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ArtDiary ||| 村田 真のアート日記
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8月16日(日)

最近めっきり身の重くなった妻と兄夫婦の4人で、東松山市の原爆の図丸木美術館へ。ここに来るのは学生の時以来、実に20数年ぶり。久しぶりに訪れる気になったのは、「大逆事件といのちの絵画展」が開かれているから。美術館の周辺は相変わらずのどかで、多分53年前と同じく日差しが強いけど、館内は対照的にヒヤリとさせられる。
 「大逆事件といのちの絵画展」は、大逆罪で処刑された幸徳秋水ら12人の群像を描いた大作「大逆事件」と、戦後から現在までの15人の死刑囚の絵を集めたもの。常設の原爆の図の連作や「大逆事件」は丸木夫妻の作品だからともかく、死刑囚が獄中で描いた絵は直接死を扱うことなく、身の回りのものや思い出、仏画や聖母子などモチーフも表現も寡黙なだけに、いっそう染み込んでくる。
 獄中では画材の使用は認められてないので、手紙の便箋の裏に青、赤、黒のボールペンで描くしかない。この厳しい制約が“獄中様式”とでもいうべき几帳面な細密画を生み出すことになったようだ。といっても、もちろん死刑囚同士が絵を見せ合ったり連絡を取り合ったりすることはありえないので、この獄中様式は、死と直面した人間に共通する極限様式なのかもしれない。作者名の前に「故」が付いてたりすると、思わず処刑場面を想像してしまう……。

8月17日(月)〜21日(金)

今週はずっと原稿書き。ぴあの特集記事1本に通常記事2本、アミューズの原稿3本、日経アートの原稿1本、これだけならまだしも、そこにBTの特集記事45枚が加わったから大変。連日朝帰り。

8月27日(木)

京橋のギャラリー川船で「疾駆けたギャラリーの記録(軌跡)展」を見る。おーあるある。タケミヤ画廊から南画廊、サトウ画廊、パレルゴン、ルナミ画廊まで、戦後日本の現代美術を引っぱってきた画廊の資料がどっちゃりと。これらは、現代美術資料センターを主宰する笹木繁男さんが足でかき集めたものだ。安斎重男さんの写真コーナーもある。こっちには神田のスタジオ4Fとか六本木のNEWZとか、けっこうマニアックなギャラリーの写真も出てる。なすび画廊はご愛敬。

9月1日(火)

今日と明日、前橋の北関東現代美術研究室(ICPA)で講義。生徒は8人。少数精鋭主義といえば聞こえはいいけど、ま、そーゆーことだ。これからも月2回ずつ講義することになりそうなので、初回の今日は自己紹介を兼ねて、70年代以降の美術の流れをざっくりと。終わってから、専任の白川昌生氏らと焼き肉食って、前橋泊。

9月2日(水)

生徒たちのクルマに便乗して、ハラミュージアムアークの「アートは楽しい9」と、群馬県立近代美術館の「眼と精神――フランス現代美術展」を見に行く。「アートは楽しい」のほうはどっかで見た作品ばっか。でもやっぱ、村上隆と中村哲也の作品はカッコいい。最近「カッコいい」ことが重要だと思うようになってきた。「眼と精神」のほうは逆に見たことのない作品ばっか。しかし/だからおもしろかった。前回の「ヨーロッパからの8人」に続くクリーンヒット。しかし、この調子で企画展が続くとは思えないが。
 夜、講義。テーマは「いかにしてアートは始まったか」。サルの絵からラスコーの洞窟画まで強引につなげようとしたが、ちょっとムリがあったか。サルじゃないけど反省。

9月8日(火)

来週からシドニー・ビエンナーレに行くため、三田のオーストラリア大使館へETAS(イータス=簡単にいえば電子ヴィザ)をもらいに行く。六本木のうちから歩いて20分足らずだった。ついでに文化担当官からビエンナーレ情報を仕入れる。
 歩いて田町まで出て山手線の目黒で降り、久米美術館の「美の内景」を見る。同館は、近代洋画の先駆者の久米桂一郎と、その父で歴史学者の邦武を記念する美術館。桂一郎は森鴎外のあとをついで、東京美術学校で30年間、美術解剖学を講義していたという。近年、養老孟司や布施英利らの活躍で解剖学もすっかりおなじみになったけど(あまりなじみたくはないけど)、その大先輩の資料を公開するもの。解剖ファン必見。どーでもいいけど、養老にしろ布施にしろジジくさい名前だなあ。

