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【ソウル】人々をつなぐプラットフォームをつくる──キュレーター、シン・ボスル
シン・ボスル(キュレーター)/セオ・ヒョジョン(メディア・アーティスト、Samsung Art and Design Institute [SADI] 教授)
2023年04月15日号
ソウルを拠点にしているキュレーター、シン・ボスルは1997年から展示企画を始め、Media city Seoul 2004(第3回ソウル国際メディアアートビエンナーレ)Actually, the dead are not dead」(2021)、「Acts of Voicing」(2013)、「Design without Design」(2016)など国内外のコラボレーションによる展示だけでなく、「Road Show」(2011-)、「Batik Story」(2015-)などのさまざまな中長期プロジェクトを企画、運営している。トータル美術館に所属しているが、自分の関心事に対する研究をもとにインディペンデントで展示を企画し、予算を確保し、展示を実現させるプロデューサーでもある。展覧会場の外で、より活発に活動している彼女に会って話を伺った。
展示チーム長、議政府デジタルアートフェスティバルのキュレーターを務め、art center nabi 、ALT SPACE LOOP 、トータル美術館 などに勤務し、メディアアート分野だけでなく現代美術全般を網羅する企画者として活動してきている。また、アントニ・ムンタダスの個展「Muntadas: Asian Protocols」(2014)をはじめ、「メディアアートから現代アート全般へ
──私たちが初めて出会ったのは、あなたが2004年のMedia City Seoulのキュレーターを担当したときでした。 現在はメディアアートに限らず幅広く活動していらっしゃいますが、それにはどのようなきっかけがあったのでしょうか。
シン──1998年に芸術と技術、特にインタラクティビティに関する論文で修士号を取得しました。当時はメディアアートという分野があまり知られておらず、作家も多くなかった時代でした。2000年になるとMedia City Seoulのような大型メディアアートイベントが始まり、art center nabiといったアートセンターも生まれました。展覧会と関連機関ができても専門家がいなかったので、修士論文ひとつでメディアアートの現場に入ることになりました。
art center nabiの開館準備から2年ほど勤務し、その後、ソウル市立美術館に移籍し、2004年のMedia City Seoulで展示チーム長を務めました。偶然、同じ年にALT SPACE LOOPの責任キュレーターを提案され、LOOPで働くようになり、韓国現代美術と本格的に出会えたと思います。規模は小さかったですが、さまざまな作家たちと出会い、国内外の多様なネットワークを通じて大小のプロジェクトを行ないました。
2007年頃、「404 Object Not Found」というメディアアートの保存、アーカイブをテーマに、ALT SPACE LOOP、art center nabi、トータル美術館をつなぐプロジェクトがありました。その時、トータル美術館と縁ができました。当時、政府から、私立美術館のキュレーターの人件費を支援するプログラム
があり、そのサポートを得てトータル美術館で働くことができました。トータル美術館は韓国初の私立現代美術館で、美術だけでなく、建築、現代音楽、デザイン、文学などさまざまなジャンルを網羅する場所でした。 このような雰囲気のなかで働くことで、自然と活動範囲が広がったと思います。国際展から国内へ──企画展の逆輸入
──これまでの企画のなかでも、最初に国際展をつくり、その後、韓国で韓国の作家と一緒につくり直して展開した展覧会が特に興味深かったです。どんな展示があったか、簡単に紹介してください。
シン──トータル美術館はほかの私立美術館より国際展の企画が多い方だと思います。こう言うと、財政的に余裕があると誤解されがちですが、むしろその逆です。ほとんどの私立美術館は展示企画の自立性をもつ一方、人員や予算は常に不足しています。そのため、展示を企画する際に新しい方法論を模索するようになりました。まず、海外で行なわれる展示やプロジェクトになんらかのかたちで参加し、その後、自分が参加した展覧会を韓国にもち帰ります。韓国で展示する際は、元の展覧会そのままではなく、テーマやコンセプトは維持しつつ、海外作家の割合を減らし、韓国作家を増やしたり、韓国の状況に合ったプログラムを追加したりします。「Acts of Voicing」(2013)、「Oh, My Complex: on Unease at Beholing the City」(2014)など、ほとんどの国際交流展がこのように行なわれました。
