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作品ガイド 村田vs名古屋対談
ヴェネツィア/ カッセル / ミュンスター
国際展総括
名古屋:3つの国際展を、どう総括するかという……
村田:どうしましょう……そうかっ……(笑)まあ、ミュンスターのプロジェクトは、目的とか意図とか、はっきりしてるわけですね。そういう意味で僕は最初から面白いだろうな、と思っていて、まさにそうだった。で、やっぱり予想どおりヴェネツィアは、なんだか意図がはっきりしないというような……。やっぱり、国際展のあり方自体がもう、もうちょっと変わらなくてはいけないんじゃないかという気がしますけどね。このままだったら国際展は飽きられるし、やっぱり映像が増えている理由がわからなくもないですね。
名古屋: まったくそのとおりですね。
村田:美術というメディアは、ある意味じゃあ弱いメディアですから、そういう意味で、ちょっとやり方を考えていかないと、みんなにソッポを向かれてしまうんじゃないかと思いますけどね。
名古屋: そうかっ!(笑)……そうですね、美術とは、やはり“物”で見せるものである。また、“美の術”である。まあ、「美」が何を指すかはさておき……その「術」を、物をとおして見せてくれなければしかたがない。また、アーティストが表現しようとしたものが、観衆に伝わらなければ意味がないし、伝わらなかったとしたら、キュレーターの力量も問われることになる。こうなったらもう、国際展といわず、普通の展覧会においても、まず、きちんと“物”をつくって、で、キュレーターは“物”を見せるための媒介者であるという、つまりアーティスト、キュレーター、そして批評する側の役割を問い直すあたりから、言い換えれば、われわれの足元を見つめ直すことから始めるしかないんじゃないかな……。
村田:陳腐な結論だなあ……(笑)。もっとヘンなこと言えよ(笑)。
名古屋:ヴェネツィアで森万里子が優秀賞を取りましたが、韓国のアーティストも受賞していた。日本と韓国のアーティストに1人ずつ授賞するという政治的な配慮が、当分続くんじゃないですか。南條さんなんかは、「とても欧米人のパワーゲームには食い込めない」みたいに“達観”してるようだけど、そんなこと言ってないで、どんな“技”を使ってでもいいから、食い込んでほしいですね。ドクメンタの、例のナイジェリアのビデオを使うアーティスト、あの人なんかはひょっとすると曽根裕と交換可能かとも思えるんですけれども……。
村田:曽根裕のほうが面白いかもしれない。
名古屋:そのあたりで“政治力”の差が出てくるのかもしれない。それに、いわゆる“マルチカルチュラリズム”系の関係者にとっては、今回のドクメンタは、いやヴェネツィアも、冷や水を浴びせられたようなものだったのでは。
村田:ヴェネツィアでアメリカ館が、マルチカルチュラリズムやってたじゃない。
名古屋:ドクメンタにもいましたね、1人。申し訳程度に……。
村田:これまでのドクメンタはアメリカとドイツのパワーゲームの場になってきていたから、今回、そういう意味では、それに対する一撃というか、そういう効果はあったかもしれないね。
名古屋:アメリカも影が薄かったですからね。もっとも日本や韓国の影はもっと薄かったですけれども。
村田:というより、影が全然ないですもんね、実体がなきゃ影ができるはずもない。まあ、そんなとこですかね。(文中敬称略)
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