ところで、藤幡正樹の液晶プロジェクターで投影したバーチャルな本の作品や、徐冰の偽漢字の作品などが、まずは順当に人気を集めていたなかにあって、一人異彩を放っていたのは中ザワヒデキの「二九字二九行の文字座標型絵画第一番」だったようだ。蛍光灯が組み込まれたライトボックスに、漢字やひらがなを黒いカッティングシートでグリッド状に貼ったこの作品。コンピュータの文字コード表のような、やたら画数の多い漢字の配列の中に天地逆のひらがなが混じっているだけで、そこに意味のある文章は読み取れず、少し距離をおいて見てはじめて、画数の粗密が濃淡となって、オプアートよろしく錯視による空間があらわれるという、ただそれだけの仕掛けである(画面隅にちゃんと作家の署名があるところがご愛嬌)。
中ザワが提唱する、一見馬鹿馬鹿しいけど実は非常にスリリングな“方法主義”とあわせて見れば、この人を食った無意味さも納得できるが、そうでない観客たちは、暗いブースの奥に1点だけ架けられた作品に一応は近づいても、5秒後には可哀想に、漫画によくあるように頭の上に?マークをいっぱいつけたまま、そそくさと踵を返して立ち去るしかない。中ザワ本人に責任はないだろうが、どちらかと言えば、難しいことを抜きに子供から大人まで参加して楽しめる、あるいは素直に感動できる類いの作品ばかりが並ぶ中で、このほとんど暴力的なまでのこの異質さは一体何なのだろう。ぼくはと言えば、その光景に反射的に痛快さを覚え、次の瞬間、そう思ってしまう自分に心が痛んだ。