キュレーターズノート

木版画から樹木と出会う 「インプリントまちだ展2019──田中彰 町田芹ヶ谷えごのき縁起」から見えた人、まち、環境

町村悠香(町田市立国際版画美術館)

2019年10月15日号

木に対する根源的な追求から出発して、招へい作家・田中彰(1988年生まれ)と筆者が企画担当した「インプリントまちだ展2019──田中彰 町田芹ヶ谷えごのき縁起」(2019年7月6日〜9月23日)が先月終了した。



展示風景


インプリントまちだ展は、東京2020オリンピック・パラリンピック大会にむけて町田市立国際版画美術館が2017年から継続している展覧会シリーズで、版画を軸に制作を行なう若手アーティストの過去作品の紹介と、町田に取材した新作を発表してきた。

本年依頼した田中彰は、人と自然の関係を電熱ペンによるユニークな手法の木版画で表現する作家だ。またコーヒー豆生産国の人や自然の取材を通して、コーヒーをめぐる既存の経済に対するオルタナティブを柔らかに提示したシリーズも注目されている。

本展では前回記事で紹介した通り、美術館が位置する芹ヶ谷公園に生えていた樹齢約40年、高さ約4メートルの「エゴノキ」を根から掘り起こして木版画の版木に用いた新作を発表。さらに会期中に作家が美術館に滞在し、同じ木を用いて来館者との共同制作を実施、展示品を加えていく、変化し続ける展覧会となった。


本稿ではこの来館者参加型の共同制作「町田版画運動」のねらいと実際の経過を中心に紹介する。日々変化する制作現場は作品の展示内容以上に記録しにくいが、本展ではここに作品展示と同じ比重を置いたからだ。

再整備で切られる木との出会い


「町田市で一本、作品に使う木を一緒に探してくれませんか?」。展覧会プランの相談中、2018年7月末に田中からこんなメッセージを受け取り、木を探す日々が始まった。エゴノキとの出会いは2018年9月。芹ヶ谷公園内のプレーパーク「せりがや冒険遊び場」プレーリーダーで美術館と以前から交流があった岡本恵子氏から、公園再整備に伴うスロープの建設で伐採予定の木の存在を教えられ、田中と実際に見に行ったのがきっかけだった。このエリアでは何本もの木の伐採が決まっていた。特に人との関わりが深い木として、作家は子どもたちが木登りで親しんだエゴノキを選んだ。



初めて出会った日のエゴノキ(2018年9月)



計画は市内の許可を得て、作家の知人で製材・建築業の上林製材所(廣野匠氏・須知大氏)や造園業の奥野谷浜産業(飯田紀久氏)らの協力が得られ実現に向かった。エゴノキは「木の精霊に切られたことを悟られないように切る」ため、地中から根ごと掘り出し、製材所を経て作家のアトリエに運ばれた。

タイトル命名を依頼した詩人の時里二郎氏がこの展覧会を「町田芹ヶ谷えごのき縁起」と名付けた言葉を借りて、展覧会にまつわる営みを木に導かれる「縁起」と考えた。詩人からは「きのからだをぬけて」と題した詩の贈り物もいただき、詩の言葉はエゴノキを木版に用いた田中の新作に昇華していった。



田中彰《きのからだをぬけて》2019(木版画、212×27cm/写真中央左)と新作展示風景


「町田版画運動」の構想 メディアとしての木版画/新しい共同制作の実験


木の掘り起こし後に作家と計画したのが、会期中に開催する来館者参加型の共同制作「町田版画運動 版画でくみあげる町と人のみなもと」だ。会期中の週末を中心に行なわれたこの共同制作では二つのことを試みようとした。ひとつは木版画ポスターを作りメディアとしての木版画の底力を試すこと、もうひとつは町田の自然と人を取材して描く《町田芹ヶ谷えごのき縁起絵巻》という大型作品を通した新しい共同制作のありかたを実験することだ。

