今から思えば、おぞましいばかりのエリート意識に我ながら呆れはてるが、その一方で、何かを真摯に学ぼうとしていた自分の幼い情熱を懐かしいとも感じる。郡山市立美術館で開催中の本展は、ぼくにとってそうした複雑な感情を抱かせるものだった。
展覧会では、山本芳翠ら、明治時代初頭にヨーロッパに留学した、わが国の近代洋画の開拓者たちによる模写から、黒田清輝によって指揮された東京美術学校西洋画科の学生たちによるもの、あるいはパトロンたちの注文に応じて制作されたものなど、東京芸大美術館所蔵品を中心に、各地のコレクションから集められたヨーロッパ絵画の模写作品100点以上が展示されている。
同時に、そうしたテレビ番組で必ず「好プレー集」がセットになるように、流石、と唸るほかない作品も用意されている。たとえば、山本芳翠、伊原宇三郎、岡田三郎助、下村観山などの作品がそうだ。彼らの模写は、原画にどれだけ忠実かは別にして、画面の密度と緊張感がほかと比べて明らかに高い。習作の域を出て、独立した絵画作品としても十分に通用するようにさえ思う。
もちろん、本展企画者の意図は、出品作品個々の優劣を鑑賞させることではなく、明治、大正、昭和と、日本の近代絵画の基礎を築いてきた画家たちの悪戦苦闘の歩みをたどり、絵画という舶来の概念を先人たちがいかに咀嚼し、受容してきたかを明らかにすることだ。そうした意味では、本展カタログ中にも触れられている、戦前各地で盛んに開かれていた模写による「泰西名画展」の存在は興味深い。当時は、展覧会のみならず、模写による泰西名画の美術館構想などが大真面目に論じられていたのである。
泰西名画という半ば死語と化したこの言葉。字義的には単純に「西洋名画」を指すに過ぎないこの名称に、ぼくなどは反射的に黴臭いアナクロニズムの匂いを感じ取ってしまい、現代でも巷に横行する「泰西名画展」的なものこそ、この国の発想の貧困さを象徴する悪弊として断罪していた。しかし、この展覧会を見た後では、ルーブルの名画群の前にイーゼルを立てて模写をしながら、それを真剣に論じていた100 年前の先輩たちの姿をいとおしいとさえ思えてきたから不思議だ。