キュレーターズノート
今和次郎 採集講義、青森県立美術館コレクション展
工藤健志(青森県立美術館)
2012年01月15日号
対象美術館
さて、展覧会のほか、6年目のスタートにあたって施設面でのリニューアルも、現在少しずつではあるが進めている。建築に対してよく「白すぎる」「迷路みたいでわかりにくい」といった批判を受ける当館であるが、もともと建設準備段階の1998年6月にまとめられた「美術館建設基本計画」には、低層かつ開放的な建築デザインとすること、場合によっては機能ごとに分棟で建築することなどに加え、展示動線について「従来のような単一動線ではなく、選択式動線とする」と明記されている。もともとは作品や展覧会の多様化にあわせて独立的な空間形成による展示を行なうためのアイデアだったのだが、それはさておきこの選択式動線には空間活用という点においておおいなる可能性が秘められており、なによりも美術館が責任を持って来館者に理解をうながしていくべき点なのだ。少なくともこの5年間、無理矢理動線を整理したり、簡易な貼り紙などで案内・誘導してきたことを今後は見直し、建築とV.I.(ヴィジュアル・アイデンティティ)本来の魅力をより明確に打ち出しいていく必要があるだろう。
しかし、他の美術館と大きく異なるがゆえに来館者にとまどいを生じさせるこれらの点は、差別化を重視する「ブランディング」という観点からは逆にこれ以上ない強力な武器となる。現在、当初のV.I.計画に沿って館内のサインを整理し、あわせてミナ ペルホネンによるリニューアルユニフォーム(長年の着用によるほつれ等を余り布のパッチワークでリメイクしたもので、こぎん刺しなど東北の刺し子文化との関連性も意識されている)の使用も開始しているが、実際5年のあいだに付加されたさまざまな貼り紙や案内板を撤去しただけで、建築のディテールやサインの美しさがくっきりと見えてきたし、皮肉なことに視覚情報を最低限に抑えることで「迷う」というクレームも減ってきているから面白い。さらに来年度からは新しい動線の提案も試みていく予定なので、これら5年間の運営の蓄積と反省から導き出された「新しい空間」を、機会があればぜひ体験していただきたい。
こうした美術館としてのアイデンティティの強さは、渋谷のパルコミュージアムで1月29日まで開催中の「青森県立美術館コレクション展──北の異才たち」でも僕自身、改めて認識することとなった。パルコミュージアムと展覧会の内容を協議していくなか、漠然とコレクションを並べるだけでは当たり前すぎてつまらないので、青森県美ならではの仕掛けをしてみたいと考えた。無駄なもののない真っ白な壁を立てて作品を展示し、壁のディレクションサインは「青森フォント」を文字の大きさから設置の位置まで美術館と同じ仕様で用い、ピクトやポータブルサインも持ち込んで、さらには監視用の椅子やユニフォームもそのまま同じものを使ってみてはどうだろう。つまり、青森県美をそのまま渋谷に移してみようという試み。展示作業中は「壁に巾木はつけないで」とか「ワイヤー使わないで」とか細かなところにいろいろと注文付けてしまったけど(笑)、これが予想以上にピタリとはまり、会場へ入った途端に「ここは青森県美?」という錯覚に陥るほど。こうした遊び心を含んだ仕掛けがきっちりと成立し得る当館の「個性」は、これからも大切に育てていかねばと意を強くした次第。
この展覧会は大きく二つのセクションに分け、まずコレクションを紹介する「北の異才たち」では、工藤哲巳、小島一郎、斎藤義重、寺山修司、奈良美智、成田亨、棟方志功、村上善男の8名の青森ゆかりの作家の作品を展示。既成の価値におもねることなく独自の表現を構築し、時代を変革した彼らの作品はいずれも強烈なエネルギーに満ち満ちているが、そのエネルギーのうずまく祝祭空間を出現させ、青森の芸術的特質を感じ取ってもらおうというのが本セクションの狙いである。
続く、「青森県立美術館の魅力」のセクションでは、建築設計者の青木淳による映像、V.I.設計者の菊地敦己が手がけたポスター、ミナ ペルホネンによるスタッフユニフォーム、鈴木理策が撮影した美術館をモチーフとした写真を展示。単なるPRコーナーではなく、それぞれが強度のある「作品」として成立していることも、また青森県美ならではと言えるだろう。
さらにはここパルコミュージアムでしか味わえない点も、結果的にではあるが生じた。それはひとつの空間に何人もの作家の作品を並べたことで浮かび上がってきた表現の共通性。青森県美の常設展示は一作家一部屋のワンマンショー形式を基本としているため、なかなかこうした比較ができないのだが、さまざまな作品をギュッと配置してみると、そのモチーフのとらえ方やマチエールのつくり方、色彩感覚などに共通項が見えてくる。例えば、棟方志功と奈良美智、工藤哲巳と村上善男の作品の意外な親和性が今回の展示からは確認できるだろう。さらに青森ゆかりの作家の作品が持つ、素朴と洗練、過激と繊細、過剰と要略、親密さと孤独さといった両義性による不思議な感覚が、青森の芸術家たちの確かな「血脈」となっていることも理解できよう。単なる「○○美術館名品展」ではない、コレクションと空間の双方によって青森/東北の風土性と美術館のエッセンスを「体感」できる、青森県立美術館でなければ成立し得ない展示に仕上がったと思うのだが、いかがだろうか。
とまあ、ずいぶん手前味噌のエッセイになってしまったけど、2012年の年始めだし、青森県立美術館も6年目のリスタートということで、どうかご容赦のほど(笑)。