第6回ハバナ・ビエンナーレ
- 会場:ハバナ市内各所
- 会期:1997年5月3日〜6月8日
- 問い合わせ:
- E-mail: univers@kulturbox.de
ビエンナーレの記者会見で熱弁を振るう、
ウィフレド・ラム・センターのジリアン・ジャネス所長。同センターにて
展示作品の前の佐藤時啓氏。旧市街のラ・カソーナにて
ブキミな展示は、ジャマイカのアーティスト、
デイヴィッド・ボクサーのインスタレーション。
人間の脳の標本まで使っているそうな。旧市街にて
モーロ城から運河をはさんで眺めるハバナ市街
カラフルなプラスチックの廃物を利用したアフリカ・ベニンの作家、
ロミュアルド・アズメの展示。モーロ城にて
らせん状の階段を囲む巨大な目の写真はペルーの作家、
ロベルト・ウアルカヤのインスタレーション。モーロ城にて
ラ・カバーニャ要塞の会場風景。道の両側の建物内の各部屋で展示が行なわれる
ヘッドギアに小さなオルゴールを取り付けた、
コスタリカのアーティスト、プリシラ・モンヘの作品。ラ・カバーニャ要塞にて
ハンカチをたくさんぶら下げた涼しげなインスタレーションは、
ブラジルのフラヴィオ・ポンスの展示。ラ・カバーニャ要塞にて
「お母さん、許して」の文字、バラの花と弾丸の絵のある「床屋」は、
プエルトリコのペポン・オソリオのインスタレーション。旧市街にて
極彩色のソファーはブラジルのアレックス・フレミングのインスタレーション。
ソファーに書き込まれているのは「トゥパク・アマル、
仲間の釈放を求めてペルーの日本大使公邸を襲う」といった、
時事的なメッセージ。旧市街にて
床に円く灰を敷き、その中央にコンドームをかぶせたコカ・コーラのボトルを
置いたのは、最近、東京都現代美術館でも似たような展示を行なった
インドネシアのアーティスト、アラフマイアニ。
「アメリカ式消費文明の侵略」がテーマという。旧市街「アジアの家」にて
キューバの現代美術家を支援するルートヴィヒ財団の後援で、
ハバナの革命博物館内で個展を開いた若いアーティスト、
ジャクリーヌ・ブリート・ホルヘとその作品。
同博物館でのオープニング・レセプションにて
ハバナ大学付属のギャラリー、「ガレリーアL」で展示中のキューバの画家、
フアン・グリージョとその作品。ハバナ市ベダード地区の同ギャラリーにて
撮影:名古屋 覚
6th Biennial of Havana. Universe in Universe
http://www.kulturbox.de/ univers/car/havanna/ english.htm
6th Biennial of Havana: Venues. Universe in Universe
http://www.kulturbox.de/ univers/car/havanna/ e_orte.htm
Wifredo Lam Center
http://www.kulturbox.de/ univers/car/havanna/ e_lam.htm
Lam Center
http://www.cubaweb.cu/ museos/m319.html
Wifredo Lam - Reference Page
http://www.artincontext.com/ listings/pages/artist/ j/4zzurpqj/menu.htm
Fidel Intro Page
http://www.imagesmith.com/ imagesmith/fidel/
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[Art Watch Special]
第6回ハバナ・ビエンナーレ取材日記
●名古屋 覚
1997年5月1日(木)
メキシコのリゾート地、カンクンを出発した旅客機は、約1時間の飛行の後、キューバの首都ハバナのホセ・マルティ国際空港に到着。夜10時少し前。タラップを降りると、湿り気を帯びた温かい空気に包まれる。空港の入国審査場は、いかにも社会主義国らしい暗さだ。両替えしようとして、この国が外国人にとっては完全な米ドル経済圏であることを知る。ハバナ(現地語のスペイン語では「ラ・アバーナ」)の旧市街から車で約20分のミラマール地区にある4つ星ホテル「シャトー・ミラマール」に投宿。
5月2日(金)