「町田版画運動」の構想源には、筆者が調査を行なっている1950年代ごろの戦後版画運動(前回記事参照)や、近年日本でも盛んに紹介されている東南アジアの木版画コレクティヴがあった。特に「闇に刻む光 アジアの木版画運動 1930s-2010s」展でニュース映像★1が紹介された「木刻まつり」(1947年、茨城県久慈郡大子町で開催。北関東における戦後版画運動の端緒となった催し)での木版画実技指導は非常に印象深かった。地元の老若男女が版画の作り方を教わり一心不乱に木版画を楽しんでいた映像に筆者も作家も心惹かれた。このような光景は娯楽が溢れる現代において出現可能なのか。版画を通したゆるやかな運動体への関心を作家と共有し、研究から現代的実践へと飛躍を試みた。

この活動のために作家から提案されたのは、特設スタジオの設置だ。建築家の植原雄一氏との試行錯誤の末、エントランスホールに高さ4メートル超えの構造物が出現。木の胎内に入ったかのような空間は、エゴノキを媒介に作家と延べ約460人もの来館者が出会い、制作を行なう実験場となった。



エントランスホールに設置した特設スタジオ[強化段ボール提供:フジダン株式会社、設計:植原雄一建築設計事務所]



メディアとしての木版画 伝播する木版画ポスターと制作手法


特設スタジオで最初に行なわれたのはエゴノキの枝の部分を用いた木口木版画制作だ。田中が使う電熱ペンによる木版画は、ペンで描くように木を焦がして溝を作る。通常の木口木版より技術的ハードルが低く、木が焦げる魅惑的な甘い香りがした。参加者はみな、田中やボランティアから、目の前の木の由来を教えられながら、自分の版木を選び、思い思いに描画していった。自作の木口木版と田中が制作したタイトルロゴを摺り、一枚のポスターを作成する。



左:エゴノキの木口木版への描画 右:木版画ポスター


お店を持っている人には店先に貼ってもらい、作品でありポスター/印刷物でもある木版画が美術館からまちに出かけて行った。ある場所では額に納まり、ある場所ではそのまま貼られてまちなかに居場所を見つけていた。



まちに飛び出した木版画ポスター
左:せりがや冒険遊び場掲示板 写真右:(右上から時計回りに)ふくや珈琲店、書店Eureka、新星舎印刷所、maison de miel


予想以上に反響が大きかったのは、電熱ペンで制作する手法そのものだ。会期を通して延べ460人もの人がポスターづくりに参加したが、熱中して2度3度足を運んだ来館者も多かった。なかにはこれを機に電熱ペンを買ったとSNSで作家に伝えた者も複数いたといい、新しい木版画制作の手法が伝播したことが実感できた。

新しい共同制作のあり方をさぐる《町田芹ヶ谷えごのき縁起絵巻》


多くの共同制作では「みんなでひとつの絵」をつくる★2。そこでは主導する人物が絶対的な存在となり、個の表現が否定されることがままある。エゴノキを切らず、根ごと地面から抜いたように、いかに作家の「エゴ」を薄めた共同制作が行なえるか。作家以外の個を保った表現を絵に出現させ、共同制作という仮説的に現われる共同体で作家の絶対的な中心性を超克しようとしたのが、来館者共同制作作品《町田芹ヶ谷えごのき縁起絵巻》で試行したことだった。



細長い版木に何人もで描画する


絵巻は田中の関与度合いで3段階の部分に分けられる。美術館に近い「高ヶ坂」と「成瀬」のイメージのなだらかな「丘」はひとつの版木の裏表で、描画はほぼ田中ひとりで手がけた。「芹ヶ谷」の「谷」から着想した幹を斜めに切った4つの細長い版木は、田中が描いたアウトラインに沿って常連となった来館者が電熱ペンで描いた★3。銀河のような無数の木口木版は、上述のポスターづくりで多くの来館者が制作した木口木版だ。版木はポスターとは別に雁皮紙にも摺られ、そのピースを作家が会期末の3日間をかけて、丘と谷の余白に貼っていった。木口に描かれたものは子どもから大人まで、その人が大切にしているものや、記憶の奥にあるものを描く人が多かった。一本の木のさまざまな箇所の断面は、樹木の有機的な形と積み重ねた年月を記憶するとともに、木を焦がした一人ひとりの記憶を手繰ることができる共同制作作品となった。



