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【ロンドン】複製が伝えるもの──ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館 キャストコートでの経験から

森尾さゆり(コンサバター)

2021年09月01日号

古代から現在までの5000年にわたるコレクション、とくに装飾美術とデザインが充実していることで知られているロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート美術館(以下、V&A)。広大な展示室のなかでも、キャストコートは吹き抜けの二つの大きな展示室からなり、ミケランジェロのダビデ像をはじめとする著名な彫刻作品や建造物の石膏の複製(キャスト)が圧倒的な迫力で並ぶ。19世紀の開館当初、そのコレクションは職人や芸術家の教育、それによる製品の質の向上による経済活性化を目指して公開された。現在、オリジナルが経年や環境の変化によって劣化していくなかで、複製がもつ価値も変化しつつある。キャストコートで、コンサバター(保存修復師)としてさまざまな展示品の修復に携わった森尾さゆり氏に、キャストの修復作業の実際と今日的な意義についてご寄稿いただいた。(artscape編集部)


V&Aにあるサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂の栄光の門の石膏キャスト
[© Victoria and Albert Museum. London]

V&Aキャストコートの特異性

なんという情熱だろう──V&Aにある、サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂の建築彫刻の石膏複製を見上げて、まず出てきた言葉。その大きさは幅18m、高さ11m。これを19世紀の職人はスペインに赴いてオリジナルから精密な型をとり、ロンドンの工房に持ち帰ったのちに、作った石膏の複製ピースをV&Aで組み立てたのだ。その制作期間は、わずか2カ月と言われている。

2019年、筆者はその「ポルティコ・デ・ラ・グロリア(栄光の門)」と呼ばれるポルティコの石膏複製作品の修復作業にコンサバターとして携わった。大聖堂のポルティコはマスター・マテオによって12世紀に花崗岩を使って作られた、ロマネスクの傑作だ。ちょうどV&Aとときを同じくして大聖堂のポルティコも修復中で、双方のコラボレーションによる研究もなされた★1。そんな繋がりもあり、プロジェクト終了後、ロンドンがコロナでロックダウンになる直前に、実際にスペインのサンティアゴ大聖堂にあるオリジナルを目の前にする機会も得た。複雑な彫刻の詳細が筆者が知っているV&Aのものとまったく同じであるという当たり前のことが、実際にそれを目にすると新鮮な驚きで、鳥肌が立ったのを想い出す。19世紀の人たちは、このポルティコの迫力と感動を、ロンドンにてそのままの大きさで伝えたかったのだと思う。



修復作業風景。地上部分の修復には移動式の足場が組まれ、横に移動しながら作業が進められた
[© Victoria and Albert Museum. London]


そんな壮大なポルティコの石膏の複製も展示されるキャストコートは、V&Aの最大のギャラリーだ。1873年の開館時に、幅は前述のポルティコの17m、高さはローマのトラヤヌスの円柱★2の25mに合わせて設計された。主にヨーロッパのさまざまな歴史的建造物や彫刻作品のキャスト作品が展示されていて、二つのギャラリーが東と西で対になっている。その吹き抜けの空間効果は、何度見ても圧巻だ。



ラドック・ファミリー・キャスト・コートと呼ばれる西側のギャラリー。中央に見えるのがローマのトラヤヌスの円柱のキャスト
[© Victoria and Albert Museum. London]



ウェストン・キャスト・コートと呼ばれる東側のギャラリー。中央付近にダビデ像のキャストが見える
[© Victoria and Albert Museum. London]


ポルティコやトラヤヌスの円柱が展示されている西側のギャラリーには、その他スペインの中世のレリーフ、フランスやドイツのルネサンス期の主要な彫刻など、多くの歴史的なキャストが展示されている。東側のギャラリーには、V&Aが19世紀に制作したイタリア・ルネサンス期のミケランジェロのダビデ像などを含むモニュメントのキャスト作品が展示される。

2011年から始まったキャストコートの改修は、19世紀の壁面装飾の色のスキームの復元にともない、ギャラリーの全域に足場が組まれ、それと同時にポルティコやトラヤヌス円柱の状態検査、研究、修復などが同じ足場を使って上から順に行なわれた。2018年12月にギャラリーはリニューアルオープンを迎えたが、修復プロジェクトは現在も継続している。

