福岡へ。まずは天神のアルティアムで「中山ダイスケ展」を見る。初期のインスタレーションから最近のペインティングまで、ほとんどのシリーズを網羅した一種の回顧展だ。といっても、デビューしてからまだ5年しかたってないけど、彼の場合シリーズごとにモチーフを変えて発表するので、こうして一堂に集めて見ると、バラエティがあって楽しい。 午前中にシンポジウムの会場であるヤングワーク福岡へ。ヤングワークとは名前から察せられるとおり、若者のための職安みたいな施設。田川では炭鉱閉山後、多くの人が職を失い生活保護を受けてるが、そんな親を見て、仕事もせずにぶらぶらしている息子たちも少なくないらしい。そういう若者たちのために建てられた施設なのだが、パソコンがズラッと並んだ部屋にはだれもおらず、ものすごい無駄遣いに思えてならない。 大阪の児玉画廊にいた加藤氏と山野氏と3人で、バスで福岡に戻り、加藤氏と2人で画廊を見てから、新幹線で加藤氏は大阪の自宅へ、ぼくは神戸のアートビレッジセンターへ。ここで関西の若手作家を集めた「神戸アートアニュアル」を開いているのだ。出品者13人中、知ってる人は1人もいない。だから見ておきたかった。大ざっぱな言い方だが、やっぱり東京とは違うということを確認できた。
ArtDiary ||| 村田 真のアート日記
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10月31日(金)
会場で山野真悟氏と会い、一緒にバスで田川へ。山野氏と最初に出会ったのは83年、川俣正が福岡の民家にインスタレーションした時に開いたシンポジウムの席上だった。その後、北九州で鉄鋼彫刻シンポジウムが開かれたり、山野氏が実行委員長を務める「ミュージアム・シティ天神」が開かれるたびに、ぼくは彼の家に泊まり、彼が東京に来るたびにぼくの家に泊まるというクサイ間柄。で、今回田川に行くのも、やっぱり川俣がらみ。今、川俣は「コールマイン田川」プロジェクトを進めていて、明日そのシンポジウムがあるのだ。
「コールマイン田川」は、炭坑の町として知られる田川に巨大な塔を建てようという計画。数年間の調査の後、昨年から動き出したプロジェクトだが、今年ようやく敷地が決まったばかりで、完成までに10年かかるか20年かかるか、あるいは未完のまま終わるかも知れないという。いずれにせよ川俣のライフワークになることは間違いない。彼がそれほど情熱を傾けるのは、日本の基幹産業を担った炭坑にシンボル的な塔を建てることで、日本の近代化を見直そうという壮大な意図もさることながら、彼自身北海道の炭坑の町に生まれ育ったことが大きいと思う。
田川に着いて、あをぎり旅館へ。ここの女将は以前、北九州のギャラリーに勤めてた母里勤子さんで、その旦那が、北九州の鉄鋼彫刻シンポジウムを企画した彫刻家の母里聖徳氏。この母里夫妻と山野氏と川俣が出会うことで「コールマイン田川」は始動した、といっていい。7時過ぎから、明日のシンポジウムのメンバーを集めて食事。その席になんと、先週上野のシンポジウムで一緒だったカトリーヌ・グルーが現れた。滞在中、日本各地を回っているのだそうだ。あをぎり名物、鯨料理などが運ばれてくる。
11月1日(土)
そのホールで設営を手伝い、1時半からシンポジウム開始。パネリストは、司会の山野氏と川俣のほか、ドイツの炭鉱町で石炭とアートを追求するレックリングハウゼン・クンストハーレ館長のフェルディナンド・ウルリッヒ氏、大分市立美術館準備室の菅章氏、以前パルコにいて今大学院で地域文化を研究する秋葉美知子さん、といった面々。ここでもやっぱり持ち時間の倍以上しゃべるヤツがいて、予定の終了時間を大幅に上回っていた。けど、おもしろい話だったので、みんな満足。
終了後、「コールマイン田川」展を開いてる田川市美術館に寄って、プロジェクトの現場へ。ところが、家が1軒建ってるだけで、塔らしきものはなにも見当たらない。今年は作業小屋兼事務所を建てただけだという。実際、塔を建てるといっても、高さも形も未定で、そのつど話し合いながら決めていくというのだから、基礎工事のしようもないのだ。ま、気長に見守っていくしかないか。
その現場で、夜風に吹かれながらパーティー。福岡をはじめ、大阪、名古屋、東京からも関係者がずいぶん来ている。ナベがおいしゅうござんした。
11月2日(日)
隣のラーメン屋でラーメン食って(これが安くてうまい!)、新幹線の中でまた駅弁食って帰宅。
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