というわけで、私の岡本光博に対するアンビバレントな印象も変わらないのである。たぶん、彼の作品の弱点をあげつらい、列挙するのは比較的簡単なのだ。コンセプトが明解なのはよいのだが、時に説明的になりすぎて作品の自立性がやや弱く感じられる。しばしば絵画という形で問題意識を提示するのだが、やはり図式的な要素が前面に出すぎる嫌いもある。結果的に、悪い意味での工芸性というか、本来彼の批判の対象たるべき方向に自ら陥るという、皮肉な状況にみえる場合があるのだ。一方で、あまりにも極端に暴走しそうな気配も孕んでいて、かつての血液によるドローイングもかなりキツイものだったし、帰国後の新作のうち、インド西部の大地震の写真に破壊の神シヴァの人形をコンバインしたものなど、阪神大震災を経験した身としては素直に鑑賞しづらいものがある。どうも、彼はある種のバランス感覚を欠いているようだ。それが端的に表れるのが「音」の扱い方である。堪え難いほどの音量で執拗なループ音を流すなど、一瞬立ち寄るだけの観客にも相当つらいのに、ギャラリストはさぞたいへんだろうと思うのだが、そんなこと、アートのためには屁とも思っていない風情なのである。
極論するが、私は彼のコンセプト=理屈の部分にはほとんど興味がない。だとしたら、とるに足りない作家なのかというと、決してそうではなくて、正直、気になる存在なのだ。ちょうど咽に刺さった小骨のように、何かしら毒気を含んだ異物感が拭えない、という感覚である。それは、前記したバランス感覚の欠如と大いに関係があって、いいあてるのが難しいのだが、彼のなかの非常に頑固な芯のようなものが、そつの無いスタイリッシュな表現に結晶化する事を拒んでいるように見受けられる。美しくおしゃれにまとまった、限りなく退屈な作品の氾濫の中では、岡本光博の武骨さは逆に可能性に満ちた光を放ってみえる。どのみち、人の意見に左右されるようなタマではない。いずれ、アッと息を飲むようなマジックを現出してくれることを期待したい。