2019年10月15日号
次回11月1日更新予定

フォーカス

2010年のアートシーンを振り返る

村田真/福住廉

2010年12月15日号

学芸員による“掘り起こし”

村田──2010年は、地方の公立美術館で見たいと思う展覧会がすごく少なかったですね。ほとんど記憶にないです。僕は見てませんが、さきほどの田中一村展のような、学芸員による“掘り起こし”のようなものが少なくなったんじゃないでしょうか。去年暮れの展覧会ですが、目黒区美術館の「‘文化’資源としての〈炭鉱〉」も、たいへんな掘り起こしの作業でおもしろかったですね。予算が少なくても、いや少ないからこそ学芸員が知恵を絞っていろいろがんばるわけですが、それすらも限界がきているのかなと思いました。

福住──地方で行なわれた展覧会といえば、広島市現代美術館で都築響一の単独の展覧会「HEAVEN──都築響一と巡る社会の窓から見たニッポン」がありました。編集者・写真家としての都築響一のこれまでやってきた膨大な仕事を一気に振り返る内容で、広島からいろんな地方都市に巡回すればよかったのに、もったいないなあと思うほど、見応えのある展覧会でしたね。もうひとつ挙げるとすれば、神戸ファッション美術館の「ファッション奇譚──服飾(モード)に属する危険(スキャンダラス)な小選集(アンソロジー)」。これは担当学芸員と美術家の岡本光博さんによるコラボレーションによってつくられた、ちょっと変わった展覧会でおもしろかったですね。ふつうファッションの展覧会といえば、マネキンに服飾を着用して見せるだけの味気のないものになりがちなんですが、この展覧会は服飾資料を山のように積み上げて見せたり、ファッションの歴史の始まりにイチジクの葉っぱを股間につけた全裸のマネキンを位置づけたり、学芸員の専門的知識や実務能力とアーティストの想像力や柔軟性をうまく組み合わせて、ひじょうにユニークな展覧会に仕上げていましたね。それだけに、岡本さんの作品《バッタもん》がクレームを受けて撤去された事件はとても残念でした★2

作家ではなく、学芸員に注目して展覧会を見ることはありますか。

福住──特定の学芸員だから見ようということはありませんが、注目している学芸員は何人かいます。いまお話しした神戸ファッション美術館の浜田久仁雄さんは、たいへん奇特な学芸員で、ファッションの専門家としても美術館の学芸員としても、かなりの偉才だと思います。いまちょうど少年マネキンの写真家ベルナール・フォコンの展覧会「ベルナール・フォコンの見た夢──ノスタルジーを超えて」をやっていますが、これもなんだか怪しい気配が漂っていて、いまから見るのが楽しみです。それから都築響一展を企画した松岡剛さんも変わりもんですね。昨年末から今年の初めにかけての「一人快芸術」展で、アウトサイダーアートと限界芸術を一まとめにしたような奇妙奇天烈な展覧会を仕掛けたと思ったら、間髪入れずに都築響一ですから、びっくりしました。それでいまは、キノコの展覧会をやっているというのだから、ますますわけがわかりません(笑)。美術館の学芸員って限界芸術みたいなものには眼をふさぎがちなんですが、それをおもしろいと思ってすぐさま展覧会として立ち上げる松岡さんの眼と腕は信頼しています。東京では僕がおもしろいと思う学芸員に出会うことがまったくないので、村田さんの考えとは逆になりますが、僕は地方都市のほうがおもしろい展覧会は多い気がしますね。中央の大都市から距離を置いたほうが、これまでの常識を覆すような展覧会を実現させやすい状況なのかもしれません。

村田──東京では区が美術館を建てたのは1980年代に集中してますが、当時から区立美術館にはひとりずつくらいは注目すべき学芸員がいました。さきほど挙げた目黒区美術館の正木基さんもそうですが、あと板橋区立美術館の尾崎眞人さんや、練馬区美術館にいた横山勝彦さんがいます。渋谷松濤美術館の光田由里さんや、世田谷美術館の高橋直裕さん、品川区のO美術館の天野一夫さんなんかもそうですね。展覧会のタイトルを見れば、だいたいこの人がやったんだろうなってわかったものです。ただ、尾崎さんは京都市美術館に、横山さんは長野県信濃美術館に、天野さんは豊田市美術館にといったように、最近は地方の館長・学芸部長クラスで地方に行ってしまい、情報が直に伝わることが少なくなりました。

