Oct. 22, 1996 Nov. 19, 1996

Art Watch Index - Oct. 29, 1996


【すれちがうポストコロニアリズムとコロニアリズム
―ズニ・アイコサヒドロンとパパ・タラフマラの共同作品『草迷宮』】
 ………………● 鴻 英良

【軽やかなエロティシズム
《マン・レイ写真展 1917-75》 ―ダダ・シュルレアリスムの演出者】
 ………………● 飯沢耕太郎


Art Watch Back Number Index



ズニ・アイコサヒドロンと
パパ・タラフマラの共同作品
『草迷宮』

会場:
国際交流フォーラム(赤坂)
会期:
1996年
9月28日〜10月1日
問い合わせ:
国際交流基金アジアセンター
Tel.03-5562-3892
『草迷宮』

『草迷宮』

『草迷宮』公演
撮影:小熊栄






ズニ・アイコサヒドロン
Zuni Icosahedron
http://www.freeway.org.hk/
zuni/

NOH MASK
http://www.iijnet.or.jp/
NOH_MASK/index.html

NOH MASK EXHIBITION
http://www.calley.co.jp/
enn/Exhibit/noh/

歌舞伎浮世絵画廊
http://www.waseda.ac.jp/
enpaku/gallery/gallery.html

UKIYOE GALLERY
http://www.cc.rim.or.jp/
~mistu/index.html

UKIYOE HOMEPAGE
http://www.asahi-net.or.jp/
~SI9H-YBK/index.html

Ukiyo-e museum Edo Trip
http://www.nbn.co.jp/
edotripJ.html

退行するパパ・タラフマラ
─新作『船を見る』を観て
- 熊倉敬聡
Column - May 13, 1997

すれちがうポストコロニアリズムと
コロニアリズム

―ズニ・アイコサヒドロンと
パパ・タラフマラの共同作品『草迷宮』

●鴻 英良



反映、もしくは芸術家の状況

「われわれは鏡の面を擦り抜け、そのなかに入っていってはならない。その前にとどまらなければならないのだ」。
  香港のズニ・アイコサヒドロンと日本のパパ・タラフマラが共同で制作した『草迷宮』(ダニー・ユン/小池博史共同演出)を見ながら、私は、ポーランドの演出家タデウシュ・カントールの逆説的とも思えるこのことばを思い出した。
  「幼な子の昔、亡き母が唄ってくれた手毬唄。耳底に残るあの懐かしき唄がもう一度聞きたい。母への憧憬を胸に唄を探し求めて彷徨する青年がたどりついたのは、妖怪に護られた美女の住む荒屋敷だった」(岩波文庫より)と解説される泉鏡花の『草迷宮』、この作品のコンセプトを用いつつ、そこから新たなイメージをつくりだそうという、香港と日本のカンパニーのこの試みもまた、奇妙に逆説的な状況をつくりださないわけにはいかなかった。

反転する迷宮世界

主舞台の主要なセットは壁である。その壁はドアと窓(それはときに絵画、あるいは鏡になる)によって穿たれている。そして壁の反対側には微かに波打つ鏡の壁があり、ふたつの壁を通路のような舞台が橋渡ししている。われわれ観客はその通路の両側にすわるのだが、それはあたかも鏡花の荒屋敷の迷宮世界を暗示するかのように構成された空間であった。そして、それは屋敷の内部であると同時に外部でもあるという反転された迷宮世界であることをわれわれはやがて知ることになるのである。

