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3Dデジタル技術がひらく、ニューノーマルの文化体験
小林桂子(日本工業大学先進工学部情報メディア工学科准教授)
2021年06月01日号
対象美術館
DNP五反田ビル1F(東京都品川区)で「BnF × DNP ミュージアムラボ 第2回展『これからの文化体験』」が開催されている(一般向けの公開は6月5日~7月11日を予定。予約制)。
タイトルに「第2回展」とあるように、この展示はフランス国立図書館(BnF)と大日本印刷株式会社(DNP)が協働し、BnFが所有する作品をデジタル化し、そのデータを活用した鑑賞システムを開発するシリーズとなっている。2016年に開催された第1回展では、BnFの地球儀・天球儀のデジタル化と体感型鑑賞システムを制作・展示している 。
BnFは、パリ市内に複数の施設を持つが、そのなかでも同館を象徴するリシュリュー館は、 17世紀に創建されたマザラン宮などを起源とした歴史的建造物である。現在、2022年のリニューアルオープンに向けて、初の全館改修を行なう「リシュリュー・ルネサンス・プロジェクト」が進められている。DNPはそのプロジェクトに参画しており、今回の「第2回展」では、天井画で有名な「マザラン・ギャラリー」やBnFが所蔵する「貨幣・メダル・古代美術部が所蔵するコレクション」をデジタル化し、体験型の鑑賞システムで紹介している。
デジタル技術はどのように展示方法に活用されてきたか
文化財や美術品の画像や形状をデジタル化し、それをもとに保存や利活用を行なおうとする試みは、これまでにも世界各地で国家レベルから個人レベルまで、数多く行なわれてきている。日本の状況について概観すると、平成13年度(2001年度)版情報通信白書に、さまざまな地域の文化財等のデジタル情報をインターネットを介して誰でもアクセスできるようにする「デジタル・ミュージアム構想」国立情報学研究所(NII:National Institute of Informatics)の技術協力のもと平成20年(2008)「文化遺産オンライン」を正式公開している。平成18年(2006)には、文部科学省で「デジタルミュージアムに関する研究会」 が開催され、先端的な技術を活用して、デジタル化された作品を鑑賞支援装置に取り込み、新しい鑑賞体験をつくりだそうという動きが加速した。この研究会のあと、「デジタル・ミュージアムの実現に向けた研究開発の推進」事業として、研究機関と展示施設による、VR技術やインタラクティブ技術を含む先進的な展示支援・活用システム開発の公募が行なわれることになった。
が掲載され、デジタル化されたデータをオンラインで活用しようとする動きが日本中に広がった。平成15年(2003)には、文化庁と総務省が「文化遺産オンライン構想」を発表し、また、近年、VR技術や三次元計測技術が一般化し、導入費用が比較的廉価になってきたことから、デジタル技術を文化財等の展示活用に利用する例は増加している。平成30年(2018)には「文化財の観光活用に向けたVR等の制作・運用ガイドライン」が、令和2年(2020)には「先端技術による文化財活用ハンドブック」がいずれも文化庁から発行されている。
国の施策を中心にごく一部を紹介したが、こうした背景のもと、文化財等のデジタル化とその展示については、すでに20年以上にわたって、さまざまな試みが行なわれてきた。
しかし、2020年以降のコロナ禍により、「展示」は新しい局面を迎えている。人やモノの移動が大きく制限された状況下では、「実物無し」あるいは「実物が展示企画どおりにすべてそろわない」展示を考える必要がでてきてしまった。それでは、「実物無し」に行なう文化財や美術作品の鑑賞は、どのような手法で実現できるのだろうか。
実物の3Dデジタルデータから展開する4つのバーチャル展示
今回展示されている、DNPコンテンツインタラクティブシステム「みどころシリーズ」は、反射する素材や複雑な形状の対象物にも対応した3Dデジタル化手法によって、高精細なデータを制作し、そのデータから、対象作品に応じた「みどころグラス」「みどころウォーク」「みどころビューア」「みどころキューブ」の4つの鑑賞方法を提案している。
「みどころグラス」は、MicrosoftのMR(ミクスト・リアリティ)のスマートグラスであるHoloLens 2を装着することによって、展示室の中の鑑賞者の位置と視点の情報に応じ、空の展示ケースの中に、本来そこに置かれるべき展示物の3D作品モデルと鑑賞位置に応じて可変するガイダンス情報(テキスト情報や関連画像)を見ることができる。スマートグラスは装着しても周囲が見えるので(シースルーの状態)、VRヘッドセットのようにスタッフが補助する必要はなく、複数の人々が同じ空間で同時に体験できる。手を前に伸ばして握る動作をすることで、3D作品モデルを移動し、ひっくり返してその底の部分を見る、といったこともできる。ただ、3D作品モデルに「触れて」もテクスチャーや重みを感じることがないからか、触れて操作している、という感覚は薄かった。
この部屋には、同じ手法で得られたデータから3Dプリンターで出力した高精細なレプリカも展示され、「実物」「データ」を同じ空間に展示した場合のわかりやすいシミュレーションとなっていた。
