フォーカス

伝統をめぐるいくつかの流れ

多田麻美

2010年07月01日号

 「伝統」と「コンテンポラリー」は同じ次元で比較できる概念ではない、とはロジックでは分かっていても、私たちは習慣的につい、対立する概念のように考えてしまう。だが、そんな習慣を深く反省せずにはいられなくなる動きが、最近、北京での展覧会起こっている。

伝統からの再出発

 山水を描くという、東洋で古くから受け継がれた営みを、私たちは「伝統画」「山水画」という枠組みで括ってしまうことに慣れきってしまっている。だが当然ながら、山水はつねにそこにあっても、それを見るわれわれの視線は伝統で括りきれるものではない。山水を描くことに人がつねにこだわりつづけてきたからこそ、山水が描かれた作品は、移り行く人や時代の美意識を映した鏡だといえる。いつもあるものが違って見える、といった感動を、鑑賞者はほかの作品以上にはっきりと、奥ゆきある歴史のベクトルを意識しながら、味わえるのだ。
 そんな当たり前のことを再確認させてくれたのが、北京の韓国文化院で行なわれた『ニーハオ! 山水』アジア芸術交流展だった。日中韓の作家19人が、それぞれ山水にまつわる作品を展示した国際交流展で、会期中は中央美術学院にて「山水/環境」をテーマにした講演会も行なわれた。
 展覧会の趣旨は「言葉の違いと文化の砦を乗り越え、『言語』の誤解を解き、『山水』というコンセプトのもとで、各自の経験と考えを共有し共振する場をつくりだしたい」というもの。参加したアーティストはいずれも北京での留学・滞在経験がある作家で、日本からは、岩間賢、金澤友那、小瀬村真美、関郁子、仙洞田文彦が出品した。
 日本の芸大でさまざまな表現手法を学んだ後、北京に留学し、現在は中央美術学院の博士課程に在籍中という金澤友那は、留学の動機についてこのように語る。「表現が表面でだけ多様化しているような感じがつねにあり、東洋人が持つ共通の感覚に対するルーツのようなものを探したいという思いが積み重なったからです」。だが、「山水画を学びに来たというよりは、中国そのものを知りたいという気持ちの方が強かった」という。


金澤友那《Mountain》46×30cm, デジタルプリント, 2010年


呉楠《天上人間》210×110cm, 絹にインクと彩色, 2009年


柳時浩《下山之路》之三(部分), 138×68cm, 紙、墨, 2010年

多元化する山水画

 中国では90年代、新しい表現への模索として、「実験水墨」という試みが盛んだった。「墨と紙、筆を『道具』としてとらえ、伝統的な考え方にとらわれずに自由に自分の『感じたもの』を表現する動きへの共感が、実験水墨という状況を促したのです」(金澤)。しかしその後、さまざまな原因から、表面上の違いを主張する多様な表現が発生し、実験水墨は評論の対象とするにはあまりに複雑な存在となってしまった。全体的に市場経済の影響も大きかった。現在は、「視覚的表層においても、思想、思考の表出においても根を持たない、横並びの多元、多様化が氾濫している」と金澤は考えている。
 今回の試みについては、「『山水画』という枠にこだわるのではなく、『山水』というコンセプトの中から新しいものを探し出し、生活の中に取り入れていきたい」「若い作家たちは、『描きたいものを描くと売れない』というジレンマに悩んでいる。これからは自分たちで展覧会を企画しながら、本当に表現したかったものを展示していきたい」と抱負を語る。企画は今後、韓国、日本へも広げていく予定だ。各国の情況に応じて、レジデンス・プログラムなども展開していくという。


開幕式は、日中韓の多くの関係者でにぎわった[撮影=張全]

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