キュレーターズノート

北海道の美術家レポート⑨藤沢レオ

岩﨑直人(札幌芸術の森美術館)

2016年05月15日号

 北海道に根を下ろして活動するアーティストを紹介する「北海道の美術家レポート」。第9回は、金属工芸家・彫刻家の藤沢レオを取りあげる。

 北海道を拠点にいまは美術の領域に地歩を築きつつある藤沢レオ(1974-)は、はじめ、工芸の世界に身を置いていた。その折りに師事していたのは、澤田正文(1950-)。鉄と木を材に流麗なシルエットと武骨な物質感を巧みに同居させた家具や動物などを制作する個性派現代工芸作家である。そんな師匠が備えていた豊かな芸術的側面に藤沢は少なからず感じ入るところがあったのだろう。師のもとを離れた後に制作された工芸的作品からは、その趣がそこはかとなく感じられる。また、工芸に立脚しつつも、するすると美術分野へと横断した様は、師にも勝るその志向の表われとも指摘しうる。


1──《noyau》2005年 鉄 撮影=松尾哲司


2──《noyau》2006年 鉄 撮影=山岸誠二

 さて、藤沢が美術の領域に足を踏み入れ始めた頃から現在に至るまで一貫してつくり続けているモティーフのひとつに「種子」がある。とりわけ、札幌から車で1時間ほどの距離、南東方面に位置する苫小牧に自身のアトリエ「工房LEO」を構えた2005年頃の作品には、種子の形を具体化したものが多く見受けられる[図1・2]。かといって、実在の植物の種子を模したわけではなく、種子が概念として含意する生もしくは死、およびその生命の連鎖というところに着眼して抽象化された藤沢の思う種子の形である。面と塊を重視し、無限の未来に萌え出でんとみなぎるをぎゅっと内包したその完全体は、後に、線材のみで最小限の輪郭だけが与えられ形づくられるようにもなった[図3・4]。そこでは、エネルギーを強制的に内に抱え込むのではなく、外にもゆるやかにたゆたえるようになったという見方もできよう。そして、床に置かれたり、天井から吊されるなどして、大型化も伴いながら複数が組み合わされて空間に配されるようになった。このようにエネルギーの往来が内外自在化したことにより、種子だけに完結するのではなく、鑑賞者を含めた他の生命体や周辺の環境、空間との相互関係が複雑に絡み合うこととなる。


3──《種〜素描〜》2006年 鉄


4──《音森》2007年 鉄、銅、真鍮など 撮影=前澤良彰

 造形も、制作の視座も短期間に目まぐるしく展開し、あっという間にある一定の評価を得始めた2007年、札幌芸術の森美術館における中庭インスタレーション(2008)の作家として白羽の矢が立った。これは同スペースにイサム・ノグチの大型石彫作品が鎮座していた8年間には休止していた企画で、藤沢はその再開最初の作家となった。屋外での作品発表は、藤沢にしてみれば初の試みで、おそらく戸惑いもあったろうが、美術館側の期待をはるかに超えて、見応えある全長32mにも及ぶ大作を眼前に展開してくれた[図5・6]。初屋外作品、自己最大サイズもさることながら、表現上の際だつ特徴があった。それは、種子の外形を造形するのではなく、その形を想起させる雌型的造形であったことだ。並行して列をなす幾本もの鉄の上にまるで巨大な楕円体が乗り、その重みによって窪んだような造形である。もちろん、それは巨大な種子の存在を伝えている。このように、種子の姿が完全体として形成されない作品は、本作が初の作例であった。


5──《Passage》2008年 鉄、木 撮影=佐藤雅英


6──《Passage》2008年 鉄、木 撮影=佐藤雅英

 その前年の2007年、藤沢の種子は金属以外の新たな材を得ていた。不織布である。まるで繭のように不織布が種子の外形を覆い纏った[図7]。このスタイルは、その後も何作か重ねられた。覆われた内に極めて小さな緋色の核が点じられ、ときに、その緋色は内部を渡る一筋の線であったり、直方体の一側面であったりもした。いずれにおいても、生動する命の源たる血液を思い起こさせ、全体的に無機的な造形ながらもどこか血の通いを感じさせる。次に、その緋色は、繭を破って空間に飛び出した[図8・9]。いくつもの極小の玉が天井よりテグスで吊され、整列して配されたり、緋色の水糸が等間隔に配列された。中空に浮かぶそれらは、円を描いたり、方形であったりとささやかに空間を変化させる。いや、これら一つひとつを細胞の核と見立てたり、ときに糸が緋色のものを血流と見たときに、それは、この空間を占めるほどの巨大な生命体の胎内とも受け取ることができる。そうすると、じつは劇的にその展示空間を変転させていることにはたと気がつく。造形としては、些少な造りながらじつに大きく空間を構築している点は、不可視の可視化も含めて、札幌芸術の森美術館における中庭インスタレーションに通ずるところがあろう。


7──《死ヌコトヲ知ル/生キルコトヲ知ル/生マレルコトヲ知ル/知ルコトヲ知ル》2007年 鉄、化学繊維 撮影=山岸誠二


8──《今はいつ? I》2009年 ポリエステル糸、鉛、エナメル


9──《不在の存在 III》2014年 水糸 撮影=山岸誠二

 そして、ついに種子はその姿を消した[図10]。それを示唆するものすら見当たらない。あるのは、立てかけられた梯子、その階上には椅子が置かれているだけの空間、開け放たれた扉、揺れるブランコ。いずれも軽量で、壁にかけることのできる小品だ。線材のみで造形されたそれらは、緋色の核を持たず、不織布を巻かれることもなく、ただ鉄枠のみを露出する。作品内外への往来は自由にできるのだが、静まりかえった空間のなかに生命の気配らしきものはなにも感知しえない。開放的であるにもかかわらず、そこには完全なる不在感が凝縮されている。
 こうして藤沢の手がけてきた作品を振り返ると、種子をモティーフに、生命をテーマに、表現の起承転結が看取される。具体的な種子の造形に始まり、骨子構造によって空間との交感を促進させ、再び、薄い膜によってそれを閉じた。途中、種子の痕跡を造形化したり、ミニマルな造形によって種子の内部へと誘うようなじつはダイナミックな空間造形も試みつつも、いま、生命感を排する表現へと至る。しかし、言うまでもなく、死をもって生命は完結しない。次にまた生命は生まれ、流転し、止めどない。本年5月3日より、宮城県気仙沼市のリアス・アーク美術館にて個展が開催されている。新作を中心とした本展、いかなる新たな展開を見せてくれるのか楽しみだ。


10──《静かな日──はしご》2011年 鉄

N.E.blood21 藤沢レオ展

会期:2016年5月3日(火)〜2016年6月19日(日)
会場:リアス・アーク美術館
宮城県気仙沼市赤岩牧沢138-5/Tel. 0226-24-1611