午前10時から旧市街のウィフレド・ラム・センターでビエンナーレの記者会見があるというので、出かける。中国人の父親と、黒人とスペイン人の混血の母親をもつウィフレド・ラム(1902−1982)は、キューバの近代を代表する画家。彼の没後、その業績をたたえて創設された同センターは、ラム研究のみならずキューバ現代美術の育成と美術による国際交流の振興をも目的としており、ハバナ・ビエンナーレの主催者でもある。
植民地時代からのものらしい建物に収まるラム・センターは、関係者でにぎわっていた。日本からただひとりの出品作家の佐藤時啓氏、大のキューバ・ファンとして知られる目黒区美術館学芸員の正木基氏、写真評論家の飯沢耕太郎氏ら、日本から訪れた人々の姿も見える。記者会見では同センター所長でビエンナーレの代表者でもあるジリアン・ジャネス女史が、財政的困難を乗り越えてのビエンナーレの実現がいかに大変だったかに熱弁を振るう。「ビエンナーレの予算は?」と質問してみたが、「いろいろな方面からの寄付で成り立っている。予算など私は知らない」。
記者会見終了後、佐藤氏、正木氏らとともに展示を見て回る。44か国から177名の作家が出品したという今回のビエンナーレのテーマは、「個人とその記憶」。会場は3か所に分かれ、ラム・センター周辺の旧市街では「集団の記憶」、旧市街と運河をはさんで向かい合うモーロ城では「記憶の顔」、その隣のラ・カバーニャ要塞では「内面の領域」と題された展示が、それぞれ行なわれている。ただし、各展示作品がそうしたテーマに厳密に対応しているわけではないらしい。
北回帰線のすぐ南に位置し、海に面したハバナは、強烈な日差しと潮気のある海風があいまって蒸し暑く、立っているだけで汗が吹き出してくる。現地制作された佐藤氏の作品は、「ラ・カソーナ」と呼ばれる18世紀の大邸宅の2階の、パティオ(中庭)をめぐる回廊に展示された。「Photo-Respiration」と題された、180×220cmのゼラチンシルバーのトランスペアレンシー12点から成るシリーズで、明るいパティオに向かって吊られている。ハバナ市内の広場、カテドラル、丘の上に現在も残るミサイルといった風景のそこここに、佐藤氏が手鏡に太陽の光を反射させながら歩き回った光の跡が、長時間露光で写し込まれている。
午後、50年代製とおぼしいシボレーの白タクを4時間20ドルでチャーターし、モーロ城とラ・カバーニャ要塞を回る。まだ展示作業中のところが多い。
午後4時過ぎ、今回のビエンナーレを日本から支援した株式会社プレスキットの石野明社長ら日本から訪れた関係者がラム・センターのジャネス所長を表敬訪問するというので、同席。所長によれば、あのフィデル・カストロ氏はこれまでビエンナーレに一度も顔を出したことがないそうだ。
5月3日(土)
午後4時から旧市街のカテドラル前の広場でビエンナーレのオープニング・セレモニーがあるというので出かける。カテドラル正面近くの壇上でジャネス女史が演説。壇上には石野氏の姿も。
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ビエンナーレのオープニング・セレモニー。
カテドラル前広場にて
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再び旧市街の展示を見て回る。その後で、日本から訪れていた美術関係者のひとりがカフェで休憩中、バッグをひったくられたと聞く。ここはもはや“楽園”ではないらしい。ホテルにもどるためタクシーを探して歩いていると、コカ・コーラのカンを手にした若い女性が寄ってきて、「私、独りなの。ホテルに連れてって」。白タクの客引きもうるさい。個人のドル所有が認められた現在、キューバでも貧富の差が広がりつつあるらしい。今後、金欲しさの犯罪は増える一方ではないか。
展示を見ている途中、「自分のアトリエを見にきてくれ」と熱心なアーティストに出会った。人懐こさや親切心もあるのだろうが、外国人に自分の仕事を見てもらうチャンスが乏しいのだろう。社会主義体制の最大の欠陥は、人と情報の自由な交流を妨げることなのだ。
5月4日(日)
午前10時過ぎ、モーロ城とラ・カバーニャ要塞での展示のオープニングに出かける。植民地時代のハバナを象徴する場所で、普段は観光名所だ。
1984年に第1回が開催されたハバナ・ビエンナーレは、もともと中南米諸国中心だったのが、その後アフリカやアジアに対象を広げてゆき、ラテンアメリカ、アフリカ、アジアの3つの血を引くウィフレド・ラムを称えるのにふさわしい“第3世界のアートの祭典”となった。ほかのビエンナーレと異なり、国別にコミッショナーを立てて作家を選ぶのではなく、ラム・センターの8人のキュレーターが直接作家を選ぶシステムだ。その結果、今回はブラジルとアルゼンチンの作家がそれぞれ20名を超え、最多となった。アメリカやヨーロッパからの参加者は、ごく少数。日本からは、今回の佐藤氏が初参加である。