9月10日(木)

東武美術館で「アフリカ・アフリカ」展オープニング。ゲストキュレーターに清水敏男氏を迎え、日本でのアフリカ現代美術展としては、3年前の世田谷美術館での「インサイド・ストーリー」展につぐもの。象やタマネギの形の棺桶をつくるカネ・クエイや、仮想都市をハリボテでつくるボディス・イセク・キンゲレスなど、今回のほうが国際展でおなじみの作家が多い。アフリカで現地調査したというより、どっちかというとヨーロッパ(特にフランス)の評価基準に沿ったセレクションのように見える。いや別に清水さんが調査してないっていってんじゃないですよ。
 池袋西武の本屋で『LR』9号を買って車中読む。「曲がり角にきた貸画廊」という記事の中で、ルナミ画廊の並河恵美子氏が、昨年の画廊を巡るパネルディスカッションに触れ、「司会の村田真氏から冒頭に画廊(ママ・たぶん貸画廊のこと)と呼ばれる画廊の説明がされ、その中で極端かもしれないが『貸画廊は不動産屋。現在は必要悪』との発言があった」と書いている。そりゃ「極端かもしれない」というより「曲解」です。ぼくがこれまで貸画廊についてどのような発言をしてきたか、並河さんもご存じのはず……いや、反論はまた場をあらためて。
 気を取り直して、伊藤忠ギャラリーの「デイヴィッド・サーレ展」へ。オープニングなので人が多くて絵がよく見えないけど、なんかポップアートに後退したかなって印象。

9月12日(土)

学習院大学で「国立博物館、美術館、文化財研究所などの独立行政法人化問題について」というシンポジウム。主催は美術史学会で、東京国立博物館の鷲塚泰光氏、世田谷美術館の大島清次氏、「アフリカ・アフリカ」の清水敏男氏らが出席。独立行政法人化の経緯やその問題点は多岐にわたり、また5時間におよんだ議論をここにまとめることはできないけど、とにかくこの法案はすでに可決され、5年後には実施されるので、今さら賛成とか反対とかいってる場合じゃないらしい。とはいえ、その中身については行革推進本部で今まさに審議中で、いかに現場の声を届けていくかがこれからの課題になりそうだ。自慢じゃないが、ぼくにはチンプンカンプンの世界である。

9月13日(日)

新宿歌舞伎町の喫茶ルノアールで、NIPAF主催のパネルディスカッション「日本のパフォーマンス・アートを検証する」。戦後50〜60年代のハプニングを針生一郎氏が、70年代以降のパフォーマンスをぼくが語り、東京都現代美術館学芸員の岡村恵子氏が来春開く「アクション1949-79」展の話をし、武井よしみち氏と霜田誠二氏がアーティストの立場から語るという次第。
 針生さんの話を聞いて(ほとんど知ってたけど)、あらためて60年代がいかにおもしろく、70年代(以降)がつまらないかを再認識した。会場からの反応も多く、アート系のディスカッションにしては珍しく本当にディスカッションになった。

9月14日(月)

国立西洋美術館で「イタリアの光――クロード・ロランと理想風景」展へ。2年余り休館していた西洋美術館のリニューアル・オープンでもある。クロードを中心に、16世紀末から、アルテミシアの師匠でもあったアゴスティーノ・タッシ、プッサン、コンスタブル、コローまで、よく集めたもんだ。
 しかしなぜコローまでなのか、カタログをペラペラめくってるうちによくわかった。クロードの絵はすべて画面中央よりやや下に地平線か水平線を置き、中景に古代建築の廃墟、前景に樹木、その手前(つまり画面の下)に人物を配し、明暗も上から明るい空、蒼い樹木や海、スポットライトの当たった人物というようにパターン化している。そのパターンがコローまで約2世紀にわたって踏襲されるのだ。コローのあとの印象派になると、その伝統がずたずたに破壊されるのはご存じのとおり。こういう西洋絵画の伝統は同展みたいに系統的に見せてくれない限り、日本じゃわからないもんね。

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