キュレーターズノート
山本理恵子「空白の頁」、吉岡千尋「sub rosa」
中井康之(国立国際美術館)
2017年08月01日号
荒々しい筆触による、男女のエロティックな行為を思い起こさせる山本理恵子の新作《dance》が、我々を喚起するのは、彼女の表現が「何事かを表意する(シニフィエ)ものではなくて、標示する(シニヤレ)ものだった」からなのであろう。「つまり、ここにあるのは、もはや単に伝達することとか表現することとかを機能とするのではなくて、言語(表現)の彼方を認めさせることを機能とするエクリチュールの見本なのだ。」
山本理恵子──「エクリチュール」の実践
引用したのは、ロラン・バルトの『エクリチュールの零度』(森本和夫ほか訳、筑摩書房、1999)の序文である。つとに有名な同書は、同時代に共通な規則や慣習の集合体である言語体(ラング)ではなく、作者の身体的或いは個人的神話を纏った文体(スタイル)とも異なる、〈文学〉のもうひとつの形式の存在を説いた書物である。
山本は、これまで個人的に獲得したスタイル、複数の色彩を並列させた絵具を筆に浸し、画面に複数の色彩のグラテーションが自在に繰り広げられながら、あるイメージを紡ぐ手法によって制作を続けてきた。今回の個展では、そのようなスタイルをとる作品も展示されている。例えば、《赤ちゃんの鼓動》(2015-17) の右側に描かれた有機的な形態に4つの駆動部が繋げられたような事物と背景にそのような表現を認めることができる。山本によれば、制作を開始した当初は、絵画制作に関して主題や内容といったことに興味が無く、自身が体験したこと実感したことを優れて感覚的に表現してきたという。勿論、そのような方法が永続的に繰り返されることは難しい。実際、この作品《赤ちゃんの鼓動》は、最初に発表された際に彫刻家との2人展であったという外的要因も加わり、2枚のカンヴァスを直角に接合させた物理的に空間への侵入を試みたスタイルとなっている。
バルトは述べている。「言語体の地平と文体の垂直性とは、著作家にとって、ひとつの自然を描く」のである。……「前者(言語体)において、彼(著作者)は<歴史>の親しさを、後者(文体)において、自分自身の過去の親しさを見出すのである。」山本にとっては、言語体が担う「<歴史>の親しさ」という客体は意識されてこなかったかもしれない。もちろん、バルトが分析している対象は「文学」であり、それを「美術」に置き換えた上で呈示しているので、無闇に同列に語ることは危険かもしれない。実際、バルトは「言語体は……人々の共有財産であって著作家たちの共有財産ではない。」とも述べているのである。
あらためて山本の《dance》に戻ろう。この男女の図像を見て、私が連想した作品はマネの《草上の昼食》である。周知のとおり、森の中で1人の裸婦と2人の着衣の男性が写実的に描かれたことが問題となりサロンに落選した(そして落選展で公開された)歴史的な作品である。およそ100年後、同作品はピカソによって多くのヴァリエーションが描かれたこともよく知られている。なかでも、裸体の女性が両脚を広げ、男性も裸体になっているヴァージョンは、山本の《dance》と近似するかのようでもある。しかしながらピカソの新古典様式で描かれた丸みのある裸体表現は、山本の裸体表現とはその画風からも大きく異なるタイプに属するだろう。山本のスピード感のある筆触は、ジョルジョーネの牧歌的な作品を題材に現代風にアレンジされたマネの作品と同様の質を保持するものである。そして、そのようなスピード感のある表現をあらためて認識した時に、《dance》という山本が命名したタイトルの意味を汲み取ることができる。山本のこのような果敢な制作姿勢によって生み出された新たな表現スタイルは、バルトの説いた「エクリチュール」のひとつの実践であり、山本が抱懐する姿形なのである。
吉岡千尋──「アウラ」の実体化
吉岡千尋の表現は、発表を始めた当初から現在に至るまで、共通した原理によって生み出されている。それは吉岡が今回発表している作品のシリーズ名にも用いられている「ミメーシス」(模倣)という概念である。ミメーシスの美学は、18世紀後半以降の近代的主観主義の立場からは一段低い美学と見なされるようになったのだが、それまでは、芸術創造の美学の中心を占めていた。その美学の構成要素をフランス古典主義理論に則って述べるならば、ひとつには「古代人の模倣」であり、もうひとつには「自然の模倣」である。具体的には、前者は、古典期の大芸術家の作品の模倣であり、後者は自然(=本質)の模倣である。例えば、吉岡の作品シリーズ「MIMESIS」の近作は、フィレンツェのサンタ・クローチェ教会内に描かれた天使像を題材としているが、上述した分類に照らし合わせるならば「古代人の模倣」に属するだろう。先に記したように、このような古典的芸術論は18世紀後半以降の人間中心主義によって否定されてきた訳であるが、20世紀に入り、ドイツの哲学者ベンヤミンはそのような古典的芸術論に対して現代的な解釈を与えるかのような議論を展開する。