2021年に優秀企画展示として賞を受賞した「Actually, the dead are not dead」と2022年に展示した「Techniques of Becoming」がこのような過程でつくられた展覧会です。2019年のBergen Assembly
では障害、労働、ジェンダーをテーマに「Actually, the dead are not dead」という展覧会を企画し、私はノ・スンテク(Noh Suntag)、イ・ユンヨプ(Lee Yoonyup)の韓国作家を担当するコントリビュートキュレーターとして参加しました。ビエンナーレ規模の大きな展示で、障害、労働、ジェンダーという難しいテーマを個別に見るのではなく、ひとつのプラットフォームで立体的に見るというのが面白かったです。ただ、Bergen Assemblyでのテーマは北欧の状況についてで、韓国やアジアの状況は違っていたので、その展覧会を韓国にもち帰り、韓国の作家、関連コミュニティ、団体を招待して韓国版を企画しました。2019 Bergen Assemblyの総監督であったハンス・D・クリスト(Hans D. Christ)&イリス・ドレスラー(Iris Dressler)、そして共同キュレーターであったヴィクター・ノーマン(Victor Norman)らと一緒につくりました。このような過程で作業を行なうと、当然、大使館文化院の支援を受けやすくなるだけでなく、公的な助成金を使うこともでき、そのため、調達すべき予算を削減することができます。海外のネットワークを活用して韓国の作家を海外に紹介することもできるので、一石二鳥と言えます。韓国社会の問題とアートプロジェクトの「現場」のひろがり
──近年、韓国社会は多くのことを経験して来ました。メタバース空間にセウォル号の追悼公園を作った「Yellow Island」や、韓国のさまざまな地域の現場を直接訪問した「Road Show」は、社会の影響を大きく受けたと思われます。これまで行なったプロジェクトは社会からどのような影響を受け、またどのように社会に影響を与えたと思いますか。
シン──社会的なプロジェクトをやろうという大きな意志があったというよりは、自分がつくる展覧会のテーマや関わる人々にもっと素直に、真剣に近づきたかったのだと思います。 「Road Show」を例に挙げると、その最初の始まりは、当時韓国社会で大きな問題となっていた4大河川事業
でした。ある日、作家たちと4大河川事業について熱く議論することになりましたが、驚くことに誰も現場に行ったことがなく、ただニュースで報道される内容に基づいて賛成したり、反対したりしていました。なら直接行ってみようと思い、プロジェクトを企画しました。20人以上の国内外の作家や企画者と内城川(奉化〜聞慶)から乙淑島(釜山)まで一緒に旅をしました。その旅のなかで、展示では得難い共感、親密さのようなものが生まれ、その後、済州の江汀村 、天安艦が被撃された白翎島 などを回っていたので、外部からは非常に社会的な意識をもってプロジェクトを企画したように見えたようです。「Yellow Island」は4.16セウォル号事故と関係しているものの、それを直接のテーマに始まったプロジェクトではありませんでした。 当時、ソウル広場にあった香炉所が解体されることに賛否両論がありました。 また、その頃、ちょうどメタバースに対する関心と新しい試みも多くなっていたところでした。メタバースを私たちがひとつのパブリックスペースとして捉えれば、そこで誰かを追悼し、記憶する空間をつくることができるのではないかという考えから始まりました。このようなプロジェクトによって社会的なメッセージを伝え、世界を変えようという大きな意図をもっていたわけではありませんが、プロジェクトを進めるなかでリサーチをするようになり、参加作家と意見を交わすなかで、自分自身が少しずつ変化していくのを感じるようになりました。 もし私がホワイトキューブで展覧会をつくるだけのキュレーターだったら、今とはかなり違う姿のキュレーターになっていたと思います。 こうして誰かが変われば、その変化の積み重ねで世の中も変わり、何らかの形で社会に影響を与えるのではないだろうかと思います。
コミュニケーションの機会と持続可能な経済活動
──作家とコレクターをつなぐ「10のN乗」や「プロジェクト808」のようなプロジェクトからは、作家への愛情や作家を中心とした持続可能なシステムをつくることへの悩みが伺えます。どんな思いでこのようなプロジェクトを企画するようになったのでしょうか。
