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Recommendation
和歌山  奥村泰彦
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exhibition波動・松谷武判展

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 端正な白、あるいは黒の画面に、得体の知れないふくらみがアクセントとなっている、そういった作品を多く試みている作家である。
 画面上のふくらみはボンドによるもの。かつての作品では、最新の素材であったボンドの造形的な可能性が実験的に試みられているが、近作では安定した造形のための素材として、落ち着いた表情を見せている。古い作品には実験にまつわる熱気と緊張感が満ち、新作には静かに存在を主張する、別種の緊張がみなぎっている。
 黒は鉛筆によって塗りこめられた、物質的なもの。芯の残す独特のマチエール、そして時に溶き油で流された炭素の流れが、制作の時間を立ち上がらせる。ボンドの作りだす滑らかな曲面も、あるいはまだこれからも硬度を増すのかもしれないという印象(おそらく印象に過ぎないのだが)とともに、それが凝固するまでの時間を、現在のなかに重層化させてゆく。
 60年代前半に具体美術協会で活躍し、66年以降はパリを拠点に活躍を続けている。と書くと、「具体の人」で片付けられてしまう向きがあって、芦屋の山本氏ならずとも「ちょっとまったらんかい」と言いたくなるところである。それで片付けられてしまうと、リアルタイムで知らなかった世代は、掘り起こすだけでもえらい手間になるのである。
 ほぼ新作から旧作へという順序で展示されながら、作品の新旧をさほど意識させないこの展覧会の展示は、作家の制作についての問題意識が一貫したものであることを証しているように思われた。
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会場:西宮市大谷記念美術館
会期:2000年4月1日〜5月21日
問い合わせ:Tel. 0798-33-0164

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exhibition笹岡敬展

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笹岡敬
上:インスタレーション・ヴュー
下:壁に投射されたグラスの映像(ディテール)

 笹岡敬は、有地左右一とのコラボレーションにおけると同様、ここしばらくピンホール・カメラの原理を応用した作品を試みている。今回の作品では、光源を閉じこめられた箱が回転し、そこにうがたれたピンホールから、光源自体の映像が壁に投射されてゆく。光源自体とは、つまりハロゲンランプなのだが、発光体の光がそのまま電球の形を映像として投影している状態は、それとして見えたとき、まず大いに見る者の意表を突く。
 私が見ているものは、光なのか映像なのか物なのか、恐らくそのどれもであり、どれもでない。目がとらえた光を、そのものと脳が解析した情報を得ているということなのか。しかし常に動いてゆく映像/光は、安定した視覚像を提供してくれないため、私の脳がどれくらい正確に作品を追いかけているのか、混乱が深まる。しかも、光源の前にはグラスを置くという細工がされているため、グラスの映像も見ている私は、一体何を見ているのか、一体何が見えているのか、見えているにもかかわらず、いや見えていると思うからこそ、ますます混乱してゆくのである。
 なんて文章をお読みになっても、作品を見ないことには、何も解りませんが、御覧になられたら、御自身が見ているということについて、混乱を共有できるかもしれません。
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会場:福住画廊
会期:2000年4月3日〜4月15日
問い合わせ:Tel. 06-6232-0608

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exhibition田中恭吉展

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田中恭吉「白晝のなまけもの」
田中恭吉「白晝のなまけもの」
1914(大正3)年
黒インク・ペン、顔料着彩、
紙/10.2×9.0
和歌山県立近代美術館蔵


