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越後妻有トリエンナーレ《大地の芸術祭》とは何であったのか?──2000年代日本現代アート論

彦坂尚嘉/木村静

2009年08月15日号

1:『越後妻有トリエンナーレの中の名品を求めて巡る』ツアー

 今回、参加者20人で3泊4日の『越後妻有トリエンナーレ《大地の芸術祭》の中の名品を求めて巡るツアー』を組織して、コディネートして来ましたのでご報告したいと思います。
 このツアーは建築評論家の五十嵐太郎が中心になってやっている「アートスタディーズ」という勉強会と、「建築系ラジオ」というフリー・メディア組織の共同主催のものです。そこには五十嵐太郎、山田幸司、松田達、そして三橋倫子などの建築系の人々と、彦坂尚嘉、飯田啓子、秋元珠江、田嶋奈保子、中川晋介などのアーティスト、そしてギャラリストの玉田俊雄(タマダプロジェクト主宰)、さらに美術研究者やアート・コレクター、立教大学や武蔵野美術大学の学生など、さらに田邊寛子や、木村静のような地域起こしの市民運動をやっている人々も参加しています。
 五十嵐太郎を中心とする建築+美術系の混合グループでのツアー活動は、すでに何回もいろいろな地域で繰り返されて来ていて、前回の2006年の《大地の芸術祭》でも行なわれています。
なおこのツアーは、今回の企画者の彦坂尚嘉自身が、二つの場所での作品を越後妻有トリエンナーレに出品しているので、自分自身の作品を見せ宣伝するという我田引水の意図は明確にあります。中立的な記事を読む事を求める読者には不快なことでしょうから、事前にお断りをしておきます。
 そして、この報告の文章は、「ドルーズ/ガタリ」、そして「ネグリ/ハート」などの複合執筆の影響を受けてフリーメディア活動家の木村静と、ブロガーの彦坂尚嘉のコラボレーションで執筆され、それはまたビデオ撮影と文章執筆の組み合わせという混合形態による美術批評の新スタイルの試みでもあります。ビデオ映像の時間拘束性を嫌うかたも多いとは思いますが、YouTubeの伝達能力は高いので、頭の部分の少しだけでも見ていただければと思います。

 「名品を求めて巡るツアー」と名付けているのは、今こそ自らの人格的成長と教養の蓄積をかけた全身で感覚を研ぎ澄まし、自分の脳と身体で感じることが重要だからです。芸術鑑賞は、もともと人間の人格成長をかけた文化教養であります。下品な人格の人には、俗悪なエロ写真や漫画レベルの低俗美術しか分かりません。すぐれた高度の芸術を理解するためには、人格的成長と成熟が必要なのです。
 マスコミを通じて世間一般の空気や風聞がつくられて、押しつけられてくる下品で低俗で、お仕着せの幻影のデザイン的エンターテイメント・アートではなく、自らの人格の判断基準をもって、真実と純粋を追い求める《真性の芸術》を体感するために、ここで紹介する作品と向かい合いました。
 空気と風聞に支配され宣伝記事と提灯記事しか書かない職業的な美術批評家やアートライターの多くを無視して、彦坂尚嘉は自らの言葉で作品を批評する行為を、孤立して非営利的執筆としてのブロガーを実践してきているからです。現代の圧倒的なスペクタクル社会化に対して、硫黄島での栗林中将のように玉砕を覚悟した徹底的な抗戦をして、裸の王様化されない《真性の芸術》鑑賞に挑戦をしていきたいと思います。とは言っても、彦坂尚嘉が彦坂尚嘉の作品を紹介し、説明する記事の部分では、当然のように中立性を求める読者の不審を呼ぶ記事となりますので、批判的に疑念の眼で読んでいただくことをお願い致します。私自身に対する正統な批判には、正面から誠実に向き合いたいと思います。
 さて、最後にもう一つお断りしなければなりません。彦坂尚嘉の文章を初めて読まれる読者にはきわめて難解で恐縮ですが、私は《言語判定法》という測定法による芸術分析をやっています。「芸術分析」という言葉は、「精神分析」という言葉を下敷きにしています。これは芸術作品を《超次元》から《第41次元》までの42段階に分類して判定するものです。これも難解で有名な精神分析のジャック・ラカンの《想像界》《象徴界》《現実界》という用語を彦坂流に流用した方法で、極めて緻密で晦渋であります。とは言っても、あくまでも、彦坂尚嘉という個人の人格的成長と成熟の責任をかけた主観による分析でありまして、かつての印象批評という美術批評の方法を情報化社会の緻密性に適合できるように、バージョンアップしたものにすぎません。それは昔の体重計と、現在の体脂肪率、部位別皮下脂肪率、内蔵脂肪レベル判定、基礎代謝表示、部位別骨格筋率、BMI表示、対年齢表示、MYダイエット判定等々のやたらに詳しい体重計の違いでありまして、彦坂尚嘉がやっているのは、《言語判定法》を使った詳細な「印象批評」なのです。その意味では、きわめてオーソドックスで伝統的なものです。煩雑と思われる方は、適当に飛ばして読んで下さってもかまいません。

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