キュレーターズノート

「坂野充学と巡る鶴来バスツアー」と「再演」

鷲田めるろ(金沢21世紀美術館)

2016年05月15日号

 金沢21世紀美術館で開催した「坂野充学:可視化する呼吸」展の関連プログラムとして、4月23日、「坂野充学と巡る鶴来バスツアー」を実施した。25名の参加者が鶴来でのまちあるきを楽しみ、地元の人たちから話を聞いた。このプログラムを「再演」という観点から読み解いてみたい。

 金沢21世紀美術館の「坂野充学:可視化する呼吸」展では、5画面の映像インスタレーション《Visible Breath》(2012)を展示した。アーツ千代田3331での発表時に書かれた作品解説(無記名)では、坂野と鶴来との関係、地域の民俗学研究者村西博二との出会い、モチーフとなっている「ほうらい祭り」での唄の歌詞と鶴来の鍛冶屋文化について解説されている。さらに、今回の金沢21世紀美術館での展示に際して制作したリーフレットに寄せたテキストで、企画者である筆者は、坂野がアーティストだけではなく、クライアントワークをこなす映像ディレクター、アートスペースを運営するアートプロデューサーという三つの顔を持っていることに着目して、《Visible Breath》の特徴について解説した★1。この学芸員レポートでは、リーフレットでは触れることができなかった、「再演」という観点から坂野の作品について論じようと思う。
 《Visible Breath》は、鶴来の歴史を取材した映像作品だが、史実を示す資料を次々と写し、編集するような方法はとらず、取材を元に想像した歴史を俳優に演じさせている。いわば古代を舞台とした時代劇である。厳密には、坂野自身の想像というよりは、村西の想像した歴史を坂野が映像化しているといえるが、当然、映像化にあたって坂野の想像も大きく反映されているため、その区別はここでは措く。
 歴史的な出来事を再演し、それを撮影して作品化する手法は、例えば、イギリスのジェレミー・デラー(《オルグレーヴの闘い》2001、など)や、同じくイギリス出身で、ベルリンを拠点に活動するタシタ・ディーンがとっている。タシタ・ディーンについては、ハル・フォスターの論文「アーカイブ的衝動(An Archival Impulse)」★2のなかでも一節を割いて論じられており、再演は「アーカイブ的美術」のひとつの手法ともいえる。アーカイブ的美術とは、ハル・フォスターによれば「近代のアート、哲学、歴史のなかの特定の人物像、物体、出来事を取り上げ、それを特異な仕方で探査していく行為としてアート実践を捉える」★3ような作品である。なお、「アーカイブ的衝動(An Archival Impulse)」の和訳は、2016年6月刊行の『金沢21世紀美術館研究紀要 アール』6号に収録される予定だ。こうしたアーカイブ的美術の系譜に、坂野の《Visible Breath》を位置づけることも可能であろう。

 坂野展の関連プログラムとして開催した「鶴来現代美術祭アーカイブ」展は、2015年11月1日号の「学芸員レポート」でもご紹介させていただいたので、詳しくはそちらを参照していただきたいが、ここでは、この調査が、坂野と私との共同で行なったものであること、坂野がアーカイブという方法に関心を抱いていたことを改めて記しておきたい。鶴来現代美術祭という25年前に行なわれた企画について事実関係を知り、その記録を残すことが美術館員としての私の主たる調査動機であったが、一方、アーティストである坂野にとってはそれだけでなく、そのアーカイブを新しい創造に繋げていきたいという気持ちも持っていた。アーカイブを利活用し、それを次の創造に繋げやすい組織や法制度を整備していくことは、アーカイブ構築について論じられる際、しばしば強調される点である。
 鶴来バスツアーには、二つの目的があった。ひとつは、《Visible Breath》の制作の背景を知ることである。坂野自身の案内で、坂野の生まれ育った鶴来の古い町並みを見たり、作品の撮影場所ともなった、坂野の実家の蔵を訪ねたり[図1]、作品にも登場する村西に会い、直接鶴来についての話を聞いたりした[図2]。もうひとつは、鶴来現代美術祭について詳しく知るということである。当時の展示マップを手に、小堀酒造や吉田醤油店[図3]など作品が展示された場所を訪ね、当時の写真を見て現状と見比べながら展示の状況を想像したり、鶴来現代美術祭の立ち上げの中心的役割を果たした鶴来商工会青年部の部長 北野一郎や副部長吉田一夫に当時の話を聞いたりした[図4]