「芸術作品は、原則的にはつねに複製可能であった。……芸術作品の技術的複製は……長い間をおいて少しずつ、しかしだんだん強力に地歩を占めてきた」とベンヤミンは『複製技術時代の芸術作品』(『ベンヤミン・コレクション 1』、浅井健二郎 編訳、筑摩書房、1995)の中で述べる。そして「芸術作品が技術的に複製可能となった時代に衰退してゆくもの、それは芸術作品のアウラである」と定義するのである。ベンヤミンは「アウラの凋落」によって引き起こされる作品概念の変化を評価し、多くの人々に鑑賞の機会を与えた映画のような非アウラ的芸術に大衆参加の可能性を見出す。
ところでベンヤミンは同書において、芸術作品の歴史を「芸術作品の礼拝価値とその展示価値」という二極への移動として説明する。「芸術生産は、呪術に用いるための形象とともに始まった。これらの形象においては、存在するということだけが重要なのであり、見られることは重要ではない。」そのような「礼拝価値はまさに、芸術作品を隠された状態に保つことを要求する。ある種の神像は内陣にあって、聖職者しか近づけない。ある種の聖母像はほとんど一年中被いをかけられたまま」なのである。
吉岡が「MIMESIS」シリーズで模写した対象も、その壁画が描かれた当時は礼拝価値にその存在理由があり、展示価値の割合は相対的に低いものであったろう。吉岡の作品《mimesis VI-fresco》は、パネルに漆喰を塗り、その上から顔料と蜜蝋によって彩色するという簡易的な乾式フレスコによって描かれている。写真等で記録した画像と、実見した記憶を元に、漆喰が欠損した箇所は漆喰を削り取り、50年前の洪水で被害にあった痕跡も再現するという、その場所で遭遇した「アウラ」を表し出すことを意図した表現を試みている。さらに吉岡は《mimesis VI-fresco》を手本として、カンヴァスに油彩という伝統的な西洋絵画技法によって模写を行ない《mimesis VI》を制作している。この作業、あるいは展示方法は、ベンヤミンのいう「礼拝価値」から「展示価値」への移行を図式化したかのようにも映るが、吉岡がこの二つの作品で実現したかったのは、ベンヤミンの説く「アウラ」という曖昧な事象を実体化すること、あるいは同概念を「展示価値」なるものへの転換を試行することであることは間違いない。
さて、今回の展覧会のタイトルともなっている作品《SUB ROSA 2》は、先に記したフランス古典主義理論の分類で言えば「自然の模倣」になるだろうか。その作品は一見すると、19世紀フランスから始まる写実主義的な自然描写を行なっているように見える。タイトルに用いられたバラの花が大きな画面の中央に在り、画面全体に拡がる不定型な形態の連続と事物が描かれていない箇所との組み合わせによる全体は、未完や欠落という言葉を思い起こさせる。鑑賞者の想像力によってバラの木とそれが植えられている土地という近景と、山並みのような遠景、それを繋げる中景という風景画の基本に則っている作品の下図として認めることができるかもしれない。ところで、同じ会場に並んだ前年に描かれたという《SUB ROSA》は、庭にある鉢植えのバラという状況を明らかに読み取ることができるのである。思うにこの作品《SUB ROSA 2》は、《SUB ROSA》という写実主義的な自然描写の作品を経て、「この現実の世界の存在の内に分有されている「より高い」イデア的なるものに着目し、それを顕在化させること」を目論んだ作品であると想定することもできるだろう。(参考:ウェルデニウス『ミメーシス:プラトンの芸術模倣説とその現代的意味』渡辺義治訳、未來社、1984)
M.デュシャンの思考を立体模型化する
国立国際美術館では、7月18日より、開館40周年記念事業の一環として、地下1階の公共スペース(入場無料ゾーン)内の情報コーナーで「アート/メディア──四次元の読書—」というイベントを始めた。「美術館におけるアーカイヴ」というテーマのもとにマルセル・デュシャンの《大ガラス》と《グリーン・ボックス》を解読する楽しみを体験する試みである。
具体的には、情報コーナーのガラス面に、《大ガラス》の画像と《グリーン・ボックス》のメモから採った言葉(原文)を貼り付け、その部屋の中央部に、《グリーン・ボックス》のメモ内容を印字した(邦訳したメモも含む)紙片をばらまき、M.デュシャンの思考を立体模型化する試みである。
本企画は、M.デュシャンの生き方に大きな影響を受けたと公言するサウンド・アーティスト藤本由紀夫氏によって、美術館の見過ごされた場所ともなっている情報コーナーという名目の各種広報物頒布所を、美術館本来の目的に沿った場所に転換し、活性化を図ろうというプロジェクトである。