ポストコロニアルな身振り

だが、この内部と外部がどのように組織されていたのかと改めて問いかけてみるとき、その光景が、ポストコロニアルなダニー・ユンとコロニアルな小池博史の視線があからさまに併置された風景のように見えてくることに私は大きな驚きを禁じえなかった。そして、私はそのことのなかに日本の演劇の癒しがたい閉塞性を感じざるをえなかった。ズニのパフォーマーたちの身体の抽象性、その動きがもつコンセプチュアルな印象、それらはあからさまに香港がいま置かれている状況に呼応したものに見えた。つまり、香港の中国返還を目前にした香港の人々がいま未来を見詰める視線がそこには具体的に、それも身体的な身振りとして反復されているのだ。彼らはドアの前に佇み、その向こうを覗き込もうとする。あるいは窓からその向こうの闇を見詰めようとして身を乗り出し、目を細める。何が見えるのか。いや、確かなものは何も見えないことを表わしているのがズニのパフォーマーたちの身振りだったのである。
  だが、パパ・タラフマラのパフォーマーたちはそこに答えを差し出すのである。このようなものが見えないかと。もちろん、そのような目論見自体が非難される必要はない。しかし、驚くべきことに、彼らが提示したのは、「美しい日本」とでもいうべき世界のイメージだったのだ。唄われる手毬唄、そして迷宮に乱舞する光の球、あるいは女神のような女性の登場、壁には能面やら浮世絵などが映しだされる。それらの多くは、螺旋構造をなすという鏡花の迷宮のなかからわれわれに届けられてきたものではあるのだけれども、それらが、外部に香港の歴史的現在をそして内部に日本の伝統的風景を配置するというこのような構造のもとに置かれるとき、植民地主義的な身振りをともなって「日本的なもの」を自己肯定するかたちであらわれてこないわけにはいかないのである。

退行の夢と日本的身体

鏡花がこの作品で描いたのは、退行の夢であるけれども、そのような夢のなかに逆説的にある種の超越が、つまり「マイナスの超越」ともいうべきものがあらわされているのではないかといったのは澁澤龍彦氏だったが、しかし、今回のようにコロニアルな光景のなかにそれらが置かれたとき、そのような逆説的な超越は起こりようもないのだ。
  私は、『草迷宮』を見ながら、コロニアルな日本的身体にほとんどかかわることなく、ひたすらドアや窓のこちら側にとどまりつづけたズニのパフォーマーたちの身振りのなかに、芸術家としての姿勢の大きな可能性を感じつつ、カントールのあのことばを思い出したのである。
  「その前にとどまらなければならないのだ!」
   そして、ズニのパフォーマーたちが外部にいつづけることによってポストコロニアルな視線を維持しつづけることができたということは、また、ポストコロニアルな視線が内部に目を向けることの難しさをも同時に示唆していたのだと思うのである。

[おおとり ひでなが/演劇批評]

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《マン・レイ写真展 1917-75》
会場:
東京ステーションギャラリー
会期:
1996年
9月14日〜10月20日
問い合わせ:
東京ステーションギャラリー
Tel.03-3212-2485
セルフポートレイトとランプ

セルフポートレイトとランプ
/ソラリゼーション
1934年

アングルのヴァイオリン

アングルのヴァイオリン
1924年

ドラ・マール

ドラ・マール/ソラリゼーション
1936年、ヴィンテージ

アルバム「20 a 34」の表紙の試作

アルバム「20 a 34」の表紙の試作
1934年、ニュープリント

写真:ASSOCIATION INTERNATIONALE DES AMIS ET DEFENSEURS DE L'OEUVRE DE MAN RAY
A MRT-ADAGP-TOKYO 1996






MAN RAY
The Department of Objects and Delusions
http://pharmdec.wustl.edu/
juju/surr/images/
surr-imagery.html#ray

Man Ray - Reference Page
http://www.artincontext.com/
listings/pages/artist/
v/15vrmscv/menu.htm

Man Ray, Rayograph
http://www.wisc.edu/
arth/ah202/glg/
artists/ray.html

The Surrealism Server
http://pharmdec.wustl.edu/
juju/surr/surrealism.html

Marcel Duchamp and Redaymade
http://www.cwrl.utexas.edu/
~slatin/20c_poetry/projects/
relatproject/WCW8.html

Marcel Duchamp - Reference Page
http://www.artincontext.com/
listings/pages/artist/
x/6kg6x8fx/menu.htm