1──実家の蔵を改装した坂野充学のスタジオ(白山市鶴来新町)。《Visible Breath》の撮影も行なわれた。バスツアーの際は、鶴来現代美術祭の資料を展示。


2──鶴来の歴史について話す村西博二。横町うらら館にて。現在白山市の所有であるこの建物は、鶴来現代美術祭当時辻家として会場にもなった。

3──吉田醤油店前(白山市鶴来新町)

4──鶴来現代美術祭について話す北野一郎と吉田一夫。聞き手は小松崎拓男(金沢美術工芸大学)。横町うらら館にて。
写真1-4 撮影=筆者。提供=金沢21世紀美術館


 以上がバスツアーのプログラムの目的であり、参加者には、坂野の作品と鶴来現代美術祭について、より詳しく具体的に知ってもらうことができたと思う。だが、坂野にとって、このプログラムは、鶴来現代美術祭当時のヤン・フートによるウォーキング・トークの再演という意識もあったのではないか。それを最も感じたのは、私がツアーの募集チラシの画像の選択を迷っていたとき、坂野から1994年の「ヤン・フートのウォーキング・トーク」の写真[図5]を使うのはどうか、と提案を受けたときである。いまだ起きていない、未来の出来事のチラシに、ツアー実施中の写真が使われる。今回のツアーでも訪れる吉田醤油店の古い町家の前に50名ほどの人がたむろしている。おそらく当日もこれと同じような状況になるだろう。つねに事前でしかありえないチラシに、事後の記録写真が使われることに、時空が歪むような不思議な感覚がした。

5──「ヤン・フートIN鶴来PARTII」の「ヤン・フートとアーティストによるウォーキング・トーク」(1994年9月25日)、吉田醤油店前。
提供=鶴来商工会


 もし仮に、ツアーの「再演」をしっかりと撮影して、坂野の美術作品として発表したいということになった場合、どうだっただろう。実際、バスツアーにカメラマンを同乗させたいと、坂野から提案されたこともある。第二次世界大戦中に作品を額から外して疎開させ、額だけを残した状態のエルミタージュ美術館でのガイドツアーを再現するメルヴィン・モティによる作品《ノー・ショー》(2004)のような映像作品にすることも可能だったかもしれない。しかし、私はこの案に対してはおそらく賛同しなかったのではないかと思う。再演するという坂野の映像作品の目的と、鶴来について知りたいという参加者の目的のずれをうまく解消できないと思うからだ。それゆえ、私からもあえてそのプランは提案しなかった。では、撮影をしたり、作品として発表しない「再演」であったとしたらどうだろうか。すなわち、あくまで参加者にとっての「知る」という目的に沿ってツアーを実施し、参加者が知るという目的のために当時のウォーキング・トークを「再演」する。過去の人が行なったことを再び自分たちで再演することで気づけることは少なくない。わずかな違いであるかもしれないが、二つの目的の区別を尊重することは大切なことである。

★1──「坂野充学:可視化する呼吸」リーフレット。金沢21世紀美術館ミュージアムショップにて販売中。
★2──Foster, "An Archival Impulse." October, no.110, 2004: pp.3-22 以下に増補版を収録
Foster, Bad New Days: Art, Criticism, Emergency, London: Verso, 2015
★3──Ibid., p.31(中野勉訳)

坂野充学──可視化する呼吸

会期:2016年1月30日(土)〜5月8日(日)
会場:金沢21世紀美術館
石川県金沢市広坂1-2-1/Tel. 076-220-2800

関連プログラム(終了しました)

「鶴来現代美術祭アーカイブ展」2016年1月26日(火)〜5月8日(日)
「アーティストと巡る鶴来バスツアー」2016年4月23日(土)