シン──時々、自分がなぜアートが好きで、展示を仕事にして生きているのか、自分自身に問いかけることがあります。すると、必ず「作家」が答えの中心にありました。私は作家たちに会い、作品がどのように制作され、何を語りたかったのかについて聞きました。お酒を飲みながら、彼らにどんな悩みがあって、最近の関心事は何なのかという小ネタを交わしたり、作業室に足を運んで作品が作られる過程を見たりもしました。そういう過程があったからこそ、作品も見えてくるし、作家の話で心に響くこともあると思います。しかし、このような機会をもつことができる観客やコレクターは多くはありません。ですから、私がもっている特別なチャンスを彼らと一緒に共有したいと思いました。
「10のN乗」は、横×縦×高さ10cmサイズの作品を10万ウォン(2023年4月のレートで約1万円)で販売するプロジェクトです。10万ウォンの作品ですが、参加作家は国内外の美術現場で活発に活動している実績のある作家たちです。10万ウォンさえあれば誰でもコレクターになれます。家がどんなに狭くても、作品と一緒に暮らすことができます。作品をどこに行けば買えるのかわからない人も簡単に参加できるように、オンラインで販売しています。最近はオフラインスペースも開きました。毎月10日には作家とコレクター、企画者が出会う「10のN乗月例パーティー」も開催中です。こうしてお互いに親しくなれば、彼らも私と同じように芸術作品を鑑賞することがより日常的になり、幸せな経験になるのではないでしょうか。
パンデミックがひらいたアート空間としてのメタバース
──「Monday Salon」や「放課後キュレータープログラム」のように、人と人が出会うプロジェクトを多く作ってきましたが、パンデミックで出会うことは容易ではなかったと思います。どのような変化があり、このような経験が今後の活動に変化をもたらすと思いますか。
シン──危機はチャンスと言われるように、パンデミック期間を経て、トータル美術館はメタバースを積極的に活用するプロジェクトを実行してきました。Spatia空間にデジタルツインをつくり展示を行なっており、Minecraft(マインクラフト)というゲーム空間を活用したメタバースプロジェクト「Between Particles and Waves (BPAW)」も進行中です。2021年から2022年の間、BPAWはメタバース空間を一種のパブリックスペースとして解釈し、物理的な空間から消える危険にさらされている公共アート作品をMinecraftの中に新たに実装しました。オンラインプロジェクトでありながら、メタバース空間がもつ新しい可能性と限界を模索しています。
過去3年間のパンデミック期間は多くのことを変化させました。再び日常生活に戻ると言われていますが、それはパンデミック以前と同じではないでしょう。ニューノーマルと呼ばれる変化した世界で、アートは何ができるのか、何をすべきなのかということを考えるようになりました。もちろん今までと同じように、美術館で展示をしたり、旅をしたり、プロジェクトをしたりするでしょうが、それに加えてさまざまなオンライン活動が並行して行なわれると思います。 そしてこれは楽しい拡張的な経験になるでしょう。
スーツケースで旅するポートフォリオ
──「The Show Must Go On」は、スーツケースに納められた作家のポートフォリオが旅をして、世界中のキュレーターに会う機会をもつというアイデアがとても面白かったです。 どのように始まったのでしょうか。
シン──「The Show Must Go On」はいくつかのエピソードが絡み合って行なわれました。ある日、テレビで小さなカバンの中に入ったミッションのメモを持ってゲームをするのを見て、ふと、あのカバンに作品を入れたら、と思いました。その年のヴェネツィア・ビエンナーレの韓国館コミッショナーの発表をみて、自分は韓国館コミッショナーは無理だなと思ったこともあり、海外で個展をするという作家のニュースを聞いて、そのような機会をもてる作家が果たして何人いるのだろうかと思いました。それなら最低限の費用をかけて作家の作品(あるいはポートフォリオ)を海外のキュレーターに直接送ってみよう、と始めたのが「The Show Must Go On」。たまにキュレーターがスーツケースを持って旅行するように海外に出かけることもありますが、通常は
(1)作家がポートフォリオスーツケースを作る
(2)海外のキュレーターリストを作る
(3)海外のキュレーターに送る
(4)海外のキュレーターは1カ月間、好きな場所にスーツケースを置いて作品を鑑賞したり、資料を読む
(5)1カ月後、作品に対する感謝の言葉を書いてスーツケースに入れ、韓国に送る
このような過程を経て、韓国作家の作品が海外のキュレーターに刻印され、より関心を持たれることになります。実際にこのプロジェクトを通じて国際展に参加することもあったことを見ると、国際交流のプラットフォームとしても悪くないと思いました。
