フォーカス

「ルール」を介した表現

多田麻美

2011年02月01日号

 このほかの作品も力作ぞろいで、砂糖を積み重ねた塔に大量の蟻を這い上らせ、生きた蟻が死んだ蟻を踏み越えていくように、激しい競争社会のもつ構造を単純化した形で浮かび上がらせた孫建偉(スン・ジエンウェイ)の《通天》、中国で人気のインターネット上のコミュニティー・サイト「開心網」のバーチャルな人間関係を連環画の形で再現した黎薇(リー・ウェイ)の《黎薇和他的……(リー・ウェイと彼の……)》なども興味深かった。


写真6 孫建偉《通天》(2010)[提供:白盒子芸術館]


写真7 同上、局部[提供:白盒子芸術館]


写真8 黎薇《黎薇和他的……(リー・ウェイと彼の……)》(2010)[撮影:張全]


写真9 同上[提供:白盒子芸術館]

崩されるケーキと蟻の塔

 ちなみに本展では中国各地で急激に進む取り壊しや再開発も大きなテーマとなっていた。前出の黎薇による《平安夜里不平安──一棟蛋糕(平安夜[クリスマスイブ]は平安でない──ひと棟のケーキ)》は、巨大なマンション型のケーキの塊を皆が争って切り崩すと、中にビルの骨組みとミニチュアの人形が出てくるしかけ。それらは、欲望の結果生まれた強制的な取り壊しや工事が原因の火災で多数の不幸が生まれた現実を象徴していた。


写真10、11 黎薇《平安夜里不平安──一棟蛋糕(平安夜[クリスマスイブ]は平安でない──ひと棟のケーキ)》(2010)[提供:白盒子芸術館]

 また、ユートピア芸術小組の《手扶紀念碑計画(手で記念碑を支える計画)》は、断ち切られたコンクリートの電信柱を数人が一時間支えるというパフォーマンスだったが、これは取り壊し、または不動産高騰の対象となったことで、大勢のアーティストが移住を迫られたいきさつが動機となったもの。アートが多くの外的要素に支えられるべきでありながら、実際は不安定で、かろうじてやっと成り立っているに過ぎないことの暗示だという。一方、同じく芸術ユニットである「他們(ターメン[彼ら])」の新作絵画《失落的天堂(失われた天国)》も、より生々しいイメージで現在の大都市に渦巻いている欲望とその代償を描いていた。


写真12 他們(ターメン[彼ら])《失落的天堂(失われた天国)》(2011)、手前の彫塑作品は邱啓敬(チウ・チージン)の《面目》(2010)[撮影:張全]

 ちなみに、開幕式では農村に帰る民工が起業する際の融資を援助するための寄付活動「回郷包」も行なわれた。これは寄付者が寄付金の送り先の個人を具体的に知ることができ、そのローンの返済状況も知ることができるというユニークなもの。「ゲーム」というタイトルではあっても、展覧会の趣旨は遊びにとどまるものではないことは出品作品だけでなく、こんな活動からも伺われた。
 もっとも、この展覧会で気になったのは、国内の画廊での中国人キュレーターによる企画であるにも関わらず、わざわざ展覧会のサブタイトルに「中国青年芸術家」とつけられていたこと。中国の画廊やアーティストらはやはりまだ外国の美術関係者の目を意識して自らをカテゴライズせざるをえないからなのであろうが、展覧の内容からすると、その表現は今の中国だからこそ生まれたものだと強く打ち出したい気持ちもあったのかもしれない。

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