キュレーターズノート

「地域美術史」のこれから──アイチアートクロニクル1919-2019

能勢陽子(豊田市美術館)

2019年05月15日号

大規模なコレクション展には、企画展とはひと味違う、マニアックと言っていいような楽しみがある。通常の常設展ではなかなかお目にかかれない収蔵庫の片隅に眠っていた作品たちは、美術館が存在する地域の時代性を何よりも色濃く反映していることがあるし、また作品の質とは何か、誰がそれを決めるのかという、美術の歴史そのものについても考えさせる。

コレクション展と美術館

美術館が美術の歴史をある面でかたちづくっているのは確かだが、そこから零れ落ちたものを保管し続けているのもまた美術館である。美術館がなければ、過去から無数に存在するそうした作品のわずか一部にでも出会う機会はなかったかもしれないし、それらが時を経て新たな見え方や価値を帯び始めることだってある。通常常設展に展示されているものは、その館を代表するいわゆる優品であることが多いが、大規模コレクション展の際には、それらの代表作とともにタイムカプセルのように保存され続けてきた作品が並ぶ。館蔵品のなかから何に焦点を当ててどのように作品を併置し、いかにナラティブを紡ぎ出していくかという作業には、それらが限定されたものだからこそ、かえってキュレーションの妙が際立ってくることがある。

改修工事のために休館していた愛知県美術館のリニューアル・オープン展「アイチアートクロニクル1919-2019」は、館蔵品を中心に、100年間におよぶ愛知の前衛的な美術動向を辿るものである。全6章のうち、前半の第1章「愛美社とサンサシオン:1919~1920年代」、第2章「シュルレアリスムの名古屋:1930~1940年」、第3章「非常時・愛知:1940~1950年代」の大正8年から終戦までの期間は、名古屋市美術館のコレクションをまじえて、まさに近代の「地域美術史」を展開している。改めて、名古屋市美術館のこの地の近代洋画、またシュルレアリスムの絵画や写真等のコレクションの厚みにも感嘆させられる。

(左)鈴木不知《山畑》(1910)
(右)野崎華年《武具》(1895)

鬼頭鍋三郎《機銃分隊習作》(1942)

本展では、展覧会そのものに加えて、章立てに合わせて数本のコラムを掲載したカタログが、時代背景や美術潮流、批評や場と作家との関わりについて知ることのできる重要な副読本になっている。2003年からこの地で批評誌を発行してきた『REAR』制作室が編集を手がけた本カタログは、これまでこの地の批評活動を通して蓄積してきた知識や記録を活かしつつ、後々まで参照しうる貴重な「地域美術史」の資料になっている。美術館以前というべき博物的な関心が高かった頃の洋画や、大正期にこの地から欧州に留学した作家たち、戦中に名古屋でも数多くの戦争画展が巡回されたことなど、展示作品のあるなしにかかわらず、読み物としても興味深いトピックが収められている。

地域の前衛グループの特異性

戦後になると、この地でもそれまでの団体展を中心とした活動とは異なる様相が現われてくる。「ゼロ次元」の活動については、書物などを介して知っている人もいるだろうが、彼らの活動はこれまであまり美術館では紹介されてこなかった。彼らと同時代の「ぷろだくしょん我S」や「アンドロメダ」といった異才のグループについては、さらに知る人は少ないだろう。それには、これら60年代の前衛グループの活動が、絵画や彫刻などの従来の媒体ではなく、街中のハプニングという収集や展示をしづらい形式を取っていたという理由もあるだろう。本展に出品されていたゼロ次元の資料は、近年同美術館が収集したものであるが、歴史的に見ても特異性を放つこの地域の活動を時を隔てて収集することは、調査や研究といったことも含めて、改めて重要な活動である。

ゼロ次元に関する資料(「アイチアートクロニクル1919-2019」より)

ぷろだくしょん我S《人形参院選》(1974、「アイチアートクロニクル1919-2019」より)

「地域現代美術史」の紡ぎ方

さて、1992年以降のセクションには、私の勤務館である豊田市美術館のコレクションも加わっている。しかし、どこの美術館の大規模なコレクション展でもやや戸惑い、宙吊りになった気分になるのが、リアルタイムでつぶさに観てきた90年代以降の現代美術である。この感触は、東京都現代美術館のリニューアル・オープンとして、同じくコレクションを中心に開催された「百年の編み手たち 流動する日本の近代美術」を観た際にも感じたことであった。自身の目がある程度微視的になっているため、作品が時代や社会的出来事、地域に大きく集約されたり、逆にそこから抜け落ちていたりするものが気に掛かってくるのである。情報の伝達方法や移動手段の劇的な変化を受けて地域性というものはどんどんと移り変わり、また60年代の既成の権威に対する疑義を突きつけたカウンター的な立場から、いま現在は美術の在り方が無数に分岐、拡散してきているようにみえる。100年の長きにわたって地域の美術を振り返るとき、近代についてはありえた複数の美術史が浮かび上がってくるのに対し、90年代以降はどうも展示も語り方も単線的に見えてしまう。それには、もちろん自身が生きている直近の時代は見えにくいということがあるだろう。また日本で1970年代以降に顕著になってきたオフ・ミュージアム的な活動や、いまや美術館が現代美術の審級を下しうるのかという問題も、改めて問い直さなければならないのかもしれない。地域の現代美術を収蔵してきた勤務館のことを鑑みて思うのは、「地域の現代美術史」にもっと深みをもたせるには、「地域性」とはなにか、そしてそれと「現代の美術」がどう関わっているのかということを、より詳細に吟味して、互いに議論し整理する必要があるのではないかということだった。

「アイチアートクロニクル1919-2019」展示風景

本展は、「地域美術史」というものをどう記録し、編んでいくかということの重要性を、改めて知らしめるものであった。テーマや時代に即したある一断面で切り取る企画展以上に、コレクションは半ば永久的な未来に向け投機される性質をもつ。本展の企画者・副田一穂氏の巻頭文の結びは、ありがちで単線的な「地域美術史」に陥らないためにも同じく心に留めておくべきものと思われた。「地域の美術史をこれからも注視し続け、諸氏のご叱正を仰ぎつつ、不断にその語り口を増やし続けなければならない」。

愛知県美術館リニューアル・オープン記念 全館コレクション企画
アイチアートクロニクル1919-2019

会期:2019年4月2日(火)〜6月23日(日)
会場:愛知県美術館(愛知県名古屋市東区東桜一丁目13番2号 愛知芸術文化センター10階)
公式サイト:https://www-art.aac.pref.aichi.jp/exhibition/000016.html

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