キャストの修復技術とその価値

キャストにはさまざまな方法があるが、一般的に彫刻や建造物などの大きな作品や複雑な鋳型は、ピースモールドとよばれる鋳造法が使われる。ピースモールドは内層と外層と2層に分かれるが、内層は複数の鋳型で構成され、それらは外層の「マザーモールド」もしくは「ジャケット」と呼ばれる型によって支えられる。固まった鋳型の外側に離型剤を塗り、外層となる母型を作ったのち、それらを全部作品から取り外し再度組み立てる。できた空洞に石膏を流し込むと、石膏キャストができるという手順だ★3


「V&A · How Was It Made?」石膏キャストの作成を説明した動画


例えばミケランジェロのダビデ像などは5mもある彫刻で、そのキャストに使われた鋳型は1500個以上のピースで構成されていている。大きな作品となると、石膏型でつくった複製ピースをさらに組み立てる作業が必要となり、接合部や表面の処理の必要が出てくる。修復ではここによく亀裂が入っているのを見かけたりする。また、ピースモールドでは、鋳型を組み立てたときにできるピースとピースの間のギャップに石膏が流れ込むので、盛り上がった線となって残る。これらは処理されてわからない場合もあるが、この線が鋭く立っているほど良い石膏複製と見なされた時期もあるようで、キャストの複雑さを表現するための職人の工夫として処理せず意図的に残された場合もあるようだ。逆に言うと、この線の痕跡があれば、それはキャストされた作品であろうと推測もできる。



中央に斜めに入っている盛り上がった線が「seam line」と呼ばれるピースモールドの継ぎ目部分
[© Victoria and Albert Museum. London]


19世紀、ヨーロッパは勿論のこと、アジアやアメリカを含めた主にヨーロッパの優れた建築物や装飾品のキャストは、建築を学ぶ学生や職人への教育手段として熱心にコレクションされ、学生たちのスケッチやデザインのインスピレーションとして活用された。また、国外へ旅行をしなくともヨーロッパの建築物や彫刻を鑑賞できるという魅力があり、実際筆者もキャストコートのさまざまな国の作品をゆっくりコンテクストを想像しながら巡ると、それぞれの空間に入り、旅をしたような感覚を味わうことができた。

しかし、19世紀に高く評価されていたキャストは、20世紀に入ってから一転、その効果や重要性に疑問が持たれ始めた。芸術教育にキャストが使用されなくなってきていたことと、キャストの制作過程でオリジナルが傷つく懸念があることなどが問題視され、キャスト作品の処分も提案された★4。ほかの多くのコレクションは、実際に20世紀半ばに分散したり、処分されたりしてしまったので、V&Aのように包括的にキャスト作品が現存している館は珍しい。



中二階の回廊から見下ろしたキャストコート
[© Victoria and Albert Museum. London]


価値が変動してきた歴史をもつキャストだが、さらには複製品という事で 「Fake(偽物)」と思われたりもしてしまう。キャストの価値とは一体何だろうか?

キャストの価値のひとつは、記録である。オリジナルが破壊されてしまい、キャストが失われた作品の唯一の記録となっているケースや、また、ローマにあるトラヤヌスの円柱のように、屋外に設置されているため、汚染や環境の影響で劣化が進み、キャストがオリジナルの詳細をより多く残しているという場合もある。

以前、パリのノートルダム大聖堂の外壁にあるレリーフのキャスト(V&A所蔵)を担当したことがあり、丁度その頃に大聖堂での大火災があった。そのレリーフ部分は無事だったが、もし火災で失われてしまったとしたら、そのキャストが唯一の詳細を留めたスケール感のある立体の記録となってしまっていただろう。焼け落ちる尖塔の映像をみて、何百年の歴史でも一瞬で失われてしまうものなのだと、その儚さをあらためて感じたと同時に、こうしてキャストを残す事の重要性を再確認できた出来事だった。



ノートルダム大聖堂のレリーフキャスト《The Death of the Virgin(聖母マリアの死)》(REPRO. A1916-3152)
[© Victoria and Albert Museum. London]



ノートルダム大聖堂のレリーフキャストのクリーニング。スモークスポンジという天然ゴムでできたスポンジを小さく切って、竹串に刺したもので奥まった部分をクリーニングしている
[© Victoria and Albert Museum. London]


