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福岡  川浪千鶴
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学芸員レポート[福岡県立美術館]1
reportコタツでトーク − 福岡・アート・アジア〜交流ってなんだ〜

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 昨年末にちょっと変わったアーティスト・トークの企画を福岡市美術館の学芸員都築悦子さんと思い立ち、現在それぞれの美術館の仕事の合間をぬってあわただしく準備を行っている。トークの名称は「コタツでトーク − 福岡・アート・アジア」で、サブタイトルに「〜交流ってなんだ〜」と続く。
 「コタツでトーク」という珍妙なタイトル通り、会場となる福岡アジア美術館の交流スタジオに30畳分のたたみを敷きつめ、コタツや座布団、みかんにお菓子を持ち込み、リラックスした茶の間の雰囲気で3人の参加アーティストに本音トークを行ってもらうというもの。もちろん聴講者も座布団を使って車座(実際には半円くらいか)にゆったり座ってもらい、壇上のパネラーと聴衆との間の垣根がない環境を、トーク会場そのものが自然な交流の場となるような環境をつくり出したいと考えている。
 参加アーティストは、いま福岡で積極的に独自のアート活動を展開している江上計太、タン・ダウ、和田千秋の3氏(略歴は下記のとおり)。江上さん、和田さんは長らく福岡市に居住している美術家だが、シンガポール出身のタン・ダウさんも福岡アジア美術館の交流プログラムの一環として6カ月間のアーティスト・イン・レジデンスの最中(3月まで福岡市に滞在)で、3人はまさに「いま・ここ」を共有している。
 トークのテーマ「交流」については、近年現代美術の動向を紹介する際、「交流」という言葉を頻繁に耳にするようになったことが背景にある。美術館でのアートと鑑賞者の関係にとどまらず、地域社会とアートとが緊密に結びつくことで、アートと人々との生き生きとした新たなコミュニケーション回路を生み出す試みが、現在各地で次々と行われている動向は興味深い。しかし、「交流」の後にその成果や反省点を語り合い、それを踏まえたうえでの可能性や不可能性が改めて問われることはほとんどなく、「交流」とはただ行うことだけに意義があると誤解されている現状も、そこにはあるように思われるのだが、いかがだろうか。展覧会の関連イベントとしての一過性の「交流」、みんながハッピーであれば成功といった、明るく楽しい面しか目にすることのない「交流」、一方的にアーティストにまかせ、マネジメント不在の「交流」……。「地域社会とアートとの新しいコミュニケーション・システム」の必要性を強く感じるいま、「交流」の意義を問い直し、問題点を見つめ直すことは急務といえるのではないだろうか。
 モダンアートの文脈に基づいた作品展開を行いながらも、他者との結びつきと幸福感の関係に関心をもつ江上計太さん、アジアという枠組みやアイデンティティを越えたところにアートの可能性を見るタン・ダウさん、現実の私生活から生まれた「障碍(しょうがい)の美術」を通じて、コミュニケーションの中に生きることを語りかける和田千秋さん。それぞれの異文化体験やアーティストと観衆、参加者らとの関係などについて、長年の真摯な試みや経験を通じた、自身のアートと切り離せない本音を、まずじっくり聞くことから始めてみたい。
 福岡アジア美術館と、有志だが福岡市美術館と福岡県立美術館が協同する「コタツでトーク」の企画そのものが、福岡らしい、福岡ならではの「交流」の一端といえるかもしれない。
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アーティスト・トーク
コタツでトーク − 福岡・アート・アジア
〜交流ってなんだ〜
会場:福岡アジア美術館 8階交流スタジオ(福岡市博多区)
日時:2000年2月11日
主催:コタツでトーク実行委員会、福岡アジア美術館
進行:川浪千鶴(福岡県立美術館 学芸員)、都築悦子(福岡市美術館 学芸員)
問い合わせ先:コタツでトーク実行委員会・川浪(092-715-3551)福岡県立美術館内)