軽やかなエロティシズム
《マン・レイ写真展 1917-75》
―ダダ・シュルレアリスムの演出者

●飯沢耕太郎



魔術としての写真

マン・レイ(Man RAY 1890-76)は写真家という範疇だけにおさまるアーティストではない。あの皮肉とエスプリの効いたオブジェ作品は言うに及ばず、版画、ドローイング、映画に至るまで、彼の足跡はモダン・アートのほとんどの領域に及んでいる。悪戯っ子がそのまま大きくなったような貌つきのこのアーティストは、軽やかな足取りでさまざまな領域を横断していった。
  しかし、Man Ray すなわち「光線・男」という自ら選びとった名前(本名はエマヌエル・ラディンスキー)にふさわしく、写真が彼の最も愛する表現媒体だったことは間違いないだろう。既にニューヨーク時代から、自作のオブジェや絵画の撮影などを試みていたが、1921年にパリに移ってからは、生計を立てる意味もあって、本格的に職業写真家として活動するようになる。もっとも、ここでも写真をある領域に限定することなく、ポートレイト、ヌード、ファッション写真、さらに「光線・男」の本領を発揮したレイヨグラフ(フォトグラム)やソラリゼーションのような実験的な写真など、多彩な作品を残している。
   マン・レイが写真に魅せられたのは、それが彼のアイディアやインスピレーションをすぐさま形にしてくれる魔術的といっていいような媒体だったからだろう。 シュルレアリスムの基本原理である偶然性や即興性の概念を受け入れたということもあるが、彼は本来一つの場所にじっくり留まって仕事をするタイプのアーティストではなく、彼が次々に思いつくアイディアを素早く実現していくやり方をとっていた。シャッターを押せば、その場にあるイメージが自動的に固定されてしまう写真は、その意味で彼にぴったりの媒体だったのである。どの写真にも、変形し、流動していく世界の断片を素早く拾い集め、綴りあわせていく彼の眼の軌跡が刻みつけられているように感じられる。

多次元的な展示構成

今回の「マン・レイ写真展」(東京ステーションギャラリー、96年9月14日−10月20日、その後大阪・京都に巡回)では、彼の写真家としての全体像を9つのパートに分けて構成していた。「セルフ・ポートレイトとアトリエ」、「女たち」、「友人たち」、「ポートレイト」、「ヌード」、「ダダとシュルレアリスム」、「ニューヨーク/パリ」、「モードと広告」、「マルセル・デュシャン」という各パートは、写真家マン・レイの多面性、多次元性をそれぞれの角度から照らし出している。
  今回、特に注目されるのは、残されたネガからあらためて焼かれたモダン・プリントだけでなく彼自身の手によるヴィンテージ・プリント(撮影時からあまり時間を経ないで焼きつけられたプリント)が多数出品されていたことである。彼自身による書き込みやトリミングの指示などがそのまま残っているものもあって、彼の思考の運動がイメージとして定着していく過程を、そのまま追体験できるように感じた。
  さらに興味深かったのは、「マルセル・デュシャン」のパートや参考出品として展示されていた「夏のヴァカンス 1937年」の写真に典型的にあらわれている、被写体とのいきいきとした交流である。いわばマン・レイの写真撮影は、彼のアイディアを封じこめる孤独な営みというだけでなく、被写体に働きかけ、そのリアクションを積極的に取り込んでいく一種の共同作業だったのではないだろうか。女装したり、後頭部を星形に剃り上げたり、シャボンを顔中に塗りたくったりするデュシャンのパフォーマンスを記録した一連の写真は、被写体とマン・レイとの間に働いていた相互的な触発関係をよく示している。
  被写体の思ってもみなかったような反応を引き出していくその関係は、言葉の本来の意味でエロティックであるといえるかもしれない。マン・レイの写真の中では、撮る者も撮られる者もその軽やかで痙攣的なエロティシズムの波動を、心ゆくまで愉しんでいるように感じる。

[いいざわ こうたろう/写真評論家]

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