田中恭吉「焦心」1914(大正3)年
田中恭吉「焦心」1914(大正3)年
木版、紙/20.9×10.0
和歌山県立近代美術館蔵

 一人の芸術家について、先入観なりあらかじめ植えつけられた印象でしかとらえていないことは、珍しいことではない。例えば、大正期に胸を病み、わずか23年の生涯を版画に燃焼させた夭折の画家と言われれば、作品を見るまでもなく、頭の中にはいろいろなストーリーが駆けめぐってとぐろを巻いてしまいそうである。田中恭吉はまさにそんな作家であって、〈創作版画誌〉というジャンルを『月映(つくはえ)』の刊行によってきりひらき、また『月に吠える』の挿画を手がけながら道半ばで絶命したという伝説(事実ではあるのだが)ばかりが名高く、本人は良くわからないという所もあったように思う。
 この展覧会は、そんな風に伝説化されがちな田中恭吉という一人の作家の足跡を、あくまでも残された資料によって回顧しようとしている。
 1892年に和歌山で生まれた恭吉は、白馬会洋画研究所を経て東京美術学校日本画科に入学するが、やがて学校を離れ、独自の表現の場所を求めて模索を始める。竹久夢二、香山小鳥、恩地孝四郎、藤森静雄らとの交友から、雑誌というメディアの中に表現の場を見出しつつあった恭吉だが、間もなく突然の喀血に見舞われ、病床での制作を余儀なくされる。
 その中から生みだされた緊張感に満ちた作品群を改めて見直すと、実は典型的な〈夭折の画家〉伝説の定型自体を作り上げてしまうだけの力を秘めたものだった。佳人薄命などという言葉も脳裏に浮かぶが、とにかくアイディアに満ち、常に何かを書き描いていたであろう様子に圧倒される。特に、喀血後の微笑む自画像は、画家の自己憐愍とも自己愛とも虚勢とも違う、自分をとりまく感情を何重にも折り重ねながら、客観的に突き放して示すものだ。ここに示す「焦心」は、その変奏。可愛らしく呪われたものと、自分自身を客観視できる精神の混迷とか言いたがる私も、既に伝説に足をすくわれているのだろうか。
 印刷メディアの中に自己展開していこうとしていた彼は、詩歌と版画の双方を手がけており、その両者を統一して評価する作業は今後期待される領域であるようだ。因に、隣接する和歌山県立博物館では5月28日まで長沢蘆雪展が開催されている。蘆雪もまた46才という若さで世を去っているが、大画面に躍動する水墨の勢いに妙味がある。恭吉の世界とは対照的で、見比べるのも面白いだろう。
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会場:和歌山県立近代美術館
会期:2000年4月15日〜5月21日
問い合わせ:Tel. 073-436-8690

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report学芸員レポート[和歌山県立近代美術館]

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 4月である。新年度である。人事異動もあったし、展覧会のオープニングもあり、なんやかんやと忙しいのである。仕事も押してるんである。私はぐずだし仕事が嫌いだ。
 でもって、結局4月は大阪に出られたのは1回きりで、京都にすら行けてなかったりするのだった。大阪にはフェルメールが来ているが、まだ見に行けずにいる。まあ、これについては他の方が書かれていたので、良いとしよう。それよりも、大阪では万博30周年にあたるため、国立国際美術館が「岡本太郎とEXPO'70」、大阪日本民芸館が「暮らしの美−'70年万博を再現する」、大阪市立博物館が「万博開封」と、万博ブームという雰囲気である。依然として景気も悪い今日このごろ、上り調子だったあの頃を懐かしむ気持もあるのだろう。30年を経て、しかしあのイベントが美術に与えた影響を、どれくらい整理できるものだろうか。見に行きたいなーと思いつつ、日は過ぎるのであった。
 ところでこの間、江上ゆか氏が書かれていた「あれ」(ってキックボードですが)について、私もむむむと思っていて、買いたいと妻に言ったら顰蹙を買ってしまい、マネージメントも何もない状態である。
 と、やや強引な展開で、頂戴しているお題である「アートマネージメント」の方に話を持っていこうとしているのだが、うーん、おなか痛い。
 聞いただけで脳が思考を拒否し、おなかが痛いという身体的な反応を返してくる言葉がいくつかあって、「アートマネージメント」というのはその中の一つなのであったりする。いや、いろいろと考えるところはあるのですけれどもね。そりゃ当然、美術関連の仕事をしているわけですから、意見もございます。ございますが、しかし、おなか痛いというところに帰着してしまうのは何故であるか。
 考えても仕方がないから、というのはあまりにあけすけで、それ自体どうしようもないお答えですが、しかし実際の所はそうである面を否定できないのでありまして、ある種の公立美術館に御勤めの同業の方々にはお解りいただけるのではないかと思いますが、そんな人たちだけに解ってもらっても仕方がない仕方なさの正体とはこれいかに、ということを究明した上で展開する「アートマネージメント」が必要なのでしょう。そういうものがあるのかどうか、存じないのは私の不勉強に尽きましょう。

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