参加アーティスト
江上計太
1951年大牟田市生まれ、福岡市在住。幾何学的な抽象形態を組み合わせたインスタレーションには定評がある。1991年第5回バングラデシュ・アジア美術ビエンナーレで最高賞受賞。1995年南仏のモンフランカンにA.I.R.(アーティスト・イン・レジデンス)で3カ月間滞在。1999年度第7回福岡県文化賞受賞。

タン・ダウ
1943年シンガポール生まれ、ロンドン在住。現在福岡アジア美術館のA.I.R.で昨年10月から福岡に6カ月間滞在中。社会的なテーマのパフォーマンスやインスタレーションで知られるが、近年参加型プロジェクトに新境地を開きつつある。1999年度第10回福岡アジア文化賞受賞。

和田千秋
1957年大分市生まれ、福岡市在住。1992年から障碍をもつ息子と現代美術のリハビリをテーマにした「障碍の美術」に取り組み、現在にいたる。2000年6月からドイツ(ベルリン、バーデンバーデン)で初の海外発表を予定。


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学芸員レポート[福岡県立美術館]2
report特集常設展 宮崎凖之助

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宮崎凖之助「木の球による提示」シリーズ(1966〜67)
宮崎凖之助
「木の球による提示」シリーズ(1966〜67)

宮崎凖之助「ギッコン車」(1973)
宮崎凖之助「ギッコン車」(1973)

 さて「コタツでトーク」と同時に、89年に企画した特別展「宮崎凖之助−くすだまとくすぐるまの庭から」終了後の調査をもとに、新たな視点から宮崎凖之助の世界を改めて紹介すべく、ただいま特集常設展を計画している。
 昭和5年(1930)に福岡市に生まれた宮崎凖之助は、50年代後半から北九州市の聾学校で美術教員を務める一方で、福岡の土着の反芸術集団「九州派」の中核メンバーとしての活動を開始した。芸術を日常の生活に下降させるという九州派の「生活者の思想」を、グループ活動中はもちろん解散以降も誠実に持続させていった希有な作家で、59歳で亡くなるまで、北九州市のアトリエで独り黙々と独創的なくすのきの作品をつくり続けた。未知の世界の言葉が刻まれたいびつな大小の球、無限の運動を繰り返す波形の板や柱、昔懐かしい農村生活を思い起こさせる荷車など、単純で有機的なかたちの作品群は、彫刻という概念には収まりきらない「豊かさ」、手彫りのうえノミ跡が残らないように磨きあげ、無名・匿名性に徹した過激ともいえる「純粋さ」に充ちていて、いまなお、いま一層新鮮だ。
 現在準備中の平成11年度の第3期常設展「宮崎凖之助・特集展示」では、展覧会終了後に、宮崎夫人をはじめとする展覧会協力者の方々からご恵贈いただいた、展覧会後に発見された作品を含む代表作品36点を一挙公開する予定。地方に生きたひとりの美術家が生涯をかけた「生活者の思想」とは一体何だったのか。日本の戦後美術を考察するうえで、前近代、農村、民衆といった「田舎」を武器に活動した、この不可思議な前衛美術家の存在は貴重だ。再びくすのきの作品に自由に触れて座って動かしてもらいながら、宮崎凖之助の思索と創作の日々を見つめ直す機会にしたいと考えている。
 「……幾シリーズかの制作を通過して、さて、ぼくは何処へ行こうとするのか。アーチストであれアルチザンであれ、ぼくの命運は定まっているだろうが、ただの人間の地平だけは喪いたくないと思っている。そんな野暮ったれの営為に、もしかしてぼくらの時代の根源に迫るものがあり得るとすれば幸いと言うべきであろう。」(「1970−九州・可能性の意志」展図録より)
 宮崎凖之助のこの言葉をもって、展覧会の幕を再び開けたいと思っています。
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平成11年度常設展3「特集・宮崎凖之助」
会場:福岡県立美術館
日時:2000年2月19日〜5月7日
問い合わせ先:福岡県立美術館(092-715-3551)

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