また、キャストはそれ自体で鑑賞に堪えうるものではないだろうか。冒頭にあったV&Aのポルティコのクリーニング作業は、開館時間内に公開するかたちで行なわれたが、筆者はその作業中に見かけたひとりの来館者の様子をよく覚えている。彼はまるで実際に大聖堂にいるかのように、篤い信仰心を感じさせる眼差しで、長らくそこに立っていた。その姿には何か感動するものがあった。また、オリジナルのポルティコには巡礼者が何百年にもわたって、大聖堂に到着した際に手を置き触れて来た特定の箇所があり、それは長年の間に手の形に穿うがたれている。その部分はV&Aのキャストにも写し取られていて、人々がさらにその部分に触れてきたことによって黒くなっている★5。それは、人々がキャストから何かを感じ、また感じ取ろうとした証ではないだろうか。



V&Aのポルティコの中央柱部分。丸で囲んだ手型のへこみは巡礼者が長年手を触れて来た事で形成された。
上部の色が明るい部分が修復後、下部の茶色い部分が修復前
[© Victoria and Albert Museum. London]



足場上での修復クリーニング風景
[© Victoria and Albert Museum. London]


ポルティコの公開修復プロジェクト中に、来館者とコミュニケーションする機会が多々あり、それは筆者にとってとても良い経験だった。この作品を見ることで昔のスペイン旅行を想い出し熱心に感想を伝えてくれる人、興味を持って質問してくれる人、また修復してくれてありがとう、と労いの言葉をかけて頂いたこともあり、作品はコミュニケーションを生み、人々に愛されているギャラリーなのだと感じた。

技術の進歩、コロナ下で変わる「保存・継承」の方法と意義

複製の技術は常に進歩していて、現在では3Dスキャンしたものをプリンターで出力できる時代だ。先述のV&Aのミケランジェロのダビデ像も、実物大に3Dプリントされて『エイリアン:コヴェナント』の映画の撮影にも使用された★6。しかし、特にテクスチャーとしてはそのクオリティを疑問視する専門家の方もいて、例えば金属の細かい傷などの詳細が必要な場合、キャストで複製したほうがより繊細に再現できるときいたこともある。

また、ほかの再現方法として、VRやARを使った方法も試みられ始め★7、コロナ下ではバーチャルミュージアムが公開されたりもした。修復の世界では、オーセンティシティ(真正性)という事がよく議論されるが、ロックダウン中、本物って何だろうと考えさせられたり、作品や資料にアクセスできない場合、鑑賞体験はどのように届けられるのだろうと考えたりもした。

保存・継承を考えた時に、何を価値として残すのか、また残さないのか、なぜ残すのか、どのようにして残すのか。「そのような対話には『もの』の立場になって加わりなさい」"Becoming voice of the object."という言葉は、筆者がロンドンの学校で修復を学んだときの、修復理念の先生の言葉である。有形の文化財だけではなく、無形文化財をどう継承するか、保存の観点からオリジナルが公開展示できない、もしくは手で触れることができない場合、その価値に人々はどうよりよくアクセスできるか、また伝わるのかという課題も、コンサバターが関わり一緒に考えていくことなのではないだろうか。

★1──Victor, B.THE TWO PORTICOS DE LA GLORIA, RESEARCH AND CONSERVATION(IPCE, 2018)http://www.iperionch.eu/wp-content/uploads/2018/07/ARCHLAB_user-report-Borges-IPCE.pdf
★2──V&Aのトラヤヌスの円柱は、1861年に皇帝ナポレオン3世の依頼で制作された複製(エレクトロタイプという電気メッキを利用した複製方法が使用された)から、さらに1864年に石膏キャストされたもの。
★3──とうもろこしの石膏キャストの手順。(筆者作成)


★4──Victoria and Albert Museum (2018) History of the Cast Courts https://www.vam.ac.uk/articles/history-of-the-cast-courts
★5──現在は両作品とも触れることはできない。
★6──Victoria and Albert Museum, The story of Michelangelo's David https://www.vam.ac.uk/articles/the-story-of-michelangelos-david
★7──小林桂子「3Dデジタル技術がひらく、ニューノーマルの文化体験」https://www.dnp.co.jp/biz/theme/cultural_property/bnf/10159378_3530.html(artscape 2021年06月01日号)

参考動画
コンサベーション:ポルティコ・デ・ラ・グロリアのキャスト修復 https://youtu.be/SDiGVR9nekQ

ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館 キャストコート

住所:Cromwell Road, London, SW7 2RL, UK

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