2019年06月15日号
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キュレーターズノート

震災後の「絵描きと戦争」/「polar m」/平川典俊展

阿部一直(山口情報芸術センター[YCAM])

2011年05月01日号

 3.11震災後として、さまざまな領域で、これからどうするのか、なにができるかが叫ばれている。さらに、アートになにができるか、といった自問自答のフレーズも多く目につく。

 そんななか、4月末の原稿執筆時で、某週刊誌の表紙に「追憶の『3.11』」のタイトルを見つけ、〈追憶〉という時間性を含む言葉の持つ、〈距離の長さや短さ〉が、自分のなかで一瞬混乱する。戦争を直に感覚してきていない自分にとって、9.11のリアルタイム中継は、日本にいてそれを見ていた者にとっても消せない衝撃であり、あれからどのくらいの時間の経過があったかは、正直追憶できないのである。今度の3.11も、自分は東京都内で地震に遭うことになったのだが、地震到来後、町中の巨大モニターで東北の被災地が海水によってのみ込まれていく映像をリアルタイム中継で見た事実は、やはり消し去ることができない。これは映像とはいっても、その後にYouTubeで反復して見ることとはまるで違うものである。震災以後、原発報道も含めて、まさに数えきれない映像報道が成されている。しかし、数えきれない数が、数えきれない多様性を持っていることには、当然だが繋がらない。画一化したマスメディア映像と、まったく対比的なYouTubeを交互に見ながら、現在におけるドキュメントとはなにかを考えさせられる日々が続いている。これからなにができるのかはドキュメントの視点から翻案するなら、これまでなにをしてこなかったか、なにを残してこなかったかを強く掘り起こすのだ。

 震災後のなか、西日本の話題では、九州の地方局であるRKB毎日放送のテレビプロデューサー、木村栄文氏が3月22日に亡くなっている。木村氏は、水俣病を取り上げた「苦海浄土」(1970)、筑豊の炭鉱閉山を取り上げた「まっくら」(1973)、朝鮮半島との関係史を描いた「鳳仙花〜近く遥かな歌声」(1980)などのテレビドキュメンタリー制作者で知られるが、アートの領域とのつながりでは、やはり「絵描きと戦争」(1981)であろう。現代美術作家・菊畑茂久馬を、企画・シナリオ・構成・出演の全面的ディレクションに迎えたテレビドキュメンタリー作品であり、木村氏の追悼番組として、非常に見ることの機会の稀な本作が、急遽RKB毎日放送で4月4日深夜に再放送された。数年前にも放送されているようだが、震災後に本作を(自分にとっては初めて)見ることは、大きな意味を持つ出来事であった。
 このドキュメンタリーの主題は戦争画であり、その伏線として、菊畑の著名な論文「フジタよ眠れ」(1972)の主題となる藤田嗣治と、北九州をベースにして寡黙に戦後まで活動した坂本繁二郎を対比し、ポリフォニックに描き出す2時間を超える大作である。藤田、坂本のほかにも、第二次大戦中多くの戦争画を描いた作家や、やはり震災後3月30日に亡くなった、宮城県出身でシベリア抑留を経験した彫刻家・佐藤忠良、昨年亡くなった針生一郎、また岡本太郎らの生々しい肉声を、独自に取材し記録収録している。菊畑の戦争画論、藤田論としては、2006年に生誕120年時の藤田嗣治展をすでに経ているし(東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、広島県立美術館で開催)、今年7月から福岡市美術館長崎県美術館で同時期に開催予定の23年振りとなるレトロスペクティブ「菊畑茂久馬回顧展『戦後/絵画』」に再論を譲りたいが、ここでは、このテレビ作品がどのように絵画作品を撮影しているのかが、非常に気になったのである。
 おおよそ取材の都合によって、藤田の作品は一切画面には出てこない。俳優の山本學が所々で坂本を演じる演劇的趣向もあるのだが、それと対照的に藤田以外の多くの戦争画が、画面のなかで直裁的に取材される。現在の、デジタル編集至上主義の番組の常套では、絵画は、描かれたコンテンツデータだけが、情報として切り取られ、なにが画面上で相対的に描かれているかだけが編集上の有効情報として取り扱われる。しかし、この「絵描きと戦争」では、どの場所に保存され、壁にかけられているかを明示する場の空間全体像を、重量感を持って撮影していくのである。ときには、非常に暗く(その場で撮影・照明条件が十分に許されていなかったとしても)、画面が明確でないほどにも場全体の様相自体が克明に描かれるのである。これは、戦争画が、軍部、アメリカ政府、日本の美術館とさまざな外的理由によって移動し、翻弄された所産であることを、どこに掛けられていることで絵画足り得たのかという、場の記憶から鮮明化することで主張しようとする、菊畑の考慮からの映像なのかもしれないとも考えてしまう。この密度と静止から想起されるのは、ストローブ=ユイレの「セザンヌ」(1989)における、絵画があることの風景としてのミニマルな撮影しかないだろう。オーディオ/ヴィジュアルの究極の一回性=特異性の接点こそがリアルタイムのドキュメントを成立させるというストローブ=ユイレの徹底抗戦的意思が、ここから共振し甦るのである(音に関しては、彼らはDTS[Digital Theater Systems]を使用しつつもモノーラル収録を貫く。モノーラルとは人間の認識=脳を離れて、事態の場に刻印点を置くということである。反復とリアルタイムを扱う「ヨーロッパ2005年、10月7日」(2006)では、フランスの移民暴動の発端となった、クリシー・ス・ポワでの少年が感電死した現場が、無人の風景のままミニマルなパンニングで3回撮影が繰り返される。撮影の意味=編集=スペクタクルは剥奪され、即物的な場がオーディオ/ヴィジュアルの相互の抵抗交錯の記録として毎回現出する。近作の「コルネイユ=ブレヒト」(2009)では、編集は許可されるが、コルネイユ/ブレヒトの長文の朗読風景が、同じアングル撮影で3回繰り返される)。

 振り返ると、RKB毎日放送の「絵描きと戦争」で想起させられていた、あるいは配慮されていたリアルタイムの空間像という感覚が、現今の日本のテレビや報道、番組などからは、アナログとデジタルのレコードシステムの違いはあるとはいえ、まずわずかでも感じ取ることができないことだ。1981年というバブル前夜の時代に撮影されたこのドキュメンタリーの包括しえていた空間の感覚が、どこで完全に抹消されてしまったのか。この〈距離の長さと短さ〉はなんなのか。われわれはなにをレコードし、ドキュメントするのか、あるいはしてこなかったのか、そこにアートはどのように関わるのか、ともかく考えさせられるばかりだ。震災という想定外の力の発生によって、われわれは、くしくも戦後直後の原風景を一瞬引き寄せたのは確かである。しかし、復興の再現への団結といった、どこか一元化されたスローガンとはまったく別な角度から、記憶し記帳しなければならないことはあるのではないか。意図せずに想起されたものごと、半世紀を超えてカモフラージュされてきたなにものか、あるいは薄れていくものを、この震災を機に覚醒を持続させることは今後あるのだろうか。

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