キュレーターズノート

「ラブラブショー2」を振り返って

工藤健志(青森県立美術館)

2017年08月01日号

 ここ数年、「美少女の美術史」展や「成田亨 美術/特撮/怪獣」展など共同企画の仕事が続いていましたが、2012年の「Art and Air」展以来、5年ぶりにホームで自主企画展「ラブラブショー2」を担当しました。


「ラブラブショー2」展 エントランス
撮影:大洲大作


 去る7月2日に約50日間の会期は終了しましたが、青森県美の個性的な展示空間のポテンシャルを最大限に引き出すことを狙った結果、延べ18日間にも及ぶ物量戦のインストール作業となり、50となった中年男にとっては肉体的にかなり過酷。2009年の冬に開催した「ラブラブショー」のパート2にあたる本展ですが、こういうものは大抵3部作となるのが定番だけど、さすがに体力的にもう無理だろうなあ。その分、「やりきった」感はあるのでそれはそれでいいんだけど、予想通りというか、残念ながら遠く青森まで取材に来てくれた中央のメディアは皆無、レビューの類いもほぼ出なかったので、この場を借りて、いくつかの観点から展覧会を振り返ってみます。

1. プレイバック?PART2??

 「美術展で“続編もの”やったら面白くないかな?」という単純な思いつきからスタートした今回の企画。けれどよくよく考えてみれば、無機的なホワイトキューブへの批判から生まれた青森県美の空間は高い固有性を持っていて、前回「ラブラブショー」をやったときも、そこに大きな可能性を感じたんですね。「ラブ」を「出逢い」と読み替え、作家と作家、作品と作品が出逢い、そして作品と空間が出逢う。そこに生まれた、「いま」、「ここ」でしか体感できない作品を楽しむ展覧会。というコンセプトだから、サブタイトルで特別なテーマを設ける必要もない。開催場所やテーマは変わるけど参加作家はいつも同じような顔ぶれ、ではなく、場所もコンセプトも変わらないけど中身がガラッと変わったほうがイベントとしては面白いんじゃないかと思った訳です。とまれ、言うのは簡単だけど、青森県美の空間を実際に使いこなすのはすごく難しい。既存の作品を並べるだけではどうしても限界がある。ゆえにさまざまな分野で活動している作家に参加を依頼し、空間をフルに活用したサイトスペシフィックな展示を構築してもらう。ゆえにもともと本展は現代美術のグループ展として企画したものではありません。「美術館」というものの存在意義がともすれば薄れがちな現代において、いま一度「美術館」、そして「展覧会」の強度を高めていきたい。想いはその一点に尽きます。「ラブラブショー2」は「ラブラブショー」のプレイバックではなく、そのフォーマットを利用した2017年のアップデートバージョンです。7年のあいだに日本の社会は劇的に変化しましたが、現代の表現を扱う以上、それは意図せずともなんらかの形で展示に反映されるでしょう。だから社会的、政治的なテーマを無理矢理仕込むこともあえて避けました。

