キュレーターズノート
Dialogue Tour 2010 第7回:MACとhanareと保育所設立運動@Social kitchen
能勢陽子(豊田市美術館学芸員)
2011年06月01日号
artscape開設15周年記念企画として、全国8カ所のアートスペースをまわるダイアローグ・ツアーが、昨年8月から今年の2月まで開催されていた。去る2月24日、レビュー執筆の依頼があり、7回目にあたる「MACとhanareと保育所設立運動」が行なわれる京都市のSocial Kitchenを訪ねた。
このダイアローグ・ツアーには、「人、コミュニティ、議論を繋ぐ」というテーマが設けられている。これらのアートスペースで形成されていく緩やかな人々の繋がり、そこから生まれてくる議論や活動は、作家、美術関係者、鑑賞者のあいだに生まれるアートを中心としたものの内側に留まらず、真の「公共性」に近づいていくように感じられる。もともとアートは、社会における問題提起的な要素を含んでいる。それでも、それはあくまで美術の表現内に留まって、作家以外の者によって実践に近い場で展開される機会は少ない。そうしたときアートセンターは、地域に根ざしたコミュニティの中でそれが展開していく場を提供しうる。それは、来場者も参加できるとはいえ、限られた時間内でどこか予定調和的に進められていく美術館でのトークやワークショップでは、残念ながら、なかなか実現しえないものである。特に今回Social Kitchenで開催されたトークには、アートセンターの紹介だけでなく、1960年代の社会活動であった「保育所設立運動」も加えられ、なおさらアートの内と外に跨っていく印象を強くした。
MAC(Maemachi Art Center)
まず、山口情報芸術センター[YCAM]にミュージアム・エデュケーターとして勤務しながら、MAC(Maemachi Art Center)に入居し運営する会田大也氏から、MACについての話を聞く。運営している場所に住むということは、ある意味で24時間自らを周囲に対して晒すことになるから、正直頭が下がる思いがある。MACでは、まず地域へのお土産として子ども向けの「工作教室」を行ない、次にそれが「おとなの工作教室」や「手作り市」に自然に繋がっていったという。それは特にアートというものを介さなくても成立する、地域のコミュニティスペースのようにも見えるが、それでも初期には明らかに「アート的なもの」を指向していた。しかしその場合、対象者が「アートに興味がある人」に限定されてしまうので、あえて活動方針を明確にせず、アートの視点から舵取りをすることもやめ、地域に対してその場を開いている。子どもや大人の工作教室、手作り市、料理教室など、地域の主婦がそこでなにかをやっている傍らで、作家や美術関係者がそこを訪れ、展覧会やレクチャーが行なわれ、一緒にパーティーも開かれる。そこには「地域にアートを浸透させる」という大義名分や、型に嵌った教育的配慮がないぶん、誰もがほんのささやかなことでも関われる自由さがある。それをリレーショナル・アートの視点から、日常に根差したレベルでなにかが起こりうる可能性を秘めたものと言えるかもしれない。それは美術に関心を持つものに付き纏う、「アートとはなにか」という問いを、同時にぼんやりと浮かび上がらせる。
「保育所設立運動」
次に、ホスト側のアートスペースの紹介がなされるのが普通だろうが、今回はhanareのディレクター兼ウェイトレスである須川咲子氏の提案で、60年代に展開された「保育所設立運動」の話を聴くことになる。この活動は、科学者の坂東昌子氏により、女性研究者の研究体制と子どもの健全な発育を目指して始められたものであるが、当初坂東氏は共同保育所として自宅を開放した。自宅を開放し、地域の主婦たちのポテンシャルを引き出すという点で、アートという共通項ではないものの、MACと似通うところもある。須川氏が今回、坂東氏に話を依頼したのは、それがアートに関わるものでなくても、「自分たちの問題でもあり、ユニバーサルで共有可能な問題」であるからだという。実際私も、アートに関わる議論の場には接していても、自らや同じ環境にある人の当然の権利について話し合うことに慣れていないと、このとき改めて思った。Social Kitchenは、他のアートスペースのなかでも、特にポリティカルな部分を生活に関わるレベルで引き受けようとしていると感じた。
Social KitchenでMAC、そして保育所設立運動の話を聞き、そこに集まる人々の中なかに身を置いてみて、アートスペースは公共の施設が持ち得ない公共性を逆に持ちえると改めて思った。公共施設が真に公共的かというと、残念ながらそんなこともない。税金で成り立っているぶん、不特定多数の一般的な市民像を想定しなければいけないので、そこからは一人ひとりの個が抜け落ちていくとしばしば感じる。しかしアートスペースでは、地域に根差したより強い個の繋がりにより、議論や活動が展開されていく。それも「おいしい料理やお酒」とともに。「おいしい料理」というのは非常に重要な要素で、そこに人々が集う根源的な楽しさや居心地の良さが生まれる。これは公立施設でなかなか実現できないものだから、とても憧れるところなのだ。