キュレーターズノート
ゴットンアートマジック
工藤健志(青森県立美術館)
2013年01月15日号
山本作兵衛の炭坑記録画がユネスコの世界記憶遺産に登録されたことで一躍脚光を浴びた田川市。「炭坑節」の発祥の地として知られる同地は、石炭産業によって日本の近代化を根底から支えた福岡県の筑豊地方に存在する。
炭坑が栄えていた昭和初期の筑豊には大小あわせて80にもおよぶ劇場が存在し(現存するものでは嘉穂劇場が有名)、その密度は東京、大阪に次いでいたという。そして、戦後になると映画館も建ち並ぶ。しかし、1962年の原油輸入自由化をきっかけに、石炭から石油へのエネルギー転換が加速、筑豊炭田もまた競争力を失っていく。1964年には田川を拠点としていた最大手の三井田川鉱業所が閉山、1975年には筑豊炭田のすべての炭坑が操業を停止し、田川、飯塚、直方という筑豊三つの中核都市は徐々に衰退していった。1950年代には10万を越えていた田川市の人口も半数にまで落ち込むなど、現在は過疎化が深刻な問題となっている。
田川市美術館開館5周年記念「山本作兵衛展」(1996)
筆者は1993年から5年ほど田川市美術館に勤務していた。1991年開館の、当時乱立した地方小規模館の典型のような公立美術館ではあったが、それでも筑豊にゆかりのある作家の個性はとても強く、さらに筑豊の歴史や風土を考えることは、そのまま日本/近代の問題の掘り起こしにもつながるため、この美術館での仕事はとても刺激的であったことをいまでもよく覚えている。
まるで石炭のように自然と文化と人々の記憶が堆積している筑豊。例えば立石大河亞の、事象や観念を集積させたかのような作品群からはさまざまな思考の回路が引き出せるが、立石の創造力の原点となったのは疑いなく故郷田川の風土であろう。野見山暁治の作品とボタ山の関係もまたしかり。山下洋輔が小学3年生ではじめて音楽を学んだのは、福岡県内でもっとも歴史のある田川交響楽団の伊藤光からであり、井上陽水もまた飯塚、田川で青春時代を送っている。劇作家のつかこうへい、写真家の鋤田正義など、筑豊とゆかりのあるクリエーターたちは、総じて旧来的な価値観や枠組みから逸脱しようとする。近年人気を博したアニメ「天元突破グレンラガン」は地下に閉じ込められ穴を掘って暮らしている人間の解放と自立の物語とも解釈できるが、そのシリーズの構成を手がけているのが田川市出身の脚本家中島かずきと聞けば、炭坑との関連性も想起せずにはいられない(ちょっと穿ち過ぎかも知れないけど)。余談ついでに言えば、東京銘菓と思われている「ひよ子饅頭」を筆頭に、チロルチョコや、もち吉、さかえ屋、成金饅頭(当時は一攫千金を夢見て筑豊に集まってきた人々が多かったということだろう)、千鳥屋(発祥の地は佐賀)など、肉体労働に欠かすことのできない糖分補給のための菓子産業も筑豊では大きく発展している。
このように、炭坑最盛期の筑豊は単なる一地方ではなく、人種と文化の一大集積地であった。極彩色の欲望がうずまき、事故や闘争も絶え間なく起こるなど、まさに明と暗の双方を含む混沌とした社会であったと言える。田川市美術館在籍時、筆者は筑豊をテーマに何本か展覧会を企画したが、1996年には開館5周年を記念して山本作兵衛を取り上げた。田川市石炭・歴史博物館(当時は田川市石炭資料館)が所蔵する炭坑記録画のなかから墨画100点と水彩画100点を選び、そこにさまざまな関連資料と、田川市立図書館に保管されている作兵衛記録画の模写壁画全9点を加えて展示を構成。その模写壁画の制作(1970〜71)を美学校で指導した菊畑茂久馬氏に展覧会の監修を依頼し、記録資料としてではなく、美術表現としての観点から作兵衛記録画の再評価を試みた。1カ月弱の会期で入場者は約5,000人、カタログは完売したけど確か印刷部数は300冊程度だったし(笑)、お世辞にも興行的に成功したとは言い難い展覧会ではあったが、(手前味噌ながら)作兵衛記録画を美術的なアプローチから検証した初の展覧会であり、カタログには200点の記録画をフルカラーで掲載するとともに、詳細な参考文献や略歴もまとめることができたので、それなりに意義はあったのではないかと思っている。
ゴットンアートマジック(2012)
その田川で、2012年10月から約1カ月にわたり、街中をフィールドとして「ゴットンアートマジック」と題されたアートプロジェクトが開催。「山本作兵衛氏の炭坑記録画約100点の展示を中心に、“山本作兵衛氏の人への眼差し”をアートのキーワードとして、招待アーティスト、筑豊地区にゆかりのあるアーティストによる展覧会、音楽イベント等を開催」(チラシより)という地域振興型アートプロジェクトである。かつて作兵衛展を企画した縁からか、11月10日に開催された記念シンポジウムに参加し、田川市から川崎町まで広がる展示も見せてもらったので、今回はこのプロジェクトについて書いてみたいと思う(前置きがすごく長くなってしまいごめんなさい)。