「みどころウォーク」は、マザラン・ギャラリーに描かれた天井画を、VRヘッドセットを用いて歩きながら鑑賞できる。体験者に実際の体験の動きとは少し異なる映像を見せて空間知覚を操作し、限られた展示空間内でも、広大なVR空間を移動できる技術「リダイレクテッド・ウォーキング」を使用している。体験スペースに設置された手すりをつかみ、音声ガイドに沿って歩くと、幅8.2m、奥行き45.55m、高さ9.2mのマザラン・ギャラリーの空間を、音声の解説と、視線を誘導したい方向にうっすら光をあてるナビゲーションとともに体感できる。特に、VR空間の中のらせん階段をのぼり(実際は回転しながら足踏みをしているのだが)、天井画に近づいていく時には、臨場感、没入感をとても強く感じた。
「みどころビューア」は、タッチパネルディスプレイに3D作品モデルとその解説を表示し、自由に拡大縮小・回転させて、見たいと思う部分をじっくり鑑賞できる。ここには、BnFの「貨幣・メダル・古代美術部が所蔵するコレクション」を3Dデジタル化した21点程の作品データが収められている。
このシステムでは、反射する素材や複雑な形状の3Dデジタル化の成果が特によくわかる。作品モデルを回転させても、画像にムラがなく、陶器の絵付けをされた部分と地の部分のように、反射の仕方が違う表面もきれいに表現されている。さらにそれぞれの作品モデルにはシステムのなかでも光源が与えられていて、「自然」な見え方に感じられる。実際は数センチしかない彫刻作品を画面いっぱいに表示しても画像が粗くならず、表面のようすを細かく観察できる。
「みどころキューブ」はディスプレイで表示するシステムで、「貨幣・メダル・古代美術部が所蔵するコレクション」100数点の3D作品モデルをキューブ状のインターフェイスにマッピングしたものである。キューブの底の面は地図になっていて、制作地または発見された場所がプロットされている。キューブの縦の軸は制作または発見された年代になっている。キューブの面と軸を使い作品をプロットすることで、コレクションの全体像や多面性を立体的にわかりやすくとらえることができる。
また、キューブのそれぞれの面に素材、用途、コレクションの歴史、図像といった4つの小テーマを配置しており、タップでテーマを切り替えると、作品が色分けされて表示される。そして、作品の間には、相互の関係性を示す線が示され、たとえば「同じ用途のもの」「同じ素材のもの」「コレクションされた年代が古いもの」「神が描かれたもの」のように、さまざまなテーマの視点でコレクションを観察することもできる。こういった「関係性」のビジュアライズは、BnFの学芸員とともに設定した画面のほかにも、AIで各作品の解説文を言語解析した結果を表示するモードも用意されていた。
VRならではの新しいリアリティの創出
さて、4つの「みどころシリーズ」を体験し、「これからの文化体験」という視点で考えてみると、対象作品と表示手法がうまく噛み合えば、「実物」がなくとも、博物館や美術館の展示とは違ったリアリティのある体験ができそうだと感じた。「みどころウォーク」では、「空間のリアリティ」を感じさせ、VRヘッドセットで立体感のある高精細な画像を見ながら、かつ「歩く」動作が加わることで、「大きな天井画のある空間の体験」を提供できていたように思う。例えば2021年2月に開催された演劇プロジェクト「シアターコモンズ‘21」では、ワークショップやトークを除く上演作品の多くがVR・AR作品であった
。特に、VR映画『蘭若寺の住人』(ツァイ・ミンリャン監督)はVRヘッドセットをつけて外界から距離を置き、自分の周囲360度すべてで展開する映像を見ることで、「作品世界のリアリティ」を非常に強く感じた。コロナ禍で、博物館や美術館、シアターに行けない/集まれなくなったことを逆に強みにする表現方法として有効だと思う。また、「みどころキューブ」は、実物が展示されていなくても、鑑賞者がシステムを操作しながら作品情報を追っていくことによって、学芸員の解説だけに依らない、作品の新しい魅力やみどころを発見する可能性を感じた。鑑賞者がどんな順でどの作品のどの要素を見ていったのか、そんな「鑑賞の軌跡」のようなものがデータとして蓄積されたら、また新しい知見が見つかるかもしれない。
筆者は約20年前に、桃山時代の茶碗を3Dデータ化し、3Dの樹脂モデルをインターフェイスにして、茶碗の3D画像をインタラクティブに表示する装置のプロジェクト
に参加したことがある。この時は、実物の茶碗の近くで装置を展示したが、鑑賞者から、インターフェイスの3D樹脂モデルの重さや触感は実物と同じなのか? という質問をよく受けた。鑑賞者にとって、ディスプレイのなかの3Dの画像や手元の樹脂モデルを、自分で触ったことのある陶器の茶碗というモノとつなげるには、もう少し情報を補完する必要があったのであろう。当時の技術では、重さを揃えたり、表面のテクスチャーを実物と同じにできるほど高解像度のモデルを作るのは難しかったが、現在は可能であるだろう。こういった技術や手法によって、コロナ禍で減少してしまった、作品と直接出会う機会を補完し、研究や開発の成果がさらなる文化財や美術作品への興味と理解につながってゆくことを期待したい。
BnF × DNP ミュージアムラボ 第2回展「これからの文化体験」
一般公開会期:2021年6月5日(土)~ 7月11日(日)
会場:DNP五反田ビル1階(東京都品川区西五反田3-5-20)
主催:DNP大日本印刷
共催:BnFフランス国立図書館
後援:在日フランス大使館
入場:無料、予約制
*予告なく展示内容の変更、休館する可能性があります。最新の情報はウェブサイトでご確認ください。