劇だって、中には戦争賛美のものもあるでしょう。
相馬──もちろんね。ヒトラーは一流の役者とも言える。
大友──恐ろしいのは、それがおもしろかった場合だよ。音楽的にすごくおもしろくて、歌詞聞くとヘイトスピーチだったとかって、ほんとうにやばい。けど、そんなことが起こらないとも限らないという危機感はずっと持っているの。音楽が力持たないほうがいいとよく言っているのはそういう意味なんだけど。
相馬──どこか冷めた目で見れるような。
大友──トランスする人も必要なら、ちょっと引いておちょくる人も、そして厳しく批評する人も必要ってことかな。
相馬──そういうことをやっても怒られないような寛容さですよね。風通しが悪いからこそ、そういうものの寛容さのレベルを上げていかないといけないんじゃないかな。
崔──個人が個人でいられなくなっちゃうんですよね。これだめ、あれだめと言っていたら、言葉が死んでいくし、個人の思考が死んでいくし、そうなると、文化って何や? という話になっちゃう。
相馬──一方で、台湾で「ひまわり革命」からの流れがあって、選挙で与党が惨敗して、総統が党主席を辞任したり、香港の「雨傘革命」も失敗はしたけれども、学生のああいうマニフェストが世界を驚かせたりとか。
大友──20年前だったら信じられない、香港であんなことが起こるなんて。
相馬──だから、変わってきている部分がある。それに比して今の日本は何なんだという、また別の問題もあるんですけど。ただ、アジアには、まだ民主主義が未熟ゆえのポテンシャルというのはあるはずで、それが必ずしもアートというフレームとかパッケージにおさまらなかったとしても、むしろそういう枠組みを食い破る形で発展していけたらいいなと思う。
崔──未熟という言葉をおっしゃったんですけど、美術作品をとっていえば、あるアジアの国のアーティストの作品を見て、とっさに未熟と思ってしまう自分がいます。欧米を軸にした美術というものが取り入れられて、ある種のモダニズムの伝統だとか啓蒙思想がしつこく息づいている価値判断から逃れられないところがある。
大友──ある。おれ、フィリピンの日記★22 に書いたのがそれだもの。
崔──でも一方で、そういう目線は違うんだと、「アジア」はこうなんだと、美術館でそればっかり見せてしまうと、それはそれでどうなのかというところはあると思うんです。
大友──そうですね。それだと何も変わらない。
崔──それに今の若い日本人のオーディエンスたちが自分の立場に引きつけて共感できるかといったら、多分それは違うと思うんですよ。美術館での展覧会で提示されるものが、どういうふうに受け入れられるかを考えながら、これまでの「アジア」にたとえ少しでも揺さぶりをかけるのは大事だと思っています。
相馬──難しいですよね。それぞれの地域によって、何て言ったらいいんだろう、例えば成熟度って違うわけじゃないですか。だから、複数の価値基準を持たざるを得ないというのがアジアの現実であると同時に、でも、それぞれだよねと言ってしまうと、今度は、それはそれで、弊害があると思っていて。
大友──思考停止になるからね。
崔──相対主義になっちゃう。
相馬──意外とそういう差異を乗り越えているジャンルとして映画があると思うんです。映画って、基本的にどこであろうがつくり方や普及の方法が一緒だと思うんですよね。もちろん経済的な高低はあるにしても、フィルムがあって、それを映写する機械とスクリーンさえあればどこでも再現可能で、世界的にも批評の軸を共有しやすい。例えばタイでアピチャッポン★23 のような才能が出てくるとか、わりと経済的に後進地域でもそういう基準を共有しやすいというのはあると思いますね。そして、やっぱり映画って基本は物語だし、国民的な俳優が出てきたりとか、すごくいい意味で大衆文化と結びついている。それに比して演劇というのは超どロカールなので、批評を共有できないどころか、まず作品を見に行けないんですけど、みたいなことがあるわけですよね。
個別のローカルな文脈を汲み取りつつ、アジアである程度共有していけるような批評の言語とか、プラットフォームはあったほうがいいなと思うんです。それは表現者というよりは、むしろジャーナリストとか、批評家の仕事だと思います。そういうものがあった上で、個別の作品がしっかりと論じられて、言論が積み上げられていくというのが必要で、まさに崔さんが展覧会で考えられている戦略というのもそういうことだろうと思います。
(2014年12月17日 新宿PIT INN Bスタジオ)
(撮影:下川晋平)