2. 夕やけやさしいカマタ_ソーコ、あれは青森の飛び地展示

 先の話とつながるけど、何をするにしても効率や採算性が重視される時代だから、首都圏や大都市圏以外の小さな都市で開催される自主企画展が東京の専門メディアに取り上げられることは、広報費が潤沢にあるところか、メディアに頻繁に取り上げられる作家の個展か、あるいは記者や編集者と強固なネットワークがあるキュレーターの企画以外皆無と言っていいでしょう。だから、たぶん取材費を払わないと記事にはしてもらえないだろうなあ。でも、たとえレビューが載ったとしても、入館者の増加につながるかといえば経験上必ずしもそんなことはなく、いってみれば「展覧会」に箔をつけるか、企画者の自尊心を満足させるだけものものじゃないか、なんて悔しさ紛れに軽い暴言を吐いてみるけど、要はそんなことに大事なお金は使いたくないのだ。
 前回は十和田市現代美術館との同時開催でしたが、今回はひとつの実験として、「飛地展示」と名付けた展覧会を東京で1カ月ほど先行して開催し、首都圏での告知および情報発信の拠点と位置づけ、作品をすべて撮影可能とすることでSNSでの口コミを軸に据えた広報を試みました。要は自治体がよくやっている「アンテナショップ」の美術館バージョンですね。でも結局「地方=資源の供給元」で「中央=消費地」みたいなありがちなオチじゃつまんない。飛地オリジナルの展示を行なうことで独自の価値を創り出しつつ、展示のコンセプトを共有することで、青森と東京の両想い、つまり二つの地域が有機的につながっていくことを狙いました。
 東京展のキュレーションを担当してくれたのは澤隆志さん。あれよあれよという間に蒲田で活動する@カマタのクリエイターと協働し、新しいスペース「カマタ_ソーコ」を立ち上げ、柴田聡子×宮崎夏次系、青野文昭×水尻自子、ミロコマチコ×アンナ・ブダノヴァという3組のペア展示を計画してくれました。もともと映像を得意とする澤さんならではのウイットに富んだ展示で、「コラボレーション」、「サイトスペシフィック」、「体感」という展覧会で設けた三つのコンセプトが見事に展示に落とし込まれていました。
 柴田さんと宮崎さんのペア作品は、音楽と漫画のコラボをどう見せるかという難題を、蒲田のクリエイターのアイデアと町工場の技術の「ラブ」、つまり大田区の立地を活かして生み出された什器によって解決。宮崎さんの引く線描の抑揚まで忠実にレーザー彫刻された板絵を何層かの天板にした机に座り、骨伝導スピーカーを内蔵する眼鏡型デバイス(なんと柴田さんが着用していた眼鏡そのものをスキャン!)を付けて音楽を聴きながら、木のページをめくって漫画を楽しむという仕掛け。視覚と聴覚を通して二人の世界観が脳内で共振する没入感の高い作品となっていました。この什器型作品は従来の漫画の展示手法を刷新していく力を秘めているように思うので、さらなる展開に期待!


柴田聡子×宮崎夏次系:トランポリンの星 展示風景
撮影:大洲大作


 ミロコさんとアンナさんの展示は「けもの」を共通項とし、ミロコさんの壁画の裏面にアンナさんの映像を投影したもの。ミロコさんが描いた動物たちの目には穴が開けられており、アンナさんのプロジェクションの光がそこから漏れて目がギラリと光るなど、絵画と映像、カラーとモノクロといった相反する要素が空間に自立する1枚の壁の表と裏を使って一体化された、正確な意味でのコラボレーション作品となっていました。


ミロコマチコ(左)×アンナ・ブダノヴァ(右):けだものだもの 展示風景
撮影:大洲大作


 青野さんと水尻さんのペアは映像用語である「ディゾルブ」をキーワードとして、フォルムの官能的な変化/変容を青野さんの立体と水尻さんの映像で体感させるインスタレーション。異なるモノを接合し、その境界を曖昧にしていくことで未知のオブジェとしての意味を生成していく青野作品の効果が、キッチンやロードコーンなど倉庫に残されたさまざまなモノにまで波及し、作品と空間の境界までかき消していくような、倉庫空間の特性を大胆に活かした展示でした。


青野文昭(立体)×水尻自子(映像):ディメンション&ディゾルブ 展示風景
撮影:大洲大作


 青森会場は結果的に柴田さんを除いて男性作家ばかりになってしまったのですが、東京は逆に青野さん以外は女性作家。なんとなく「青森」と「東京」の土地柄をそれぞれ反映しているようにも感じられ、この対比は「番」として考えてもベストだったように思います。

3. 愛はただ乱調にある?