福住──あと、僕がおもしろい学芸員として評価しているひとりに、福岡アジア美術館の黒田雷児さんがいます。黒田さんといえば、学芸員でありながら「黒ダライ児」という名前の戦後前衛美術史の研究者として知られていますよね。先日、これまでの研究成果をまとめた『肉体のアナーキズム』という大著を刊行しました。黒田さんは、本として発表した内容で本当は展覧会をやりたいんだろうなと思いますが、それが難しくなっているところに公立美術館の限界があるのかもしれません。

村田──『肉体のアナーキズム』はテーマがテーマですから展覧会になりにくいのかもしれません。黒田さんが勤務している福岡アジア美術館とは少しずれるし、やっても資料展にしかならない。彼が福岡市美術館で、九州派(「九州派」、1988)やネオ・ダダ(「ネオ・ダダの写真」、1993)の展覧会をやったときは、東京の人も注目していました。黒田さんはオタクっぽいというか、ある種の“学芸員”の典型ですよね。徹底して調べていくところや、非常に意固地なところがある学芸員がまだどれくらいいるのか。そういうことから企画される展覧会はわりと好きですけどね。

★2──《バッタもん》については以下を参照。福住廉「民間企業による新たな検閲──ルイ・ヴィトンが引き起こした作品撤去事件」、『あいだ』173号所収

関連記事

‘文化’資源としての〈炭鉱〉展(2009年11月4日〜12月27日、目黒区美術館)

artscapeレビュー(福住廉):http://artscape.jp/report/review/1211542_1735.html
学芸員レポート(山口洋三):http://artscape.jp/report/curator/1212214_1634.html

HEAVEN──都築響一と巡る社会の窓から見たニッポン
(2010年5月22日〜7月19日、広島市現代美術館)

学芸員レポート(角奈緒子):http://artscape.jp/report/curator/1215435_1991.html
artscapeレビュー(福住廉):http://artscape.jp/report/review/1217782_1735.html
artscapeレビュー(福住廉):http://artscape.jp/report/review/1217783_1735.html
学芸員レポート(山口洋三):http://artscape.jp/report/curator/1218168_1634.html

ファッション奇譚──服飾に属する危険な小選集
(2010年4月15日〜6月27日、神戸ファッション美術館)

artscapeレビュー(福住廉):http://artscape.jp/report/review/1215997_1735.html

ベルナール・フォコンの見た夢──ノスタルジーを超えて
(2010年10月21日〜2011年1月10日、神戸ファッション美術館)

