キュレーターズノート
糸の先へ/魅せられて、インド。/菊畑茂久馬氏「第53回毎日芸術賞」受賞ほか
山口洋三(福岡市美術館)
2012年02月15日号
学芸員レポート
住友文彦氏のレポートを含めるとすでに3回も「学芸員レポート」の話題となった昨夏の「菊畑茂久馬 回顧展──戦後/絵画」は、終了から半年後も余韻が続く。その報告と、私自身の回顧を記したい。
今回の展覧会において示されたこれまでの画業が評価され、菊畑茂久馬氏は「第53回毎日芸術賞」を受賞。これに先立つかたちで、企画者である野中明・長崎県美術館学芸員と私は、本展の企画内容と図録論文が評価され、「第23回倫雅美術奨励賞」を受賞した。菊畑氏の受賞は来るべくして来たものだと思うが、本展が受賞対象であること、そして地方にいながらの長年の活動がいまようやく表舞台で脚光を浴びてきたように思え、自分の受賞以上にうれしい。また、少なくとも私自身に関して言えば、こうした賞とは無縁だろうと思っていた。意外なことで驚いた。
菊畑茂久馬の画業の検証については、すでに先人の轍があった。ここには2009-10年にドローイング展を企画した野中氏の仕事も含まれるし、このドローイング展の成果のうえに、彼の本展の成果も成り立つ。私はそうした轍を辿り直したに過ぎない。九州派にしても同様。しかしいくつかの部分的な轍をつなぎ合わせ、最終的にひとつの大きな道をこしらえた、という自負ならある。誰かがもうやったから自分はやらない、ではなく、自分だったらこうする、こうしたい、という意欲により、過去の成果を生かして研究を継続することの重要さ。すでに誰かが手をつけた作家やテーマでも自分なりの切り口で取り組めば作家の評価も変わり、新たな鑑賞者をつかむ可能性が増す。ところで企画者と出品作家のダブル(頭数でいえばトリプル)受賞はほかに例があったかな? あまりよく知らないのですが。歴代の倫雅賞受賞者の業績を拝見するに、どちらかといえば近代美術の歴史的な検証を行なった方々が多い。菊畑茂久馬の作品は完全に戦後に属するし、《天動説》以降の絵画は「戦後」のカテゴリには入らない「現代美術」である。その意味では、現代作家の歴史的な検証と回顧もまた、倫雅賞のような権威ある賞の射程に入ったということなのかもしれない。
このことであらためて認識したことがある。それは展覧会図録の重要さである。当たり前のことじゃないか、と同業諸氏から言われそうだけど、なぜあらためてそう思ったかと言えば、おそらく、各賞の選考委員、審査委員の先生たちは、ほとんど在京で、今回の回顧展はおそらくご覧になっていないだろうと思われるからだ。地方開催・中央巡回なしの展覧会のハンディがここにある。地方における展覧会の開場をライブで見てもらって、中央発信のメディアでなんらかの評価を受けたり、話題を提供できたりすることは滅多にない。展覧会の内容を、福岡と長崎から離れた場所に(そして後世に)届けるものは図録しかない。
もっともこう書くと、「図録優先で展覧会はその図解」的な方法論を肯定してしまうことになりそうであるが、今回のような図録をつくろうと思い立ったのは、2館を会場とするという展覧会のスケール感が前提になっているからであってその逆ではない。そもそも2会場に作品が分かれるのだから、図録においてそれを解説するとか、逆に図録の図解を会場において行なうなど不可能なのだ。
この展覧会のスケールと図録のボリュームに到った背景には、「大竹伸朗 全景」展(東京都現代美術館、2006)と、これに続く「大竹伸朗展──路上のニュー宇宙」展(福岡市美術館/広島市現代美術館、2007)の経験がある。「全景」の展覧会における2,000点超の作品群と、それこそ腰を抜かすような質・量を誇る図録。福岡での「路上のニュー宇宙」にて、自分が630点余りの作品を実際に展示してみて、そしてその数の図版を300頁のなかに押し込んでみて初めて、作家の個展にはそれにふさわしいスケール感があることをイヤと言うほど知った。この体験がなければ、おそらく今回の菊畑回顧展は実現しえなかっただろう。本展の図録を見た人から「今時よくこんなことができましたね」という声をかけられた。私は「今だからこそ」と言いたい。貧ずれば鈍ずる、と言うことわざがあるが、予算不足とか入館者増減に追われて、学芸員は本来の仕事の目標を忘れてはいないだろうか。どうせ無理、できないとあきらめていないか。冬の時代になにもしないなら、いつまでも冬のままである。