Jan. 21, 1997 | Feb. 4, 1997 |
Art Watch Index - Jan. 28, 1997
【新時代=ニューエイジのアンセルム・キーファー 《I HOLD ALL INDIAS IN MY HANDS》展】 ………………●毛利嘉孝
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《I HOLD ALL INDIAS IN MY HANDS》展
The orders of night, 1996
Anselm Kiefer http://www.broadartfdn.org/ bio-kiefer2.html
Anselm Kiefer - Reference Page
Chris De Witt's Berlin Wall Web Page
Time & Again - Berlin Wall
Vincent Van Gogh: A Tribute
Vincent van Gogh
Vincent van Gogh
Philadelphia Museum of Art |
新時代=ニューエイジの ●毛利嘉孝
「アンセルム・キーファーの新作展」という響きに戸惑いを感じる人もいるだろう。キーファーという名前は、80年代に多少でも美術に関わったことのある人には強迫観念にも似たある種の感情を喚起させる。にもかかわらず、キーファーという名前は遠い昔の出来事のようにも聞こえるのだ。「まだ、キーファーなんて存在したのか?」こう感じる人も少なくないはずだ。 キーファーの時代、80年代 80年代は、キーファーの時代だった。評者がキーファーに初めて対峙したのも、10年前、1987年アメリカのフィラデルフィア美術館に大々的な回顧展が巡回してきた時だった。このアメリカでの巡回展がアート・シーンに与えた衝撃については、あらためて詳述する必要はないだろう。新表現主義からネオ・ジオそしてシミュレーション・アートと移行した80年代のアメリカのアート・シーンは、そのマーケットの思惑にもかかわらず、結局「巨匠」を生み出すことはできなかった。そこに登場したのがドイツのキーファーだった。3mをゆうに越す巨大な絵画、厚く塗り込められたキャンヴァス、そして、神話の、戦争の、そしてファシズムの、ドイツの精神史をモチーフとした壮大なテーマ。こうした要素は、アート・シーンから忘れられかけていた「巨匠」という概念を再び蘇えらせるのに十分なものに思われた。最後の画家キーファー? キーファーはキッチュだったのか?
しかし、ベルリンの壁の崩壊はキーファーの評価を一変させた。キーファーの厚く塗られたキャンヴァスの美学が、実はベルリンの壁と同様に一定の状況が生みだしたイデオロギー的な産物であり、一夜にして崩壊してしまうような薄っぺらな「書割り」だったことが、東西統一によって露呈してしまったのだ。93年に日本での初めての本格的なキーファー展がセゾン美術館で行なわれた時に、日本の文化人の間で交わされた「キーファーはキッチュではないか」という議論は、こうしたキーファーの評価の下落の産物だった。 ニューエイジになったキーファー しかし、やはり同時にキーファーは80年代の作家だった。より正確には、ベルリンの壁の崩壊とともに終わった作家だったのだと結論づけざるをえない。今回の展覧会は残念ながらこのことを再確認させるものとなった。巨大なキャンヴァスやそれをコントロールするテクニックは、80年代と何ら変わっていない。決定的に変わったのは、そのモチーフである。かつてドイツの歴史を描いた筆致で、ゴッホの愛したひまわりが描かれ、その根本にはヨガのポーズをとった男が横たわっている。キャンヴァスには本物のひまわりの種子が蒔き散らかされている。生と死、そして輪廻を真正面から捉えたその作品のテーマは依然として巨大なのだが、それはその巨大さゆえに空虚であり、滑稽にさえ見えるのだ。ヨガをはじめとする東洋精神史の導入が、その深刻ぶった筆致と反して(相まって?)、真剣に受け取ることがどうにもできない。ベルリンの壁の崩壊後一種のアイデンティティ・クライシスに陥ったこのあまりにドイツ的な作家が、こうしたニューエイジ的な世界を自分の仮の新しいアイデンティティとして発見したのだとしたら、あまりにも無惨である。もちろん、何を発表しても批判されるのは最初から見えていたということはあるのかもしれない。しかし、そうした批判を先回りしたアイロニーとしても、あまりにも趣味が悪すぎる。
[もうり よしたか/
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