キュレーターズノート
菊畑茂久馬 回顧展──戦後/絵画、混浴温泉世界2012
住友文彦
2011年10月01日号
学芸員レポート
来年行なわれる展覧会のために別府に何回か足を運んでいる。これまでは、地域型のアートフェスティバルを見に行くことはあっても、当事者側になるのははじめてなのでいろいろと新しく考えることも多い。とくに東京と九州のあいだは格安航空会社もあるし、だいぶ行き来がしやすくなっていた。デフレが進んでも一般的に言って交通費は以前高い。これが安くなれば、都会に住むことに固執する人は少なくなる気がする。実際、別府は地熱のエネルギーで風呂や蒸し料理をまかない、安い住居費で暮らす生活スタイルも選べる。ローカルな生き方の典型が可能な街である。
もちろん、ラスベガスのように歓楽街によって発達した街に新しい文化が根付くのか多いに疑問もあるだろう。しかし、現代美術は日常という多様性に満ちた対象を相手にする以上、別府の稀有な歴史、住民、自然、都市空間など、題材には困らない。だからこそ、いまやあちこちの地方都市に大小さまざまな現代美術と地域が関わる展覧会が開催されているのだろう。そこで、行政、総研、メセナ関係者が推進の切り札に持ち出すのは、街づくりと観光という言葉である。もちろん、多くの人々がはるばる遠くから訪れるようになれば、地域は活性化するだろう。それは、間違いない。しかし、数度行けば美しい自然の風景と温泉も十分だ、という人がほとんどなはずである。つまり、この切り札はもっと重要なものをすっ飛ばして大手を振っているのだ。なぜ、芸術文化がある地域は人を惹きつけるのか。それは私たちが死んでもなお、大切にされ続けるものを持っている、その持続性と許容度に人は魅了されるのであり、それを維持してきた地域に敬意を払い、繰り返し訪れるのである。
先日、横浜の新・港村で行なわれた「混浴温泉世界2012」のトークイベントでは、建築や都市計画がどうしても不調和や偶然性を許容しがたい点に、その分野出身で今回の総合ディレクターの芹沢高志さんが議論のなかで触れていた。失敗しない街づくりや観光ほど、芸術文化が人に与えてくれるものと遠いものはない。地域規模のフェスティバルが特定の行政や企業によって担われると必ずこの問題が生じる。NPOが運営する点で別府には、この予定調和を回避できる大きな可能性があるかもしれないし、そう希望する。そして、なによりも一過性のイベントではなく持続可能性を示すことができるようなものになればいいと思っている。地域とアートの結びつきが照らし出すのは、このトークが行なわれた会場周辺の開発も含め首都圏にも、それからおそらく美術館のようなハコモノにも共通の根の深い問題ではないだろうか。それが次の新しい段階にいけるのかどうか、いや、いかないとまずい。とりあえずあと12カ月の準備のあいだ、このプロジェクトチームが同じ共通の問題意識を持っていることがこのトークで確認できたのは心強い。じっくりと考えながら準備に臨みたい。