Feb. 4, 1997 Feb. 25, 1997

Art Watch Index - Feb. 18, 1997


【写真と絵画の美しい対比】
 ………………●名古屋 覚

【西部劇ばかりがジョン・フォードの映画ではない】
 ………………●森田祐三


Art Watch Back Number Index



《眼差しと視線3》
会期:
1997年2月7日
 〜3月1日
会場:
ミヅマアートギャラリー
問い合わせ:
ミヅマアートギャラリー
Tel.03-3499-0226
e-mail:
mag@ba2.so-net.or.jp
菅原一剛

菅原一剛
「Blue#18 (Norway 1994)」

中西學

中西學
「風の女神」






MIZUMA ART GALLERY
http://ux01.so-net.or.jp/
~mag/index-j.html

Ichigo Sugawara
http://www.cyber66.or.jp/
mori66-sj/laforet-sj/
museum/exhibition_index/
ichigo.html

Manabu Nakanishi
http://www.iip.co.jp/
ARTISTINDEX/11/
11home.html

Hiroyuki Matsukage Profile
http://fishmans.eccosys.co.jp
:12345/~psyvogue/hirop.htm

写真と絵画の美しい対比

●名古屋 覚



美術館の展覧会のように大々的に宣伝されていないが、東京のアートシーンでキラリと光る画廊の企画展を紹介する。
  地下鉄の表参道駅から青山通りを渋谷方面に進み、「無印良品」の角を右に入った通りの突き当たりにあるミヅマアートギャラリー。この画廊が昨年2月から半年おきに、インディペンデント・キュレーターの中世古佳伸を起用して開催している企画展が《眼差しと視線》で、最終回の3回目となった今展では、広告やファッションの分野でも活躍する写真作家の菅原一剛(1960年生まれ)と、絵画や彫刻を手掛ける中西學(1959年生まれ)を取り上げている。
  抑制された色彩の精密なプリントに、静寂感と、憂いを帯びた詩情を漂わせる写真を発表してきた菅原は、ノルウェーの滝に取材した未発表のモノクローム作品5点と、最新作のヌードのカラー作品1点を展示。驚くほどきめの細かいゼラチンシルバープリントの「滝」のシリーズは、一見すると平板な、光沢のない白・黒のトーンが、実は限りない奥深さと静けさを包み込んだものであることを示し、見る者を引き付ける。特に、光も音も吸い込むような黒は魅力的で、その中に浮かび上がるほの白い水の飛沫は、現実から遠く離れた時間の中で凍りついているように見える。灰色がかって寒々とした、暗い色調の中に横たわる女性のトルソのヌードも、見事な構図で息をのむほど美しい。
  この禁欲的な菅原の写真と対比されているのは、チューブから絞り出されたままの絵の具のような鮮やかな色彩で、生物の細胞の拡大図を思わせるダイナミックで有機的なイメージを描いた中西の絵画(油彩2点にアクリル、パステルなどを用いたもの1点)。これまでに、画廊の空間一杯の大きさをもつ立体作品も発表してきたこの作家だけに、平面上の表現ながら、あらゆる枠を突き破るかのような強さをもつ。
  静的な写真と動的な絵画という対比は、鮮やかであると同時に、ある種の意外性も感じさせる。色調や構図の美を無視した、未熟で乱雑な「作品」をもてはやす最近の日本の写真界の一部の幼児的な風潮や、既に試されたミニマリズムの焼き直しにすぎない作品が引きも切らない、この国の現代絵画の状況の裏返しでもあるからだろう。
  「眼差しと視線」という題名の意味はあいまいながら、第1回展で白土恭子(写真)と渡辺紅月(絵画)、2回展で松蔭浩之(写真)とOJUN(絵画)といったアーティストを取り上げてきたこの企画展。これまでは写真の側の貧弱さゆえに満足できるものではなかったが、最終回の今展でついに、写真と絵画という2つの視覚言語の美しい対比を実現させた。こうした企画を生み出すキュレーターと、そうしたキュレーターに活動の場を与える画廊の存在は、日本の現代美術の希望の種といってよい。

[なごや さとる/美術ジャーナリスト]

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「ジョン・フォードの世界」
会期:
19996年12月28日
 〜1997年2月14日
会場:
ユーロスペース
問い合わせ:
ユーロスペース
Tel.03-3461-0211





Filmography of John Ford (I)
http://us.imdb.com/M/
person-exact?Ford,%20John

Battle of Midway, The (1942)
http://us.imdb.com/M/
title-exact?
Battle%20of%20Midway%2C
%20The%20%281942%29

Filmography of Roberto Rossellini
http://us.imdb.com/M/
person-exact?
Rossellini,%20Roberto