会期末の週末にロビー(左)と展示室(右)で行なわれた「町田芹ヶ谷えごのき縁起絵巻 発表会」公開制作パフォーマンス


田中の下書きに沿って漫画のアシスタントのように常連来館者が彫った部分には描画の浅さがあったり、個人が制作した木口木版の部分には飼い猫や人気キャラクターが描かれていたりと、一見プロフェッショナルを逸脱している。プランを聞いていたものの、この取り組みは時に心許なく筆者を困惑させることもあった。しかし振り返ってみると、このやり方は田中が一貫して取り組んできた「経済」や「価値」のオルタナティブのゆるやかな提示につながる、試行錯誤だったのかもしれない。

「エゴノキの精霊」を土地に還すように、展覧会と樹木を個人から町田の地域を中心とする共同体のものへと開こうとした。再生した木の物語をともに作り上げることで、困難を伴いながらも新しいかたちの人のつながりを夢見ているのだろう。



左:田中彰と来館者共同制作作品《町田芹ヶ谷えごのき縁起絵巻》2019(木版、100×700cm)展示風景 右:作品部分


開発を記憶する一本の木


公園再整備の開発は、中心市街地活性化のまちづくりと結びつき、美術館の今後のあり方にも関わってくる。今回出会ったエゴノキは、偶然にも開発による変化を記憶する存在となり、その縁に作家と筆者が導かれた感覚がある。この木が当初の予定通りに伐採されていればチップになったり、捨てられたりして形を留めることはないように、開発前の風景は、人々の記憶からたやすく消えていってしまう。10年、20年と時を経て、まちがさらに変わったときに、本作がより大きな意味を持つことを予期している。

今回は公園の木の伐採という小規模の変化だが、田中がもしさまざまな地域で今後このような活動を続けていくとしたら、どこかでより大きな開発と環境破壊の問題に立ち会う機会があるのではないだろうか。木版画から樹木と出会い、企画者や作家が木に導かれるという感覚を持つことで、意図せずとも開発という人の「エゴ」をあぶり出していくかもしれない。



エゴノキが生えていた場所の2019年9月末の様子


もうひとりの「まれびと」


さて、田中の展覧会開催中に、版画美術館にはもうひとりのアーティストがやってきた。インドネシアで活躍する若手アーティスト、アグン・プラボウォ(Agung Prabowo ”Agung”、1985年生まれ)だ。町田市がオリンピックでインドネシアのホストタウンとなったことを受け、作家調査を経て招へいした。オリンピックに向けて開催している「インプリントまちだ展」最終年、2020年4月から6月の展覧会には、これまで招へいした作家の作品等に加え、アグンのこれまでの作品と彼が町田を取材した新作が発表される。

アグンはリノカットによる色鮮やかで独創的な作品で個人の内面を表現した作品を制作し、国際的にも活躍している。作品に使用する紙は環境への配慮として、リサイクルによる手漉き紙を使用し、制作手法に作家の信条が反映されていることが興味深い。



アグン・プラボウォ《AT THE GATE OF FATE》2018(リノカット、180×120cm)



当館としては約30年ぶりに外国人アーティストをレジデンスに招いた。「まれびと」の来訪は、月並みだが美術館と地域の魅力と課題を再発見する機会となった。滞在中、アグンは宿泊先のホテルにミューラル(壁画)を描き、まちに来年への「予告状」を残した。来年4月からの展覧会にご期待いただきたい。



LIBRARY&HOSTEL武相庵でミューラルのライブペインティング中のアグン



★1──鳥羽耕史氏より、「NHK戦争証言アーカイブス」サイトからニュース映像がみられることをご教示いただいた。「木刻まつり 茨城<時の話題>」(『日本ニュース』NO.94、1947.10.28)https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001310094_00000&seg_number=005
★2──特に戦後版画運動から派生した「教育版画運動」で取り組まれた、教師の指導による生徒の大型の木版画共同制作作品が念頭にあった。
★3──「丘と谷」の構成は記録映像を担当した町田泰彦氏が最初に発案した。展示室で上映した記録映像、サウンドインスタレーションもこのイメージが反映されていた。「谷」の版木には特に多くの方の協力によって完成したことをこの場を借りてお礼申し上げたい。


企画展「インプリントまちだ展2019──田中彰 町田芹ヶ谷えごのき縁起」

会場:町田市立国際版画美術館(東京都町田市原町田4−28−1)
会期:2019年7月6日(土)~9月23日(月・祝)
公式サイト:http://hanga-museum.jp/exhibition/schedule/2019-409

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