artscapeレビュー(小吹隆文):http://artscape.jp/report/review/1225313_1735.html

2010年、注目の美術書

ちょうど書籍の話がでましたので、展覧会からはすこし外れますが、2010年の注目すべき美術関連の書籍としてはどのようなものがありますか。

福住──椹木野衣『反アート入門』(幻冬舎、2010)と、白川昌生『美術館・動物園・精神科施設』(水声社、2010)、黒ダライ児『肉体のアナーキズム──1960年代・日本美術におけるパフォーマンスの地下水脈』(grambooks、2010)、この3冊が2010年に出たもののなかではかなり大きな成果だったと思います。
 椹木さんの本は、誰もいままでやらなかったことをあっさりやってのけたところに大きな意味があると思います。日本に抽象表現主義とかミニマリズムがどう入ってきて、1980年代以降からいまの村上隆や奈良美智にどう引き継がれているのかという、一番身近な美術の歴史をクリアに説明してくれています。しかも、おそらく岡本太郎を念頭においているんでしょうが、ふつうの話し言葉で書かれているので非常に取っ付き易い。美術に縁遠い人も巻き込みながら、美術の本質に誘っていくという、ある種戦略的に書かれた本であり、それがうまく成功しています。
 白川さんは美術家であると同時に著述家でもあります。美術市場が整えられているわけでもない群馬という地方都市で粘り強くアーティストとしての活動を続けていくという自らの問題と関心に沿って、これまでに何冊も本を書かれていますが、今回の本ではアンリ・フレデリック・エランベルジュという精神医学史家の研究を手がかりにしながら、なんとかして芸術への希望を実践していくための道筋を切り開こうしています。美術館と動物園と精神病院という近代的な文化装置が同じような構造に基づいて歴史化されてきたことに注目して、動物園で大衆に愛される動物が重宝されるように、美術館でも大衆に受ける作品が歓迎されるとして、さまざまな美術作品を分類してみせるなど、白川さんなりのアイロニーとユーモアを込めた批評的な文章は、読んでいてたいへんおもしろいし、考えさせられるところが多い、とてもクリティカルな本だと思いました。
 黒田さんの本は、これまでほとんど歴史化されてこなかった肉体のパフォーマンスをはじめて体系的に歴史化した画期的な研究書です。モノとしての作品を残すことがなかったパフォーマンスの実態を、関係者への粘り強い聞き取り調査と重箱の隅をつつくような文献調査によって、実証してみせた腕はさすがです。この仕事によって、いままでの反芸術/もの派/ネオポップという単線的で粗い歴史の流れに対して、別の流れのありかを示したという意味では、非常に大きな達成です。ただ僕が気になっているのは、黒田さんの文体が、どうも客観的な歴史を記述しようとする気負いが強すぎるのか、あまりにも表面的にすぎるという点です。事実関係を緻密かつ客観的に把握するための膨大なインタビューをしておきながら、彼らの肉声とか証言より、雑誌や新聞記事などの文字化された資料を重視しています。美術史研究としては王道のスタイルなのでしょうが、せっかく手広くインタビューを行なったのに、なぜ肉声や証言を文章に組み込まなかったのか。従来の美術史のあり方を組み替える方法論としてオーラルヒストリーが重要視されているなかで、生々しい証言や声をもっと盛り込めば、もっと豊かな歴史が記述できたのではないかと、少しだけ残念でした。

村田──本に関しても今年は記憶に残るものが少なかったなあ。椹木さんの著書は読みました。彼の本はいつもだいたいそうなんですが、じつにうまく語ってくれるんです。それまでなんとなくわかったようなわからないような曖昧だった部分を的確な言葉でパシッとつなげてくれる。『反アート入門』も、だいたい自分ではわかったつもりでいたところを、よりクリアに言語化してくれたと思います。とてもためになりましたね。

artscapeでの10年間の連載がもとになった村田さんの著書『アートのみかた』(BankART1929、2010)も今年の5月に刊行しました。あのボリュームと厚さは衝撃的なものです。あの本はBankARTが版元ですよね。さきほども話題になったように、公立美術館が背景に退いている一方で、オルタナティヴなスペースや組織の活動が盛んです。従来の作り手と受け手の関係が流動化する“2.0”的な動きといったような、2010年の時代を反映したムーブメントは美術の分野にもあるのでしょうか。

村田──福住さんの単著『今日の限界芸術』(BankART1929、2008)もBankARTが出しているという意味では、BankARTは元気のない美術系の出版社が担ってきたことを、少しでもやろうとしています。出版機能を持つことは、設立当初から計画としてはあったので、なんとか実現できているという感じです。ただ、批評の影響力の衰退はすごく感じますよね。それはここ数年のことではなくて、20年くらいまえからすでに言われていることですが。国際展でもマーケットでも1980年代くらいまでは美術評論家がリーダーシップをとっていました。それが、1980年代〜90年代からキュレーター主導となり、2000年代に入ってからは、ギャラリストとコレクターが力を持っています。キュレーターはまだ言語を使いますし、批評の役割を持っていますが、コレクターやギャラリストはビジネスが重要で、極端に言うと批評はいらない。売れる作品がいい作品になってしまって、完全に価値が逆転してしまっている。高く売れるから美術史に残っていくみたいな逆転現象が起こっています。実際どれだけの人が美術批評を必要としているんでしょうね。

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椹木野衣『反アート入門』

学芸員レポート(住友文彦):http://artscape.jp/report/curator/1222077_1634.html

白川昌生『美術館・動物園・精神科施設』

artscapeレビュー(福住廉):http://artscape.jp/report/review/1222137_1735.html

黒ダライ児『肉体のアナーキズム』

学芸員レポート(山口洋三):http://artscape.jp/report/curator/1224620_1634.html
アートフラッシュニュース:http://artscape.jp/exhibition/art-flash-news/2010/1224980_2902.html

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