 もうひとつ広報的な仕掛けとして、ミュージシャンの柴田聡子さんに展覧会テーマ曲の制作を依頼しましたが、さらに二つの会場で楽曲提供による展覧会参加と、青森と東京をブリッジするための「東京⇄青森ラブラブライブ」を開催してもらいました。柴田さんはすぐれたメロディメーカーですが、一方でその言葉の世界は、日常のふとした情景や人間の細やかな感情を連ねながらもイメージを飛躍させたり、意味の定立を曖昧にしていく点に大きな特徴があります。調和ではなく、意味のズレや乱れ、歪みによって聴く人の意識に刺激を与える柴田さんの音楽は展覧会のコンセプトに共通する要素があるのではないかと考え、柴田さんにシンボル的役割を担ってもらったのです。
 さらにその手法は、ポスターやチラシ、会場サイン等に活用したイメージキャラクター「アモリーノちゃん」にも応用。絵画作品のみならず、「ヨコヲちゃん」や「トビヲちゃん」など切り絵をもとにしたユニークなキャラクター造形で知られる竹本真紀さんがその作者です。竹本さんの描くキャラクターって僕/私の心を写す鏡のような存在だと思うんですが、プロジェクトとして展開させると見事にそのキャラを媒介としたコミュニケーションが活性化していく。「アモリーノ」とは本来赤子の天使という意味ですが、「アオモリ」にもちょっぴり引っ掛けた「アモリーノちゃん」によって展覧会とお客さんをつなげていこうと考えたのです。前回展に続き今回もまた「ポスターのイメージと展覧会のギャップが大きすぎる」とよく言われましたが、仮に展覧会の宣材の作り方に「常識」があるとすれば、そうした意見はその枠組みを少し崩せたことの証でもあり、むしろ仕掛けとしては成功だったのではないかと思っています。
 せっかくテーマ曲があるのだからプロモーションビデオも作ろうよ、ということで、出演者とスタッフはほぼ身内、知り合いで固め、撮影はiPhoneのみで行なうなど超ローバジェットで映像を制作。でも、ありきたりの「作品紹介」じゃ面白くないので、どうせなら「作家を紹介しよう」と、物故者も含めて参加作家すべての動く姿が見られる動画にしました(無理なお願いを聞いてくださった作家のみなさまにこの場を借りてお礼申し上げます、ペコリ)。展覧会のロゴは用途にあわせて全部で3種作るなど、広報にどんどん「遊び」の要素を加えていくことで、「展覧会」の印象を強めていくような取り組みを行ないました。

 余談ですが、今回の印刷物デザインを担当してくれた植松久典さんは「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」のロゴデザイナー。出品作家の一人である古賀学さんも「ガンダムビルトファイターズ」のロゴデザインを担当しています。最新ガンダムのデザイナーが2名も参加してくれたことに僕は内心にんまりと。

4. A面で恋をして


 ということで、青森県美の展覧会は4月28日から7月2日まで開催されました。全8組のコラボレーション、17名の作家に参加してもらい、部屋ごとに大きく印象の異なるインスタレーションを展開。青森県美の展示室は表情もボリュームも異なる大小さまざまな空間が連続しています。目指したのはそれぞれの空間にインストールされた作品を、まるで1枚の良質なコンピレーションアルバムのように楽しめる展覧会。ゆえに今回は「キュレーション」というよりも「編集」に近い意識で展示の準備を進めました。キュレーターが(時に作家や作品よりも前にしゃしゃり出て)饒舌に語る「コンテンポラリーアート」の展覧会に対して少々ウンザリしていたので、解説の類は最低限にし、作品をある一定の解釈に導くこともしない。企画者の言葉ではなく、どこまでも作品に寄り添い、作品が発する魅力を見る人一人ひとりが言葉に置き換えられるような展示にしたかったので、キュレーションによって「物語」を紡ぐのではなく、編集という手法によって「場」を作ることに力点を置きました。作品と空間のラブは必然的にインパクトを生み出すだろうし、作品と作品のラブは物語や意味の多層化につながるはず。ラブの「場」をうまく編集できれば解説など不要になるだろうし、「いま」、「ここ」でしか見ることのできない「展覧会」としての価値も高まるはず。さらに言えば、部屋ごとで展示を完結させるため、動線も定める必要がなくなる。配布物はどこに誰の作品があるかを記したマップのみ。選択式動線を採用した青森県美の展示室は確かに迷路のようでもあるのですが、それを逆手に取った空間活用法です。今回は幅わずか2mの通路を抜けて次の部屋に向かうような壁面も造作しましたが、結果的に「迷う」、「わかりにくい」といったいつものクレームは皆無。作品の解説が欲しいという要望もゼロでした。ひとまず目論見は成功といったところでしょうか。
 などと言いつつ、展覧会も終わったし、せっかくの機会でもあるので、それぞれの展示について、あえて解説では触れなかったこと、展示して初めて気づいたことなどを以下に記してみたいと思います。

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