キュレーターズノート
「青森EARTH2016 根と路」、「生誕80周年 澤田教一:故郷と戦場」、岡本光博展「69」
工藤健志(青森県立美術館)
2016年10月01日号
対象美術館
青森県立美術館の開館10周年夏の企画として開催された「青森EARTH2016」。「縄文に創造の原点をたずね、青森の大地に根ざした新たなアートを探求する」ことを目指し、常設展内プロジェクトとして立ち上げたのが2012年。「縄文」と「青森」と「現代」という開館以来取り組んできたテーマを総括するものとして学芸内の共通認識のもと、さまざまな切り口から、これまで4つの試みを積み重ねてきた。
「青森EARTH」の集大成──人と大地の関係を問い直す
本展はその集大成として位置づけられたもので、担当したのは当館でもっとも若い学芸員の奥脇嵩大。サブタイトルは「根と路」。ポストモダン人類学の第一人者であるジェイムズ・クリフォード提唱の「旅する文化」に着想を得てつくられ、人と大地の「根源(Roots)」に「経路(Routes)」を交えることで生まれる多様な生の軌跡の考察をとおして、「大地」の可能性を多元的見地から問い直そうという試みである。
本プロジェクトでは、これまで青森という大地の特異性に軸足を置き、近代という枠組みの問い直しや、日本が抱える社会的な課題に対する問いかけを行なってきたが、プロジェクトのひとつの区切りとして、人と大地のダイナミックな関係性が提示されたことは大きな意味を持つように思う。青森(県立美術館)を「ベースキャンプ」とした個々人の種々の旅路。青森各所の土を用いて描かれた巨大な泥絵をシャガールの舞台背景画「アレコ」と対峙させた淺井裕介を導入とし、笹森儀助の「辺境」、エドワード・S・カーティスやクリスチャン・ヴィウムの「先住者/移民」、アピチャッポン・ウィーラセタクンの「宇宙」、石川直樹の「極地としての山」、志賀理江子の「生と死の螺旋舞台」、ロバート・スミッソンの「大地」、平田五郎の「フィールドワーク」、三瀬夏之介の「東北/日本」、森永泰弘の「土俗」など、アーティスト、学者、政治家、冒険家でありながら、自らのアイデンティティすらも越境するかのような活動を行なう人々の作品、資料が並ぶ。さらに縄文の遺物から岩石標本などの自然誌、考古、民族資料まで、時間と空間を越境する巨視的な観点から構成された展示は、グローバル社会という政治学的視野を踏まえつつも、そこに傾斜することなく、現代における他者/土地に対する理解と共感の手立てを模索するものであった。
展示された縄文遺物もありがちな造形美を見せるものではなく、破損品や失敗作、縄文人による手の痕跡、指紋が残された焼成粘土塊等に調査で用いられる発掘図面を併置させることで、縄文の人々の活動や生活の現存性を表出させようとしていく。そして途方もない時間の堆積を想起させてくれる岩石標本の数々。ジャンル横断型の展覧会は近年珍しくなくなってきたが、ある事象を多面的に考察するためのアプローチではなく、本展では個々に独立した他者の記録の連なりから、社会と人間のかかわりを多層的に捉えていくための手法として採用されており、とても新鮮に感じられた。
展示はいくつかのセクションに分けられてはいるが、それは鑑賞者に対する便宜上の配慮に過ぎず、一筆書きの順路が組めない「選択式動線」を採用した展示室の特性と相まって 、個々の作品、資料は鑑賞者の意識や感情によってさまざまに接続されていく。各展示室はまるで「精霊の棲む洞窟や小屋、万物のための“大切 なものを貯め置く場所”」(奥脇)ような気配を有しているが、それは暗い蔵の中にひっそりと閉じ込められた「宝物」ではない。明確なテーマが、貯め置かれた一つひとつの作品、資料を魅力的に照らし出していく。始まりもなければ終わりもない、起源の痕跡と経路の軌跡が複雑な地層のように堆積したこの時空間は、ある種の循環構造を形成し、「永遠性」をかたちづくる。そこに立つ者は「今」、「ここ」から過去と未来を感じとり、世界、そして宇宙を眺望することになる。人間と大地の関係も「根源」のみならず「経路」という概念を加えることで多層的、多視点的な考察が可能になることを知る。そこに決められた答えはない。それぞれの個の魅力的な「根と路」の実践例を自らの文脈に引き寄せて解釈し、思考を深めていく愉しみこそが本展を観賞する最大の醍醐味だったと思う。「根と路」というパズルを作品・資料というピースの自在な組み合わせによって解いていく、見る人の数だけ「答え」が成立する展示であった。