Filmography of Jean-Luc Godard
http://us.imdb.com/M/
person-exact?
Godard,%20Jean-Luc

December 7th (1943)
http://us.imdb.com/M/
title-exact?
December%207th%20
%281943%29

Iron Horse, The (1924)
http://us.imdb.com/M/
title-exact?
Iron%20Horse%2C
%20The%20%281924%29

Judge Priest (1934)
http://us.imdb.com/M/
title-exact?
Judge%20Priest%20
%281934%29

Filmography of Dziga Vertov
http://us.imdb.com/M/
person-exact?
Vertov,%20Dziga

Vertov'survey of work
http://www.wcsu.ctstateu.
edu/~MCCARNEY/
survey_of_work_489.html

How Green Was My Valley (1941)
http://us.imdb.com/M/
title-exact?
How%20Green%20Was%20
My%20Valley%20
%281941%29

Streamboat 'Round the Bend (1935)
http://us.imdb.com/M/
title-exact?
Steamboat%20%27Round%20
the%20Bend%20
%281935%29

Young Mr. Lincoln (1939)
http://us.imdb.com/M/
title-exact?
Young%20Mr%2E
%20Lincoln%20
%281939%29

西部劇ばかりが
ジョン・フォードの映画ではない

●森田祐三



生誕百年ジョン・フォードの世界

『ミッドウエイ海戦』(1942)を個人的に好きな映画だと挙げる人物、ここではフォードについての本を書いているタグ・ギャラガーのことだが、余程思い入れがあるのか、監督の「モダニスト」振りをロッセリーニゴダール、はてはストローブ=ユイレまで引き合いに出して賞揚するのを、単に見ていないからという理由からくるごく低級な悔しさとともに甘受していなければならなかったのだが、数は多くはなかろうとはいえ、他にも似たような悔しさを程度の差こそあれ日々緩慢に耐えていた人々にとって、今回ユーロスペースが企画した「生誕百年ジョン・フォードの世界」は朗報などでは済まない、まさに思いがけない出来事である。映画では良くあるとはいえ、こうした思いがけなさも、ことフォードの映画となるとやはり何層倍もの衝撃をともなって迫ってくるのだし、そうした場合にどのような態度をとればよいかを教えてくれるものがフォードの映画でもあるのだ。「攻撃が始まったときまだ準備が出来てなくて16ミリのアイモしか持っておらず、キャメラを廻しては次から次にマガジンを換えてポケットに押し込んだんだ。グレネードがすぐ側で爆発するものだから画面が揺れていて、その後戦争場面を撮るといえばわざとキャメラを揺らすようになったけれど、僕の場合は正当性がある。だって、爆弾が足下で爆発してたんだからね」 (Univ. of California Press, Jhon Ford. p.204)。

奇怪な映画作家

既に上映が終わってしまった作品には、『ミッドウエイ海戦』『ドキュメント真珠湾攻撃』(1943)などだけではなく、『アイアン・ホース』(1924)や『プリースト判事』(1934)などが含まれているが、ゴダールやヴェルトフを参照して「ドキュメンタリー」と「フィクション」の差異を検討し、改めてフォードの映画の「モダニティ」を確認するなどという面倒なことは賢明に敬遠して、見逃した人は再び上映されることをひたすら祈念し、見てしまった人は、やはり、再上映されることを心待ちにするというのが正当な態度である。これから上映される作品では、ヴィデオの形で容易にみることのできる『わが谷は緑なりき』(1941)ももちろんのこととしても、なんといっても『周遊する蒸気船』(1935)だけは見逃せない。周遊するというより自らを破壊しながら爆進する物体が、それでもなお蒸気船と呼ばれてしまうことの理不尽さを目の当たりにすれば、ジョン・フォードの映画作家としての奇怪さが「モダニティ」などという愛想の良い言葉を越えて迫ってくるのだ。

フォード的としかいいようのない形象

確かに、こうした奇怪さは、例えば今回上映されるもののなかで、ザナックの監修下にある『若き日のリンカン』(1939)では低減しているといえるかもしれぬが、それにはそれでまたべつの楽しみもある。運良く映画館に馳せ参じた人は、揺れる木の影、川縁やあの大きな木、あるいは天日に照らされた真っ白な地面に立つ人々やいつも通りの柵に沿っての散策など、フォード的としかいいようのない形象に浸るという些か反動的な快楽に密かに耽ることができたのだし、そういった態度が反動であるといえるのもやはりジョン・フォードがいてくれたからなのだと改まって物思うことが出来たのだった。

[もりた ゆうぞう/映画批評]

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