これまでのビエンナーレのテーマには「移民」や「新植民地主義に対する戦い」などがあったというのも、キューバらしい。今回のテーマの「記憶」とは、ジャネス所長の話によれば世紀末に当たって思い起こされるべき「人間の美徳」のことだそうだが、ラテンアメリカ諸国の「記憶」といえば、植民地時代や、国によっては80年代末まで続いた軍政時代の悲惨な記憶が特徴的。そのせいか、暴力や死を連想させる暗い作品も目立つ。展示の9割5分は、そうした内容に最もふさわしい形式であるインスタレーションだ。ラテンアメリカの歴史や社会的背景を知らなければなじめない展示作品も多いなか、佐藤氏の作品は、ハバナを訪れた人ならだれでも理解できる明快さと美しさで、際立って印象的だ。
5月5日(月)
正午過ぎ、ハバナ市内のキューバ外務省所轄の国際プレスセンターで、プレスパスを取得。センター内にイベントスペースがあり、この時はビエンナーレに合わせて3人のキューバの画家の展覧会を開催中。ビエンナーレでは見られない、モダンで純粋に絵画的な作品。
5月6日(火)
昼ごろ、旧市街の展示場のひとつ、「アジアの家」へ。インドネシアのアラフマイアニ、フィリピンのレアミーリョ・アンド・ジュリエットなど、東京でもおなじみの作家たちがここでも出品。新鮮味はない。
午後4時。1953年にキューバ東部のサンティアゴ・デ・クーバ市で火ぶたが切られた反政府闘争から1959年のキューバ革命へ至る歴史を紹介する市内の革命博物館で、ドイツのアーヘンに本部を置く文化支援団体、ルートヴィヒ財団のキューバ支部が後援する、ジャクリーヌ・ブリート・ホルヘの個展のオープニング。20代前半の若い女性作家で、今回はモザイクを取り入れた絵画を発表。キューバにおける同財団は、「キューバの現代美術を国内外で支援する」(エルモ・エルナンデス代表)ことを目的とするという。「クーバ・リブレ」(ラムのコーラ割り)が供される。ラムにミントで香りを付けた「モヒート」と並んで、キューバを代表するカクテル。
5月7日(水)
この日は取材を休み、ホテルで休養。テレビでアメリカのCNNやスペインの衛星放送が自由に見られるのは、外国人の特権か。ところで、熱帯の国なのにホテルで出される朝食の果物はすえくさく、レストランの料理も冷凍食品並み。とはいえ、平均月収が外国人の1回の食事代とほぼ同じ約1000円という一般のキューバ人のことを思うと、不平を言う気にもなれない。なんとも居心地の悪い国なのだ。
5月8日(木)
午後1時過ぎ、高級ホテルや外国航空会社のオフィスが集中するベダード地区にあるハバナ大学付属のギャラリー、「ガレリーアL(エレ)」でこの日から始まる、キューバの中堅画家フアン・グリージョの個展へ。米ドル札をモチーフにするなど社会批判の精神あふれる油彩作品だが、技法がしっかりしているため説得力豊かだ。ビエンナーレでこのような本当のコミュニケーションの力をもった作品がめったに見られないのは、皮肉である。貴重なコーラを使ったクーバ・リブレを振る舞われ、画家や居合わせたそのほかのアーティストらと歓談。「造形性を軽視してメッセージ本位の作品に偏ったビエンナーレは政治的に利用されやすい」という意見で一致。アメリカの経済封鎖に対抗するためか、ビエンナーレで第3世界の支持を集めようとしても、誤った体制の正当化はできないということなのだ。アーティストを支援するルートヴィヒ財団の活動は尊敬に値するが、キューバのアーティストたちにとって真に望ましいのは、何よりも現在の体制が変わり、この国が経済的にも情報面でも世界共通の土俵に乗ることにほかならないのである。「(カストロが没するまで)あと10年の辛抱」という声もあるそうだが――。
5月9日(金)
朝、キューバ人の平均賃金の10年分に近い宿泊料を払ってホテルをチェックアウト。
午前11時過ぎ、ホセ・マルティ国際空港からメキシコシティーへ向け出発。約2時間半の飛行でメキシコシティーのベニート・フアレス国際空港に到着。あふれるモノ、活気に満ちた空気。“自由の世界”にもどってきたことが、なんともうれしい。
[なごや さとる/美術ジャーナリスト]
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