Jan. 21, 1997 Feb. 4, 1997

Art Watch Index - Jan. 28, 1997


【新時代=ニューエイジのアンセルム・キーファー
 《I HOLD ALL INDIAS IN MY HANDS》展】
 ………………●毛利嘉孝


Art Watch Back Number Index



《I HOLD ALL INDIAS IN MY HANDS》展
第一会場:
アンソニー・ドフェイ・
ギャラリー
23/24 Dering St., London W1R 9AA
会期:
1996年12月4日〜 
1997年2月15日
問い合わせ:
アンソニー・ドフェイ・
ギャラリー
Tel 0171-499-4100
第二会場:
サウス・ロンドン・
ギャラリー
65 Peckham Road, London SE5
会期:
1996年12月4日〜 
1997年2月9日
問い合わせ:
サウス・ロンドン・
ギャラリー
Tel 0171-703-6120
The orders of night

The orders of night, 1996
Emulsion, acrylic and shellac on canvas, 356×463cm
Copyright 1996 Anthony d'Offay Gallery
Copyright Anselm Kiefer






Anselm Kiefer
http://www.broadartfdn.org/
bio-kiefer2.html

Anselm Kiefer - Reference Page
http://www.artincontext.com/
listings/pages/artist/
s/6kg6wofs/menu.htm

Chris De Witt's Berlin Wall Web Page
http://www.users.dircon.
co.uk/~chrisx/index.html

Time & Again - Berlin Wall
http://www.msnbc.com/
OnAir/msnbc/TimeAndAgain/
archive/berlin/default.asp

Vincent Van Gogh: A Tribute
http://www.interlog.com/
~vangogh/

Vincent van Gogh
http://www.ugrad.cs.jhu.edu/
~baker/van_gogh.html

Vincent van Gogh
http://www.seanet.com/
HTML/Users/mfost/
van/van00.html

Philadelphia Museum of Art
http://pma.libertynet.org/

新時代=ニューエイジの
アンセルム・キーファー

《I HOLD ALL INDIAS IN MY HANDS》展

●毛利嘉孝



「アンセルム・キーファーの新作展」という響きに戸惑いを感じる人もいるだろう。キーファーという名前は、80年代に多少でも美術に関わったことのある人には強迫観念にも似たある種の感情を喚起させる。にもかかわらず、キーファーという名前は遠い昔の出来事のようにも聞こえるのだ。「まだ、キーファーなんて存在したのか?」こう感じる人も少なくないはずだ。
  いや、こういう言い方は、第二次世界大戦の終結の年に生まれた老人と呼ぶにはまだ若いこの作家には失礼かもしれない。いずれにしても、キーファーは復活した。ロンドンのセントラルのアンソニー・ドフェイ・ギャラリーと中心から少し離れたサウス・ロンドン・ギャラリーの2カ所で実に久しぶりの新作展が開催されている。劇的なベルリンの壁の崩壊後、キーファーはドイツを離れ、ニューヨークに移り、南米やインドやオーストリアと旅をし、最終的に南仏の、かつてヴァン・ゴッホが住んでいたアルルのすぐ近くの村に居をかまえた。今回の作品は、そこで制作された新作絵画展である。以前と同じく巨大なキャンヴァスには絵具が厚く塗り込められている。

キーファーの時代、80年代

80年代は、キーファーの時代だった。評者がキーファーに初めて対峙したのも、10年前、1987年アメリカのフィラデルフィア美術館に大々的な回顧展が巡回してきた時だった。このアメリカでの巡回展がアート・シーンに与えた衝撃については、あらためて詳述する必要はないだろう。新表現主義からネオ・ジオそしてシミュレーション・アートと移行した80年代のアメリカのアート・シーンは、そのマーケットの思惑にもかかわらず、結局「巨匠」を生み出すことはできなかった。そこに登場したのがドイツのキーファーだった。3mをゆうに越す巨大な絵画、厚く塗り込められたキャンヴァス、そして、神話の、戦争の、そしてファシズムの、ドイツの精神史をモチーフとした壮大なテーマ。こうした要素は、アート・シーンから忘れられかけていた「巨匠」という概念を再び蘇えらせるのに十分なものに思われた。最後の画家キーファー?

キーファーはキッチュだったのか?

しかし、ベルリンの壁の崩壊はキーファーの評価を一変させた。キーファーの厚く塗られたキャンヴァスの美学が、実はベルリンの壁と同様に一定の状況が生みだしたイデオロギー的な産物であり、一夜にして崩壊してしまうような薄っぺらな「書割り」だったことが、東西統一によって露呈してしまったのだ。93年に日本での初めての本格的なキーファー展がセゾン美術館で行なわれた時に、日本の文化人の間で交わされた「キーファーはキッチュではないか」という議論は、こうしたキーファーの評価の下落の産物だった。
  評者は、「キーファーなんてもともと大したものではなかった」という意見は採らない。ベルリンの壁が現実に「崩壊するもの」だったと理解されるのは、壁が崩壊してからにすぎず、崩壊前には、壁が現実の圧倒的な政治の力として働いていたことは決して忘れるべきではない。キーファーの絵画も同様に、冷戦構造下において、ある「物質的な力」を決定的に有していたことは過小評価すべきではないだろう。

ニューエイジになったキーファー

しかし、やはり同時にキーファーは80年代の作家だった。より正確には、ベルリンの壁の崩壊とともに終わった作家だったのだと結論づけざるをえない。今回の展覧会は残念ながらこのことを再確認させるものとなった。巨大なキャンヴァスやそれをコントロールするテクニックは、80年代と何ら変わっていない。決定的に変わったのは、そのモチーフである。かつてドイツの歴史を描いた筆致で、ゴッホの愛したひまわりが描かれ、その根本にはヨガのポーズをとった男が横たわっている。キャンヴァスには本物のひまわりの種子が蒔き散らかされている。生と死、そして輪廻を真正面から捉えたその作品のテーマは依然として巨大なのだが、それはその巨大さゆえに空虚であり、滑稽にさえ見えるのだ。ヨガをはじめとする東洋精神史の導入が、その深刻ぶった筆致と反して(相まって?)、真剣に受け取ることがどうにもできない。ベルリンの壁の崩壊後一種のアイデンティティ・クライシスに陥ったこのあまりにドイツ的な作家が、こうしたニューエイジ的な世界を自分の仮の新しいアイデンティティとして発見したのだとしたら、あまりにも無惨である。もちろん、何を発表しても批判されるのは最初から見えていたということはあるのかもしれない。しかし、そうした批判を先回りしたアイロニーとしても、あまりにも趣味が悪すぎる。

[もうり よしたか/
カルチュラル・スタディーズ]
mouri@dircon.co.uk

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