美術展という枠組みを取りながらも、視覚を超越する「ファンタジー」と「ロマン」によって貫かれた本展は、「青森」に深く根差した県美のこれまでの活動を踏まえつつ、新たなステップを踏み出そうとする「力」にも満ちていた。10年は到達点ではなく、これから10年、20年先の未来の可能性を探るための通過点であることを強く意識させられる青森県美らしい10周年記念展であったように思う。
澤田教一──三沢からヴェトナム戦争まで
そして10月8日(土)からは10周年記念展の第3弾として「生誕80周年 澤田教一:故郷と戦場」がスタートする。これまで発表されたことのない三沢のベースとその周辺を撮影した活動初期の写真や、今年3月に担当学芸員高橋しげみの調査によって存在が確認された《安全への逃避》(1966年ピュリツァー賞受賞作)のオリジナルネガフィルムからプリントした前後2カットを含む連続3カットの展示(ポスター参照)。さらにピュリツァー賞審査用に1冊のみ制作された写真帳(コロンビア大学所蔵)の日本初紹介など、約300点の写真と資料で、三沢から世界に羽ばたき、ヴェトナム戦争の激戦地で銃弾に倒れた澤田教一34年の軌跡を辿る企画。故郷と戦場。そして生と死。澤田の活動の全貌が初めて明らかになる、こちらも10周年にふさわしい1本となるに違いない。
岡本光博展──厳選15点で見せるその戯作精神
そして最後にもう1本、10月8日まで東京神楽坂のeitoeikoで開催されている岡本光博展。2年前の「マックロポップ」展に続き、今回も筆者がキュレーションを担当したので告知を少々。今回のタイトルは「69」。まず、DM用に書いたテキストを引用しておく。
岡本光博がつくりし万古の作品全開陳などという高慢な企ては、いかなる空間をもってしても抜き差しならぬめんどうな話となる。しかるに岡本の珍歩なる道程を、万の個の必見すべき今日的意味のあるところの逸品に絞りとり、以上学芸6点と作家9点が選む「69」によって岡本芸術の示威を遺憾なく果たさしめんと欲す。民を無恥、無智ならしめる人工の妖に先んずればしてやったり。思惟と英知を求むに進取的な士とのうるわしき結合とならんことを期して、「69」を催す主因としたい。
1990年のデビューから27年、岡本がこれまで既に2,000 点を超える作品を制作しているということも驚きであるが、活動の集大成という位置づけの本展でそれを9点にまで絞り込んでしまうのもある意味凄まじい(笑)。加えて、筆者が選んだ岡本の活動を振り返る上で重要と思われる6点の作品について、解説を付してパネル展示している。それがゆえの「69」である。しかしわずか15点であるものの、岡本光博という作家の理解と、その作品の本質に迫るための「傾向と対策」は充分に示されているように思う。
今回は近年岡本が精力的に手がけている「規制」をテーマとした作品を中心に構成されている。「著作権」や「福島第一原発事故」といったタブーと向き合ったものも多い。しかも岡本は、正面からしかめ面かつ声高に切り込むのではなく、「見立て」や「うがち」、「ちゃかし」といった手法をもって斜めから突いていくことを専らとする。そこにはパロディやユーモアを許容するゆとりさえもなくなった現代社会で、倦むことなく戯作精神を貫き通す、岡本のアーティストとしての強靱な意志が認められよう。作品の「軽み」とは裏腹に、真なる「表現の自由」を問うその「自由な表現」は既成の権威構造に対して異議を申し立て、価値体系を攪乱させていく。それはバランスの悪いいびつな現代社会に安定を取り戻すきっかけとして作用する。「69」とは「均衡」を象徴する記号でもあるのだ。
展覧会と同時に初の作品集『69』も萬国際出版から刊行された。こちらには69点の作品が収録され、値段も1690円という徹底ぶり(笑)。展覧会の理解がより深まる一冊なので、あわせてぜひご一読を。
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青森県立美術館開館10周年記念「青森EARTH2016 根と路」
会期:2016年7月23日 (土) ~ 9月25日 (日)
会場:青森県立美術館
青森県青森市安田字近野185/Tel. 017-783-3000
青森県立美術館開館10周年記念「生誕80周年 澤田教一:故郷と戦場」
会期:2016年10月8日 (土) ~ 12月11日 (日)
会場:青森県立美術館
岡本光博展「69」
会期:2016年9月10日(土)~10月8日(土)
会場:eito eiko
東京都新宿区矢来町32-2/Tel. 03-6873-3830