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石川順恵展 |
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9/18〜10/7 南天子画廊[東京] |
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今日から久々に芸大の後期授業が始まり。取手からの帰りに京橋に寄る。最近こんなことでもない限り、展覧会も見に行けない。石川さんの作品は、生の綿キャンに薄ーく溶いた絵具を染み込ませ、そのうえに砂とか混ぜた原色をこってり塗っている。かそけき仕事が多いなかで久々に元気になる絵画。
[10月2日(月) 村田真] |
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トーマス・シュトゥルート:マイ・ポートレイト |
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10/3〜12/9 東京国立近代美術館フィルムセンター展示室 |
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「街路」「肖像」「美術館」の3つのシリーズを中心とする展示。これらが、風景画、肖像画、ギャラリー画という西洋の伝統的な絵画形式を意識したものであることは一目瞭然。しかも初期の「街路」シリーズの多くは、画面の中心に消失点を置いた一点透視図法だし、「肖像」もモデルが無表情でこちらを向き、長時間かけて撮られている。まるで写真で西洋絵画を追体験してるみたいだ。ところが、日本や中国のぐちゃぐちゃな街路を撮り始めてから透視図法は崩れ、東洋人の肖像には謎のほほえみが表われ始めた。亜熱帯の森林を撮った最新シリーズの「パラダイス」にいたっては、もはや西洋絵画の手法を放棄せざるをえなくなったようだ。森林に透視図法は効かないもんね。
[10月2日(月) 村田真] |
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間――20年後の帰還 |
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10/3〜11/26 東京芸術大学大学美術館 |
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1978年にパリで開かれ、その後アメリカを巡回した「間」展。当時、この展覧会に参加した舞踏家の田中泯さんや音楽家の鈴木昭男さんから話を聞き、見たくて見たくてしかたなかったものだ。そういえば当時『遊』の愛読者だったもんなあ。あれから20年たち、すっかり関心が薄れきったころに日本で実現したってわけ。三宅一生、篠山紀信、宮脇愛子、倉俣史朗らの作品はある(なんだ、みんな監修者の磯崎新のお友だちではないか)。でもそれ以外は、長谷川等伯の「松林図屏風」にしろ「九相詩絵巻」にしろ竜安寺の石庭にしろ、写真や映像ばっか。間、しかたないっか。
[10月2日(月) 村田真] |
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松井憲作展 |
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10/2〜14 信濃橋画廊エプロン[大阪] |
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松井さんは名古屋の画廊で主に発表している。10数年前の京都での個展を見て以来、久方ぶりに松井さんの作品を直に見た。今回の個展はドゥローイングのみの構成。紙のごく一部分に墨で、丸と三角、四角とそれを対角線で分断する線のみが描かれている。それらは少しズレているだけだったするのだが、すごい間合いで1枚の紙という宇宙を支配する。七、五調を空間の比率の持ち込んでいるとか。完璧なリズムにただただ作品を食入るように見るしかなかった。
[10月3日(火) 原久子] |
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きむらとしろうじんじん「野点」 |
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9/30〜10/15 水戸芸術館中庭 |
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締切をものともせず水戸へ。「野点」は水戸芸主催のワークショップ。ぼくも茶碗1個に絵つけして、茶1杯飲みました。ドラッグクイーン姿のじんじんさんは、スキンヘッドに茶を泡立てる茶筅を立てているので、子供が不思議そうに「どうやって立ててるの?」と聞いたら、「頭蓋骨に埋め込んでるんだよ」と答えていた。こういう怪しげな人間がふらりと町にやって来て、茶立てて去っていく風景は21世紀に大切に残したい。
[10月3日(火) 村田真] |
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野村仁「生命の起源:宇宙・太陽・DNA」 |
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8/5〜10/15 水戸芸術館現代美術ギャラリー |
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「ムーン・スコア」からソーラーカーによるアメリカ大陸横断まで、のむらじんじんさんの大個展。時間と空間の極限をかいま見ようとするスケールの大きさと忍耐強さは、日本人離れしているというか、もはやアート離れしているが、こちらのじんじんさんの外見はきわめてジミーな公務員。本日は担当学芸員・森司によるギャラリートークつき。
[10月3日(火) 村田真] |
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