いずれにしても、何か既存のシステムに抵抗するという意志から出発したわけではないですが、この方式がかなり独立して進行し、さまざまなバリエーションが可能であることがわかりました。最初から長期的なプロジェクトとして始まったわけではないにもかかわらず、2010年から今まで続いています。予算があるときは大きな展示のパッケージで、予算がないときはただ1~2個のスーツケースをキュレーターに送る方式で、時には大使館文化院で韓国作家の特別展としてさまざまなかたちで行なわれました。パンデミック期間中には、仁川アートプラットフォームと一緒に国際交流展を開催したこともあります。
アーティストと学ぶこと
──障害者福祉館の発達障害者を対象とした「Dream Blossom Academy(DBA)」プログラムや、コタキナバルの学生を対象に同時代の芸術作家と一緒に行なった「Digital Playground」(2007-2015)、「Batik Story 」(2015-)など、芸術教育活動への継続的な関心が見られます。芸術教育についての考えをお聞きしたいです。
シン──広い意味で見れば、これらの活動は明らかに芸術教育の領域で扱われているのですが、私は教育者ではなくキュレーターであるため、これらの活動を芸術教育と呼ぶことには慎重です。紹介したプロジェクトの性質は少しずつ異なりますが、ここで重要なのは、アーティストが中心になっていることです。DBAは、発達障害や自閉症スペクトラムをもつ障害者を対象に、アーティストが自分の作品をベースにしたワークショップで運営します。もちろん、簡単なプロセスではありませんでしたが、社会福祉士や芸術療法士ではなく、芸術家が中心となって運営しながらさまざまな材料と表現方法を経験するようになり、5年経った今、参加者の何人かは芸術家として活動しています。
「Digital Playground」はもともとトータル美術館で展示として始まったプロジェクトでした。展覧会を続けていくうちに、限られた作家群と作品に限界を感じ、美術館でメディアアートの展示はもうやめようと思いました。代わりに現代美術やメディアアートが紹介されていないマレーシアのコタキナバル地域で韓国のメディアアート作家たちがショーケース展示とワークショップを行ない、テクノロジーを消費することにとどまらず、創造的に活用できることを伝えたいと思いました。 そうして5年ほどプロジェクトを進めました。
「Batik Story」は文化芸術海外援助(政府開発援助:ODA)事業としてスタートし、インドネシアにいる参加者たちの自立基盤を整えることが目的でした。 その過程で韓国の作家たちが参加し、バティックという伝統をどのように現代的に解釈し、活用できるかを一緒に模索していく過程でした。5年間さまざまな文化芸術プログラムを運営し、現在は事業化の段階を模索しています。
前にも述べましたが、作家たちと一緒に暮らすことで、私の人生は変わりました。芸術が好きになり、展覧会をつくったり見たりすることが幸せでした。今思えば、芸術を通して何かを教えたというよりは、お互い応援し合う友人になったような気がします。
持続可能なプラットフォームをつくる
──これまでのプロジェクトで残念に感じた点はありますか? また、今後どのような試みをしたいのかも聞かせてください。
シン──細かく言えば、たくさん不足しているし、問題も多いですが、特に大きな意味を込めてプロジェクトを始めたというよりは、直面する現場、状況で自分自身が疲れないように方法を探してここまで来たので、大きな後悔や残念な点はありません。ただ、それぞれのプロジェクトを5年以上、長くは10年以上続けてきたので、今はこれをひとつにまとめなければならないと思い、本を準備中です。特に「Road Show」や「Batik Story」のようなプロジェクトには多くのエピソードもあり、あとに似たようなプロジェクトを準備する企画者や作家に役立つようなヒントもありますので、そのような話は本にまとめなければならないと思います。
いくつかのプロジェクトは今、独立させる準備中です。これまでは美術館のプロジェクトでしたので、必ずしもお金を稼ぐ必要はなかったのですが、長く続けることで得たノウハウをもとにビジネス化すれば、作家は副収入を得ることもできそうだし、企画者志望の人には仕事の場を提供することもできそうです。これにより、美術館や展覧会場を訪れない一般人も芸術と芸術家に出会える機会が増えるのではないでしょうか。 そうすれば、私たちが文化芸術プロジェクトを立ち上げ、持続可能なプラットフォームをつくることもできそうです。まずは「Batik Story」と「10のN乗」の事業化モデルを試みていますが、機会があればほかのプロジェクトも独立して運営できるようにしたいです。 そして最終的には、周りにいる優れたアーティスト、企画者と一緒にやるキュレーションの学校をつくりたいです。
Total Museum of Contemporary Art(TMCA)
住所:8, Pyeongchang 32-gil, Jongno-gu, Seou
プロジェクトのドキュメント:https://issuu.com/totalmuseum