2017年07月15日号
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artscapeレビュー

岡本光博 マックロポップ

2015年01月15日号

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会期:2014/10/25~2014/11/22

eitoeiko[東京都]

京都在住のアーティスト、岡本光博の、東京では21年ぶりになるという個展。決して広くはない会場に、新旧あわせた作品が凝縮して展示された。
「マイクロポップ」をもじった展覧会名に端的に示されているように、岡本の醍醐味は記号を反転させる単純明快さにある。しかも今回展示された作品の大半は、セックスに関わるものであり、平たく言えば下ネタのオンパレードであった。一つひとつの作品に笑わされるというより、それを終始一貫させる、あまりの徹底ぶりがおかしい。
しかし現代美術の現場において、岡本のような作品は、あまり評価されない傾向がある。高尚な思想を背景にしているわけではなく、解釈の多様性が担保されているわけでもなく、要するにあまりにもわかりやすく、「深み」に欠けているように見えるからだ。とりわけ絵画においては、唯一の解答に導くのではなく、鑑賞者の想像力を無限に拡張させることが至上命令とされている感すらある。芸術とは、かくも深遠なものというわけだ。
けれども、実際のところ、こうした考え方は芸術の本質であるわけではない。そのような芸術の「深さ」はポップ・アートによってすでに相対化されてしまったと言えるし、その「深さ」とやらこそ、美術と庶民のあいだに不必要な距離感をもたらしたとすら考えられるからだ。だとすれば、岡本の作品をたんなる下衆で低俗な言葉遊びとは到底言えなくなる。それは、そのような「深さ」を伴った芸術に向けられた、そしてそのような芸術を依然として待望してしまう私たちの心根に向けられた、きわめて鋭利な批判なのだ。性的な主題を大々的に前面化させているのも、それを忌避しがちな現代美術への露悪的な身ぶりなのだろう。
だが岡本の作品もまた、同時代を生きる者によって同時代を生きる者に向けられた美術という点で、現代美術のひとつであることに違いはない。「マックロポップ」が「マイクロポップ」のようなムーヴメントを形成することはないだろうが、現代美術におけるどす黒い反逆の身ぶりを示す指標にはなりえるのではないか。

2014/11/21(金)(福住廉)

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