主催はNPO法人アイアートレボで、代表を務める母里聖徳は現代美術家として活躍する一方、川俣正が田川で10年間行なった「コールマイン田川」を地元から支えた中心メンバーでもある。アイアートレボは昨年の「黄金町バザール2011」(横浜市)にも参加し、筑豊の作家や物産を紹介する「筑豊スカブラ市場」を展開していた(ちなみに「スカブラ」とは炭坑用語で、仕事はまったくしないが人を楽しませたり、場を和やかにする人間を指す。だからと言って首にすると逆に生産性が落ちたり、コミュニティがギクシャクしはじめたという。母里にとってこの「スカブラ」は活動の指針となる概念であり、1997年に田川市美術館で開催された展覧会「マンドラゴラの実:現代美術が写す筑豊」のインスタレーションでも「スカブラ」を重要なキーワードと位置づけていた)。そこでは、世界記憶遺産登録を記念した作兵衛記録画5点の展示と、あわせてパフォーマンスやワークショップ、レクチャー等が開催されている。今回の「ゴットンアートマジック」には牛嶋均の《スプートニク》やさとうりさの《メダムK》など、黄金町バザール2011の出品作も展示されているが、これはそのときの縁によるものであろう。
牛嶋とさとうの作品は今回のプロジェクトでともに川崎町の本町商店街地区に設置されていた。宇宙船をモチーフにしているがゆえ、黄金町では寝かせて展示してあった《スプートニク》が川崎町では立てて設置されることで、まるで竪坑の巻き上げ機を連想させたし、黄金町マダムの複数形、つまり娼婦を暗示する《メダムK》も、道路沿いの小さな空間にギュッと押し込まれることで、さながら祠に収まる道祖神のように見え、一方で近代化の過程で歪に肥大化を続けた日本の姿もそこには重なってくる。いずれの作品も黄金町の展示とは異なる新しい意味が生じており、サイトスペシフィックなインスタレーションとして高い効果をあげていたように思う。
川崎町ではもう1点、鈴木淳の作品についても触れておきたい。鈴木は閉店した玩具屋で、店内に残された商品を用いたインスタレーション《おもちゃのマーチ》を展開。廃墟となった暗い店内に、電飾されたビニール風船や乳母車等の玩具が設置され、赤ん坊をあやすためのオルゴールメリーが、もの悲しい旋律を響かせながら本来の目的を忘れて回転を続けている。それが複数個重なることで聴覚は不協音に支配されていく。さらにショーケースの中には人形、玩具を淡々と写した映像が多数流されるなど、意味を見失った玩具たちの饗宴はどこまでも虚無的である。人間の意思が強く投影される玩具からは強い物語性が生じるが、鈴木はそうした玩具と空間の特性を活かして、筑豊の栄枯盛衰の歴史をそこに描き出そうとしたのかも知れない。作品が設置された空間内で完結するインスタレーションではなく、外のシャッター通り、そして旧炭坑町の景観と連なることで象徴的な意味の増す、「いま」、「ここ」でしか成立しない展示であった。
時間があまりなく川崎町エリアは駆け足でまわっただけであったが、街中展示がほどよい間隔で点在、場所の意味も充分に配慮され、またいわゆる尖った「現代美術」ばかりでなく多種多様な作品が鑑賞できるなど、バランスの良さを強く感じることができた。
メインとなる田川市エリアでは、まず、元葬儀場の田川記念会館で「山本作兵衛展──いのち咲くヤマの歌劇」が開かれ、さらに隣接する旅館あをぎりのモニュメント「ハトの碑」を外矢智之がプロジェクトのランドマーク的なオブジェ《筑豊の木》へと変化させ、ユキンコアキラも公開制作で巨大壁画を制作するなど、田川記念会館とその周辺でプロジェクトサイトの「核」をつくる試みがなされていた。また田川記念会館内では山本作兵衛展に加え、参加作家による作兵衛へのオマージュ作品を並べたコーナーも併設することで、「作兵衛×現代美術」という一見奇妙な組み合わせのプロジェクトの意義を明確化させるとともに、このコーナーは、街中に点在する作品へと誘導を図る、インフォメーション的な役割もはたしていて、なかなかうまい仕掛けだなあと思った次第。
なかでも安部泰輔は、古着や端切れを素材にした作品で作兵衛記録画の再解釈を行なっており、今回のプロジェクトのコンセプトそのものを体現するような存在だったと言える。作兵衛の記録は筑豊、いや日本にとってもひとつの「過去」に過ぎない。しかしノスタルジーの対象として、あるいはセンチメンタリズムを満たすものとして消費するだけではあまりにも虚しい。安部は参加者との交流の過程を重視するワークショップや、他者の作品と対峙することで自らの作品制作を行なう「対話型」の創作活動を特徴としているが、今回も作兵衛記録画を題材として「過去の記憶」をパッチワークし、「現代の表現」として提示していた。作兵記録画が現代という時代に対していかに多くの「問い」を発しているか……、安部の作品からはその「現代性」が見事に浮かび上がっていたように思う。
以上、「ゴットンアートマジック」の展示について簡単に記してみた。会期中にはライブイベント等も絶え間なく行なわれ、さらに展示も広範囲に点在していたため、そのすべてを把握することは叶わなかった。ゆえに筆者が見た範囲でのレビューとなった点はどうかご容赦いただきたい。ただはっきりと書いておきたいのは、このプロジェクトが近年流行りの「アートを用いた地域活性化イベント」の印象から大きく抜け出ていたこと。国や地方自治体、企業からの助成に頼らず、アイアートレボの100パーセント出資による運営ということで、世の中に対して妙にへりくだったり、おもねったりするところもなければ、町づくりにおいてアートの有用性を声高に主張する訳でもなく、アートサークルに向けた「マイノリティ」としての特権意識を喚起するのでもない、どこまでもニュートラルな立場をとりながら、なおかつ目指す方向性がしっかりと定まった、参加してとても気持ちの良いプロジェクトであった。